第042話 初来寇

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生 チーヤの歴史語りの聞き手

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生 ゼライヒ女王国の歴史の語り手



 農耕を基盤とするぺーフェンの民は、穏やかで落ちついてはいたが、柔弱にゅうじゃくでは無かった。

 言葉の習得には才というものが働く。

 「周りの国の奴ら、ほんっとなにいってんのかわかんねえ」と笑い合うのは、漁に出て異国の民と、海上で行き交うことのある男達のいいぐさだった。

 おしゃべりを人生の供にする女達は違った。

 洋上の短いやり取りでも相手の発音をよく捉え、そして相手の表情、身振り手振りからその言葉の意味するところをつかんでいった。

 言葉の達者な女に目をつけた男達は、ゼライヒ中部地域で盛んに作られる剣や鎖帷子を船に乗せ、東のソー・ネ・ネヴァネヴァの入り江(サンクトペテルブルク)、西のトゥルク(フィンランド)、そして海を挟んでフィンランド湾南岸のリンダニサ(エストニア)などの大きな港に、行商しに行った。

 女達が交渉をまとめて、男達が船と商材を守る。

 ゼライヒの武器、防具は高く売れた。

 取引には金貨や宝石から、薬や香辛料、絹の生地といった、ゼライヒでは流通の乏しいものと交換された。

 

 そのため、コグ船のマストにたなびく旗の意味に最初に気がついたのは女達だった。「あれは、南のリンダニサを自分たちのものにした、南のそのまた南の救世主教徒の旗だよ」

 別の女がいった。「行商、なんかじゃないね。

 家から弓を持ってこないと」

 事態は、並行して進んだ。

 船から下りた男達は、砂浜の上、湾から地上を見てやや左手に少し盛り上がった地形を見つけると、担ぎ出してきた丸太を組み合わせた板を張り巡らし、一階、二階、三階と簡易的なやぐらの形を整える。

 漁師達とその家族は、それぞれの家に戻ると、狩りをするため、生活をするために備えていた道具を取り出す。

 女達は弓を、男達は代々伝わる毛皮の衣を羽織ると、取りあえず斧をたずさえて再び海岸に戻る。

 子供達が浜から奥の家へ、更に奥の家へと外敵の襲来を告げれば、ザキ・ウェンに立てられた取引場、集会場である市場会館の屋根にしつけられた石造りの見附みつけやぐらから狼煙のろしを上げる。

 十を数えるまで煙を上げて、三を数える間、布をかざして煙をきり、また、十を数えるまで煙を上げてと、四本の長い煙をあげる。

 風の穏やかな晴れの日なればこそ狼煙のろしはよく通り、時間にして三時間ほどで、「敵襲」を意味する符合は北端の集落まで届く。

 

 海岸ぎわの高みに仮組みされた木造りのやぐらが見える位置に、一人、また一人と海岸の民が集まる。

 その姿をやぐらの三階部分から見下ろして満足そうに一人の騎士が微笑む。

 頭頂部の黄色い羽根飾りを支える軸からつま先まで、見事に磨かれた鎧につつまれたその人こそ、王族につながる血筋の貴族の出。

 二十人、三十人と群衆が集まったところで、羊皮紙の巻物を縦に開き、口上を読み上げる。「我らは神聖なるローマ法王より、蛮族を救世主の教えに導かんとして選ばれた、神聖ローマ帝国ドイツ騎士団なり。

 争いはもとより望むところに非ず、ただ古き野蛮な神を捨て、唯一無二のはしらの神の教えにひざまずくものあれば、船先におわす宣教師様より洗礼を受けよ。

 もし蕃神ばんしん拘泥こうでいし、我らが神聖なる宣教の道を遮るものあれば、我が剣、我が弓を振るう事もいとわじ。

 されど我ら、無益な諍いをよしとせぬ高潔の騎士団なれば、まずはこの地の食物をたずさえて宣教師様へお目見えすべし。

 如何に」

 ドイツ発祥の騎士団なればドイツ語での宣誓もやむなきこと。

 ドイツ語を理解する漁師の娘、妻など何人かが、宣言の文意を周囲に伝える。

 弓矢を抱えた一人の娘が、自分を取り囲む大人達に伝える。「まーようするに、救世主の教えに従って食べ物よこせ、ってことだね。 どーする?」

 そうしている間にも、二の船、三の船から工兵達が次々と、丸太を組んだ壁材を船から降ろし、やぐらの左右に防壁として繋げ、前線を形成し始める。

 若手の男達が三人、両手で斧を構えて、櫓にじりじりと近づく。

 すると、二十けんほどまで近づいたところで、足下に三本の矢が撃ち込まれた。

 後ろの方から、遠くの大人達が「おい、お前等、こっち戻ってこい」とどやす声が響いてくる。

 囲みの中にいた普段のっそりのあだ名で知られるニュフゥヴェフェという名の男が、呟くようにこういった。「ちょっと、一回家に帰って甲と盾を取ってくる。

 俺は、気に入らん」

 その言葉に、何人かは眉間に皺を寄せて頷き、何人かは首の後ろを右手で搔きながらうなずいた。

 

 浜の民が一時いちどきに引き上げ、不機嫌な顔で戻ってくるのを見て、村の民は自分たちも不機嫌な顔になり、そして武装を取りに家々に戻った。

 村の民が家々に戻ったことを聞いて、街の民も不機嫌な顔になり、家々に戻ると、自分のためにあつらえた甲、そして代々伝わる毛皮の鎧を身に纏い、斧を手に抱え、そして家に戻ってきた時と違い、家を出る時は弓と矢をたずさえた妻や娘を連れてゆっくりと海岸へと歩いて行った。

 

 一旦解散した人影が、まばらに集まり始めたのをみて、十字軍側は身構える。

 後ろに下がっている女達の前に出てきた男達は鋼鉄製の甲を被り、色とりどりの毛皮の鎧を着込んで、手に手に斧をたずさえている。

 三隻の船から、弓と矢を抱えた男達が、張り巡らされた櫓の横の丸太へいに展開していく。

 そうしている間にも、櫓の正面には、一人、またひとりと、男達が集まってくる。

 にらみ合う双方の間に張り渡された一本の緊張の糸は、浜から海に向かって左手、櫓の裏側に当たる崖といっていい斜面から、武装した男達が、かけずり降りてくることで絶ち斬られた。

 崖面の上には弓を構えた女達が居並び、自分たちから一番手前の、船首に奥の一隻と揃えた意匠を施したコグ船の歩哨に立つ兵士達を狙う。

 一隻当たりの兵士の総数は五十。

 三隻それぞれから、下級騎士四十名が出払ってしまい、船を直衛する下級騎士は五名、残る五名は上級騎士だが彼らは貴族の出ということもあり、表だった戦闘より、部隊指揮の経験を積んだもの達だ。

 その手薄の一番艦に真っ先に躍りかかったのはニュフゥヴェフェ。

 女達の放つ矢が降り注ぐ中、船を降りてきた敵性兵士がつきだしてきた刃を盾で受け止めそのまま上に吹き飛ばし、がらりと開いた左脇に斧の刃を突き立てる。

 刃はみぞおちまで後一歩の所まで突き進み、敵性兵士のくぐもった断末魔が聞こえる。

 ソー・ネ・ザキザキの入り江の左手の崖からは次々男達が降りてきて、途切れることを知らない。

 こうなると、荒組みの櫓に張り付いていた下級騎士たちも、そのままではいられない。

 自分たちから見て船の向こうで繰り広げられている戦いに加勢するため、櫓から延びた丸太塀から離れて、一番艦に駆け寄る。

 「今だよっ」と櫓に正面からむかう男達に紛れていた女達に声をかけると、櫓から離れ一番艦に駆け寄る下級騎士達の後ろから、矢を射かけるのはニュフゥヴェフェが妻のフォヤリ。

 櫓の丸太塀から剥がれた下級騎士達は、前後から矢を射かけられて混乱を来す。

 それを見て、櫓を正面から睨み付けていた男達は、薄手になった左手の丸太塀に駆け寄る。

 砂混じりの地面をぐるりと右に回り込む。

 残る下級兵士達が弓を構えるより早く斧を振りかざして撃ち込む。

 敵もさるもの盾で受けるが、一撃でその盾を割る。

 奥の丸太塀に付いていた下級騎士達は、弓を構えても見方の背中に撃ち込むことになり兼ねず、丸太塀を離れて、砂浜の方に広がる。

 そこにすかさず、女達の弓なりの矢が降り注ぐ。

 櫓に向かって左手から中央に向かって戦う男達の後ろで、仮作りの丸木塀を支える裏の支柱材を取り除き、男達三人がかりで丸太塀を手持ちの大盾として歩を進め、矢を射かけてくる敵に対し、じりじりと距離を詰める。

 遠距離の弓は女達に託し、男達はワックスで固めた毛皮に鱗形の鉄板を裏打ちして敷き詰めた、他国から後に「ブリガンダイン」と呼ばれる鎧に身を包み、とにかく、近接戦で敵を撃ち倒すことをめざす。

 

 

 

 戦いは、毛皮鎧を着込んだ男達が、矢傷刀傷を受けながら、櫓の三階部分に登り、総鎧の貴族騎士の首を斧で狩り取ったことで決着を見た。

 その段階ですでに双方多数の負傷者を出した。

 死者は、ドイツ騎士団の方が圧倒的に多かった。

 船も、浜から海に向かって左の一番艦と、右の三番艦は、航行不能なほどに壊された。

 

 宣教師の乗った中央の二番艦はまだしもまともだった。

 それは、ペーフェン人側に宣教師の乗る二番艦を守るものがいたからだ。

 斧を持った血気の逸る男達に囲まれて、単身、船を背中に斧を構える。

 「なんだお前は、名を名乗れ」

 そういわれて若者は大声を返す「っが名はムソツヴェファ、ヤーの丘の地方から出てきた研ぎ師だ」

 「なんで邪魔をする」

 ムソツヴェファは顎をわずかに上げ、まっすぐに群衆を見据えて唱える。「この船には坊主が乗ってる。

 坊主を殺したらまずい」

 「何がまずい」男達の気勢は留まらない。

 ムソツヴェファは一つ、つばを飲み込んで話す。「俺はなんども、リンダニサやトゥルクの港への行商にもつきあっている。

 だから救世主教徒の様子も見てきている。

 坊主は騎士より大事にされる。

 その坊主を殺せば、ペーフェンの民は話しの通じぬ蛮族扱いされて、今度は五倍、十倍もの船で襲われる。

 ここは坊主だけでも帰すんだ。

 そうすれば次ぎも坊主が来る。

 救世主の教えとやらを説きに三人、五人の坊主が来る」

 「それがどうした、首を狩る坊主が、三人、五人に増えるだけだ」

 ムソツヴェファは目線をそらさずに首を左右に振る。「ちがう、ちがう。

 救世主教徒の奴らは、どうせいつかは大軍で来る。

 その時までに、俺たちがまとまる時間を作るんだ」

 囲みの中から、左肩に一本の矢がつきささったまま、斧を担いだニュフゥヴェフェが一歩出てくる。「誰がまとめるんだ」

 「それは」ムソツヴェファも言葉に迷う。

 「あんた、若いのを追い込むもんじゃないよ」といって囲みから出てきたのはニュフゥヴェフェが妻のフォヤリ。「二つの船は沈んだも同然。

 ちょびっと残った生き残りにも剣は捨てさせた。

 話し合いで追い返すなら男達は女達の後ろを守りな」

 それを聞いてニュフゥヴェフェが斧を下ろす。「お前がそういうなら、ここまでにしておくか。

 おーい、誰か、騎士団の言葉がわかる女子おなごとトフゥフェンの上人しょうにんを呼んできてくれまいか」

 トフゥフェン上人とは、ソー・ネ・ザキザキの入り江の漁師や商人が、遠洋航海の前に祈りを捧げる聖堂を守っている老いぼれたもと漁師だった。

 人々にいろいろな意見がある時は、年寄りに頼るに限る。

 浜の顔役の一人である「のっそり」ことニュフゥヴェフェが折れることで、他の男達も深呼吸して肩の力を抜きはじめる。

 一隻五十名の貴族騎士、下級騎士、三隻で百五十名で構成されていた騎士団は、このわずかな一戦で百名余りを失い、残るものも無傷なものは二番艦に収まっていた貴族騎士数名だった。

 対するペーフェン人は九人の浜の若者と、二十一人の男手、そして十三人の商人の命を失った。

 ドイツ北方十字軍騎士団は、前年のクリュッケンの戦いに倍する苦くくるしい失点を負った。

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