第036話 月が綺麗

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生

・ヤーサ:チーヤの実姉



 チーヤの昔話を聞いていたリーエは「海外留学、ですか?」と話の腰を折ってしまう。

 すでに、コーヒーの付け合わせであるデザートのヨルル・フトッブクリスマスの薪の半分を食べてしまっている。

 その食欲を横に見ながらチーヤはリーエに顔を近づけてくる。「今度詳しく話すけど、私達、修士課程はフランスですごすのよ」

 そういわれて、驚くリーエに続ける。「それにしても、いつもより食が進んでいるんじゃない」

 「えへー、チーヤさんがハセだと知って、なんか安心でもしたんですかねぇ。

 私、今の今まで、誰も知らないところに入り込んだと、心のどこかで緊張していた感じで、それが、ほぐれたような気がします。

 でも、チーヤさんも大変だったんですね」

 チーヤはあっけらかんと、眉間に皺を寄せて苦笑いを浮かべる。「うーん、もはや誰が悪いとかじゃないけれども、ヤーサの精神生活にも複雑なものを残してしまったのかも知れないわね。

 なんて、家を離れてすごすようになって、ようやく、割り切れるようになってきた所なんだけれども」

 一つ、はなしを区切ってチーヤが続ける。「私達はさ、特別扱いじゃない、学内で。

 だから、他の兵科の娘達と距離をあけられちゃうのが悔しくてさ、むきになって勉強していたら、七月の成績発表で、二五〇期生の中で私の名前が一番最初にあったの。

 でもね、私達の科は歩兵科の成績の付け方を元に、更に割り増しの係数が設けられているので、成績が上位に入りやすいんですって。

 これに関してはまあ、うちの科の先輩からも「不用意に目立ったわね」と指摘されたり、他の科の娘の当たりが目に見えてよそよそしくなったり、いいことばかりじゃなかったけれども、それでも、一番、っていうのは気持ちが良かったわ。

 年度が明けて八月も中盤になったら、鬱病の新入生がうちの科に来る事を告げられて、シュヴェスターとして付き添ってくれないかといわれたの。

 それ自体は、いわば主席の役割くらいにしか思わなかったわ。

 でも、十月一日の入学式にもその生徒が現れず、それどころか二週間経っても連絡も付かないということになって、歩兵科の准教授とお宅を訪問しようとなった時に、初めてその生徒の名前を知ったの。

 ファゾツリーエ・ヴツレムサーの名前を見た時は、本当にいろんな意味で驚いたわ。

 ヤーサを姉としてみられなかった私にとって、姉とはリーエお姉ちゃんのイメージだったの。

 だから、リーエの部屋に案内してもらった時、やせ細ったリーエを見た時には辛かった。

 リーエは、どんなに辛い思いをしていたんだろうと思うと、すぐに言葉が出せなかった」

 リーエは、少しうつむき気味に「ごめんなさい」という。

 チーヤはそれをやわらかく否定する。「どうして、あなたは、あなたらしくしていていいのよ。

 あなたから私がなにかを感じて、それであなたが謝らなければならないとしたら、それは私の感情の押しつけだわ。

 私、それは嫌。

 リーエがリーエらしくあって、私は私らしくあって、そうして二人、自分たちらしくいられると思うの」

 リーエが上目遣いでチーヤを見つめる。「ぐぬぬ、チーヤさん大人ですね」

 「あは、あなたと会って、そしてショックを受けて、どうしたらあなたに尽くせるかを考えて、そうしてこう考えられるようになったのよ。

 リーエに教えてもらったようなものだわ」

 ふむー、とリーエは下を向く。

 そして、思い出したように顔を上げる。「そーだ。

 これから私は、チーヤさんのことなんて呼べば良いんでしょう。

 どうしたらいいですか」

 これには、チーヤが質問に質問で返す。「リーエはどうしたいの?

 私は、リーエがリーエにとって自然であればいいなって思う」

 「ふむ」といいながらリーエは、ヨルル・フトッブクリスマスの薪を一口分フォークで切り取って口に運ぶ。

 考える。

 そして答える。「今まで通り、チーヤさんって話しかけるのが自然かなって思います。

 そもそも、周りの人にお姉さん風吹かせられるような病状じゃないし、これからも、勉強のこととかでチーヤさんのお世話になっちゃうし。

 だから、そのままで」

 チーヤが人差し指を顎先に当てながら天井を見つめてはなす。「そーね。

 学内でも私が二年で、リーエは一年だし、周りからも自然にそう見られるしね。

 でも、リーエ、でも私は気にしないから、リーエの自然な気持で呼んでね。

 あ、でも」

 リーエが首をかしげる。「でも?」

 チーヤが気恥ずかしそうにはなす。「ハセは無しね。

 もう、過ぎたはなしだし。

 チーヤになって誕生日が正しくわかって、そして今の兵科にたどりついて、そしてリーエのシュヴェスターになれたんだもん。

 きっとあの時チーヤになったことで、今があるんだわ」

 

 そう、いいきれるのが、今のチーヤさんの強さなんだな。

 

 とリーエは思った。

 チーヤはそれに気づかず続ける。「それよりもリーエの家にいく時、私は身バレしないかひやひやしてたのよ」

 「どうして?」

 だって、ゾッデツヴァフゥファーの家はリーエの家の近所じゃない。

 なんか、ゾッデツヴァフゥファーのお母さんはヤーサとはつながりがあるみたいだし、そんな中で、制服姿の私がばったり出会っちゃったら、私は何を話したらいいんだろうって」

 「大丈夫、でした?」

 「うん、なんとか准教授の影に隠れて歩いてたわ」と笑う。

 そして、もし会ったらなんていったらよかったと思う? などといった世間話的なはなしから話題はあちこちに移っていく。

 二人とも、それぞれに用意された大きめのヨルル・フトッブクリスマスの薪でお腹を一杯にし、おかわりのコーヒーも何杯か飲み干した後、寄宿舎に帰るために店を出る。

 チーヤがマフラーに顔をうずめながら声をかけてくる。「リーエ、手、繋がない」

 リーエは他意なく手をさしのべる。「いいですよ。

 でも、転ばないかな」

 「そこは、き・お・つ・け・て」と二人、前屈みのペンギン歩きの形で、手を繋いで歩く。

 ビュソタッメンヴァーン路面電車の駅に着いても、チーヤは手を離さない。

 それどころか、ビュソタッメンヴァーン路面電車に乗り込む時も、乗り込んでからも、チーヤはリーエとてを繋いだままだ。

 

 むむー、これって、どういうことなんだろー。

  シュヴェスターとしての関係が変わったわけではないし、先輩後輩の関係が変わったわけでもないし、ハセはハセだったけどチーヤさんのままだし、どうして私達手を繋いでるんだろう。

 

 別に、チーヤと手を繋ぐのが嫌なわけではない。

 むしろ、冷え性のリーエには、ぽかぽかして気持も暖かくなれる。

 ただ、急に手を繋いだままでいつづけるなんて、どういう心境の変化なんだろうと、無意味に警戒というか考えてしまう。

 乗り換えて、乗り込んで、空いている座席に座り、最寄り駅が近づいてくるとチーヤが口を開く。「それにしても今日は、なんて月が綺麗なんでしょう」

 車窓から見えるのは首都の町並みで、座ったままの姿勢ではまともに夜空は見えない。

 リーエが良くわからず「え、あれ、お月様、見えます?」と聞いてしまう。

 するとチーヤはいたずらっ子のように微笑んで、「見えないけど、今日の月は、とっても綺麗だわ」といい切った。

 そういってほほえむチーヤの顔を見つめて、リーエも何ともいえない暖かさを感じた。

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