第三章 座学「ゼライヒの地理と歴史」
第037話 年越しの宴
・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生
・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生
・ヴィセ:十八歳、リーエの同室、一年生
・セテー:二十二歳、風紀委員長、最優秀生徒の四年生
他の欧州諸国と同じく、
ただ、寄宿舎生活を義務づけられた王立女子士官学校の特に三年生四年生、そして院生にとっては少しく、意味が違う。
基本的に二十歳を超え、法律的にお酒もたばこも解禁された三年生、四年生、院生は、二泊までの外泊許可が出る。
とはいえ、連絡先を学校の事務局に登録し、外出予定も明らかにした上での許可であるため、自由放題というわけではない。
事実上、外泊先として許可が下りるのは国内の家族の元に限られる。
もちろん、休日を使った外出で、彼氏をつくった娘達にとっては、またとないチャンスではある。
外泊先に到着した際には、登録した電話番号から、親族による連絡と、親族に替わって本人の到着報告が求められる。
これを怠ると、三年生の場合は翌年の外泊許可が降りなくなり、四年生、院生の場合は単位に大きく影響する。
このため、制限をくぐり抜けて逢瀬を重ねようとする娘と、特にそんな予定もなく、まっすぐ実家に帰る娘と、温度感の違う朝を迎える。
中にはドライに、寄宿舎を出ずにすごす娘もいるが、一学年百二十五名、四学年で五百名のほとんどが旅行支度をするのは、なかなかに賑やかしくあった。
大晦日の深夜から始まる新年祭では、一、二年生は一階中央の食堂のスタッフを手伝う形で立ち回る。
リーエは、ヴィセを含めた他の一年生達と行動を共にし、二年生が会場入りするより前から作業を始め、整然と並べられたテーブルの、移動前の位置がわかるよう目印のテープをテーブルの脚の位置に貼ると、三、四人がかりでテーブルを壁横に移動する。
椅子も手の空いているものから、複脚重ねて壁側に押しやる。
そうして、広い空間ができると、ホール中央の柱と柱を繋ぐようにテーブルを一列だけ並べる。
その頃、合流し始めた二年生達も加わり、全員でエプロンを着けると、ホール中央に並べたテーブルの上に、キッチンにつながるカウンターに並べられた大皿料理や取り皿、カトラリー、そして飲み物を並べ始める。
一、二年生用にはオレンジジュース、リンゴジュースと、ノンアルコールシャンパンが、三、四年生と院生向けには、赤白のワインとこちらは度入りのシャンパンが用意される。
やがて三年生が帰省支度の大小のトランクを引きずりながら現れると、会場の左手、三年生のスペースに荷物を寄せ、手の空いたものからグラスを手に取る。
三年生達の準備が終わる頃に、四年生達が寄宿舎からトランクを持ち込んで集まってくる。
会場の右手、四年生のスペースに荷物を寄せると、ようやく院生が現れ、それぞれの荷物を決められた位置に集める。彼女たちがグラスを手に取るのに合わせて、二年生が、最後に一年生がグラスを手に取る。
この、一連の流れは整然としていて、ある種バレエの群舞を思わせる。
全学年、全員の手にグラスが行き渡る頃に、厨房より女性厨房長が中央に出てくる。
この一瞬、女性厨房長には学舎の古き神々に裏付けされた、食を司る巫女としての意味が課せられる。
そのため、厨房長は特別にあしらえられた、ゼライヒ女王国の国旗を模した、黒と緑と赤を彩りよく取り混ぜた、特別な割烹着と料理帽をしている。
時刻は二〇二五年十二月三一日午後十一時五十九分。
食堂中央の柱にかけられた電波時計を皆が見やる。
のこり三十秒も過ぎれば、小声でカウントダウンが始まる。
そして少しずつ口を開けるものが増え、やがて全員が唱える「三、
二、
一」
女性料理長が大声で唱える。「新たなるこの年に作物の豊作を、そして人々に明るい一年を、乾杯」
その声に全員がグラスで口元をしめらすと、ビュッフェスタイルの立食パーティが始まる。
厨房長は厨房に戻り、カウンターに構える。
巫女としての料理長はその年の歳神を背負うとされ、その年一年の運勢を占う運試しの役割が与えられる。
希望者はこの新年祭の間に一回だけ、厨房長とさいころ遊びをする。
作物を豊かにする黒土を意味する黒いさいころを厨房長が、豊かな実りを意味する緑のさいころを生徒が、同時にボウルに放り込む。
基本的に生徒側が大きな数字を出すことが吉とされ、六が総合運を、五が学業運などを、四が学業運を除いた健康運などを、三が健康運を除いた、災厄運などを、二が災厄運を除いた人間関係を、そして一が人間関係を除いた漠然とした希望を意味することになっている。
そして厨房長の振る黒いさいころの目が、生徒の振り出した目より下回れば下回るほど、縁起がいいとされる。
ただし、一の一、の組み合わせは特別で、六の一を超えて最高の運気を意味する。
とはいえお遊びなので、厨房長と厨房の何人かしか知らないことだが、さいころには重りが仕込んであり、生徒の振る緑色のさいころは四、五、六の目が、厨房長の振る黒いさいころは一、二、三の目が出やすいようになっている。
振りだして出た賽の目は、専用のくじ札に書き込まれ、後日聖堂の司祭や巫女にみせることで、今年一年の太古の神々に倣った生活指導を受けることができる。
ところで多くの兵科は、講義中心の一、二年生と、研究中心の三、四年生、国防軍との共同訓練と戦訓研究の院生といった教育課程になるため、一年生の集まり、二年生の集まりと、三、四年生の集まり、院生の集まりに何となく分かれることが多い。
特に一年生は空になった料理鍋や料理に彩られた大皿の交換や、飲み物のグラスの回収と補充の役割が割り当てられていて、着甲科の一年生は、他科の生徒からあれこれ批評されることも多いことから、こういう所で少しでも良く立ち回って、他科の評判を得ようとする。
ただしそれも忙しいのは最初の一時間で、皆が料理を口にし、二杯目、三杯目のドリンクで唇をしめらせる頃には、大分と落ちついてくる。
リーエはなんとはなしの緊張に息を整えながら、ときには空になったグラスを持ち続ける上級生に、「おかわりのドリンクはいかがですか」と声をかけたり、大皿に残った料理を一つの皿にまとめて、空いた皿を引き下げ、カウンターに用意された新しい大皿を中央のテーブルに運んだりしていた。
それも一段落して、リンゴジュースのグラスを手に取ると、チーヤと顔を合わせ、二人で軽くグラスを重ね、のどを潤す。
そこに、セテーがやってくる。「お疲れ様、二人とも」
リーエは、底知れぬ不安を心に秘めたまま「はい、頑張りました」と愛想笑いをする。
その、笑い顔が引きつっていてセテーの心配を誘う。「リーエ、辛い?」
リーエが無理な笑顔の上に無理をする。「えへー、着甲していない時は、いつもこんな感じですねー」
セテーが少し困った顔で、言葉を選びながら話す。「そう、そうか、あなたは、優しい人なのね」
リーエが、表情を作らずに目を開く。「えへー、どういうことです?」
「だって、辛くても、そうやって笑顔で相手してくれようとするじゃない」
リーエが、疲れもあって目線を下に落とす。「むふー、そんな、余裕なんてないです」
そして目線を天井に上げる。「ただただ、怖いんです。
正常で、健康で、健全でありたい、それだけ、です」
セテーは、リーエを気遣うチーヤに一度視線を送ってから口を開く。「わかったわ。
ただ、私の目には、優しい人に映ったのよ。
新年早々、ありがとう」
思いがけない、感謝の言葉を大先輩から貰って、スマートな対応ができずに、自然と、口が半開きになってしまうリーエに替わって、チーヤが返事をする。「先輩こそ、お気遣いありがとうございます。
道中、お気をつけて」
その言葉にセテーが微笑む。「良い関係ね、あなた達のシュヴェスターって。
二人にも、良い一年となりますように。
精霊の、名において」
セテーがさしのべてきたグラスに、チーヤが、そしてリーエがグラスを合わせる。「精霊の、名において」
三人のやり取りは、いずれもアデル・ヴァイス勲章に近しいもの達の会話として、相当遠巻きの周囲まで、聞き耳を立てていた。
そして、夜が明け、院生、四年生、次いで三年生が学舎を後にする。
二年生が食事を下げ、中央のテーブルを明けると、一年生達には、あまたのテーブルを元の位置に戻す作業が残っていた。
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