第038話 朝の祈り

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生

・ヴィセ:十八歳、リーエの同室、一年生



 着甲訓練のない三連休の初日こそ、リーエもチーヤも、そしてヴィセも、新年祭の疲れもあって横になって休むことにした。

 しかし、二日目と三日目でこなしたい目標がチーヤにはあった。

 この国の歴史と地理のおさらいである。

 

 そもそもの国防軍の成り立ちにつながる地政学的なゼライヒ女王国の位置づけと歴史の知識が、リーエにはかなり欠けていて、そのために理解が追いつかない範囲が広がっている、というのがチーヤの見立てだった。

 もちろん、チーヤにとっては当たり前すぎる事実で、詰めこめば滔々とストーリー仕立てで語ることができた。

 問題はリーエの鬱の気だった。

 色々と教えてみてチーヤも思ったが、リーエは決して筋は悪くなかった。

 「つまり、こういうこと」と言い換えて確認することや、「なるほど、この公式をこの形に組み替えることができるのね」とロジックを積み重ねて切り替えることを苦としていなかった。

 ただ、とても疲れやすかった。

 集中力のいいところは三十分しか持たない、そこからは呼気が荒くなる時もあれば、眠気が差し込んでくることもあればと、様々な邪魔が入った。

 着甲すれば鬱の気は晴れるが、そもそも、徹攻兵自体国際機密であり、着甲して好き勝手に動き回って良いものでもない。

 ようやく、食事時の着甲が認められたのに、これ以上学内の体制に負担をかけられるものでもない。

 さりとて、着甲室は全学年が使うため、かねてから狭さを指摘されており、長居することもできない。

 ところが、一月二日と三日は、三、四年生がまとまって里帰りをしており、学務は全講座休講で、着甲室を使うものなどいない。

 つまり、着甲状態のリーエに講義をする絶好の機会だったのだ。

 むろん、着甲科の皆にはその用途での使用を相談済みで、誰一人反対するものはなく、二日間確実に貸し切り状態だった。

 

 チーヤは早朝五時半にモバイルのアラームをセットしておいた。

 起床すると、さっさと制服を着込んで、部屋を静かに出る。

 外はまだ未明といって良い暗闇の中。

 寄宿舎の廊下の明かりは、普段なら起床ラッパの鳴る六時に、常夜灯から天井灯に切り替わる。

 さすがに学務のない日まで起床ラッパで起こされることはなく、ほとんどの生徒は休みの日の長い朝寝をまどろんでいる。

 それでも。

 自ら身を律し高みを志す生徒ほど、日頃から積み重ねた敬虔けいけんな祈りを怠ることなく続けようとする。

 そういった生徒ほど、周囲の規律にも厳しく、うるさく、そして意見が通る。

 だからこそ、そんなお堅い向きの生徒達に、「病気をいいわけにせず身を律しようとしていますよ」とディスプレイできる格好のチャンスだった。

 リーエには事前に伝えていた。

 リーエも、体裁を整えることも、これからの学校生活で必用と頭では理解してくれた。

 就眠中の生徒の迷惑にならないよう、足音に気を使いながら寄宿舎内を移動して、二一六号室の扉をノックする。

 あらかじめ、起きていてくれたヴィセが招き入れてくれる。

 チーヤがささやく。「おじゃましまーす」

 ヴィセがささやく。「すみません、リーエに声はかけたんですけど」

 「気にしないで、後は私に任せて」そう、チーヤは答えて微笑む。

 リーエのベッドに近づくと、そっと声をかけ、肩をゆする。「リーエ、おはよう。

 おきて」

 チーヤの声に、リーエの瞳が突然大きく見開かれる。「はいっ」

 その様子に、チーヤもヴィセも小さく笑ってしまう。

 チーヤが口を開く「凄い、寝覚めよいのね」

 リーエが起き上がりながら苦笑いする。「いえ、その、上級生に起こされると思うと、ちゃんとしないとと思いまして」

 チーヤは心外そうに唇を片方だけつり上げる。「上級生っていっても、私はあなたのシュヴェスターよ?」

 「はい、大事なシュヴェスターですから」と、ささやきながら洗面室に向かうリーエは、自分の言葉が他人の心の琴線に触れたことには全く気がつかない。

 チーヤは、リーエのいなくなったベッドを簡単に直すと、そこに腰掛け、胸元の八端十字架にそっと右手を当てる。

 歯磨きを終え、髪を整えたリーエがクローゼットから制服を出して着替える。

 着替えを見守っていたチーヤが口を開く。「リボンタイ、手伝おうか?」

 「あっ、うー。

 お願いします」

 チーヤがリーエのタイを整えている姿は優しげで、ヴィセは慈愛という言葉を感じてしまう。

 すこし、時計の針が回るのを待って、六時半になるとチーヤが廊下への扉を開ける。「ヴィセ、お邪魔しました。

 いってきます」

 リーエも「いってきます」と告げて部屋を後にする。

 休みの日もきっちりしようとする子は、時間にもタイトに向き合う。

 二人は、お休み中の一、二年生の邪魔になりたくなくて、静かに、つまりゆっくり歩く。

 しかし、廊下に出てきたほんの何人かの子の中には、起きて当然といわんばかりに、軍靴の音を小気味よく立てて歩いて行く子もみられる。

 寄宿舎を出て、回廊に入ると、チーヤがリーエと手を繋ぎ、気持歩みを早める。

 ちょうど、チーヤに手を引かれてリーエが導かれている格好になる。

 リーエは、いい年して恥ずかしいな、とも思ったが、あの徹攻兵のシュヴェスター二人がお祈りに出てきましたよ、と告げる意味も悟り、大人しく付いていく。

 チーヤが小声で尋ねてくる。「聖堂でいい?」

 リーエも小声で返す。「はい。

 高貴な狼の詩を唱えられたらいいなって思ってました」

 生徒の数が少なくて、伽藍とした聖堂には、自然な間を取って生徒が祈りを捧げている。

 チーヤはわざと祭壇に近い前の方に出ると、リーエと二人、祈り石の前にひざまずき、両手の肘をその天面に当てて額の前で手を組み、リーエに目線をおくると、「せーの」といって、二人、祈りを捧げた。

 

 徹攻兵のシュヴェスター二人が朝の祈りを捧げたことは、その日のうちに寄宿舎の中で話題になった。

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