第034話 取り替え子

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生



 百貨店の出入り口近くで立ち止まってしまうリーエが、他の客の出入りの邪魔になってしまうのを嫌い、チーヤはリーエの袖をつまんで歩道の端まで誘う。「リーエ、黙っていてごめんなさい。

 あなたが幼稚園の時に遊んでくれていたハセ、は、私なの」

 チーヤが、ことに追いつけず、思いつきを口にしてしまう。「え、え、あれ、ご両親の離婚とか、再婚とかですか」

 リーエが辺りを見渡す。「えーとね、はなしが長くなりそうだから、イーハゼライヒ風カフェしていかない。

 あそこの、ヴィツプ・フォロセマンゾフゥなんて良くない?」

 リーエが瞳を開き、少し、大きな声を出す。「雑誌で見てたお店だー」

 「決まり、ね。

 道路渡っちゃおう」

 と二人、道路を渡ると、カスザフィの界隈でも有名なカフェのヴィツプに入る。

 店内は広く、長く話し込めるように、ソファがテーブルを囲む席が多い。

 ソファとソファの背中には植生がすえられ、となりのテーブルを囲む客と、視線が合いにくい工夫がされている。

 カウンター席もあるが、席と席の間は十分な空間が作られている。

 フリルの付いたスカートの制服に身を包んだ店員が歩み寄ってくる。「いらっしゃいませ、お席はいかがなさいますか」

 チーヤは、慣れた雰囲気で「ソファ席で、空いているところはありますか」

 「こちらにお越しください」と店員に、店の奥に誘われる。

 リーエは、店の中を歩く間、調度も照明も音楽も、何もかもが自分の夢見ていた通りで、落ちつかなげにあれこれと見渡してしまう。

 「こちらにどうぞ」と案内されたソファ席の、奥の方にチーヤは勢いよく座る。

 向かいのソファに、チーヤはおずおずと座る。

 チーヤは店員に「季節のイーハを二つ」と告げる。

 店員はうなずいて下がる。

 チーヤは楽しげに、「ケーキはヨルル・フトッブクリスマスの薪が付いてくるはず。

 きっとおいしいわよ」

 リーエは、なんだかここのケーキは、食べられそうな気がした。

 

 チーヤの話はこうだった。

 

 チーヤは、産院の手違いが引き起こした取り替え子だった。

 一日後に生まれた女の子と、普通なら引き起こされないはずの手違いが重なって、入れ違いになった。

 チーヤの母は、第二子の出産で、慣れたつもりがわざわいした。

 チーヤの元母は、初産で、予定外の難産で疲れ切ってしまったのがわざわいした。

 二人とも、自分の娘の特徴を見つけることを怠った。

 ハセこと、ハセチーヤはゾッデツヴァフゥファー家の一人娘として、取り替えられたゲトーウィハは、フォソラフィファー家の次女としてそれぞれ、障りなく育てられた、その時までは。

 年少生としての成長を記録するものとして、幼稚園が行った健康診断で、身長、体重、足のサイズ、手形の記録などを取る一環で、耳から少量の血液を採取し、血糖値とともに血液型も検査された。

 幼稚園からハセが、「AB型」の記録を持ち帰ったことを知ったハセの父は、リビングで一人遊びをする娘を残して、妻を寝室に連れて行き、こう告げた。「どうしよう、困ったことになったな」

 「あなた、何を気にしているの」

 「いいかい、落ちついて聞いて欲しい。

 僕の血液型はA型で、君の血液型はO型だ。

 僕たち夫婦の間には、B型の要素はないんだよ」

 ハセの母は、夫が言いたいことがわからずたずねる。「どういうこと」

 ハセの父は、気休めに微笑んでみせる。「大丈夫、きっと、三人の誰かの血液検査の結果が間違っているはずだ」

 ハセの母も、ようやく事態が飲み込めてきた。「もし、全員の検査結果が変わらなかったら」

 「あの子は、ハセは、僕たちの子じゃない、ってことになる」

 

 検査は、非情だった。

 

 夫婦は、冷静だった。

 一人娘に、余計な心配はかけないように、一つ一つを確かめてゆき、遺伝子の検査をした結果、ハセは、父親とも母親とも血のつながりが無い確率が九十八パーセントを超えていることまで確かめた。

 二人は、産院に相談を持ちかけた。

 産科医は初め、まともに取り合おうとしなかったが、権威有る検査機関の結果として示された遺伝子検査を読んで、一つ、大きくうなると、口を開いた。「ゾッデツヴァフゥファーさん、このことは非情に私的な問題です。

 ですので、私達も、十分な結論に至るまでは、安易な約束をすることはできません。

 ただその」

 産科医が一度言葉を句切ったことで、夫が次の言葉を促す。「ただその、なんです?」

 「命の誕生を見守る産科医を選んだ信念に立ち戻って、できる限りの手は尽くします」

 ハセの父と母は、「よろしくお願いします」というので精一杯だった。

 

 産院側の調査は、さほど時間がかからなかった。

 たまたま、男の子が産まれ続いた時期だった。

 その切れ間を埋めるように産まれた女の子は、ハセと誕生日違いのもう一人だけだった。

 

 産院から突然の連絡を受けたフォソラフィファー夫妻は、最初に不審を覚え、次いで当惑を覚え、更に拒絶を覚え、最後に祈りにすがった。

 

 遺伝子という名の神は、無情だった。

 

 ゲトーウィハと名付けたこの子が、他人の子供だとは思いたくなかった。

 目の前で、姉のテヤーサと仲良くお人形遊びしている姿も、あと数日の出来事かと思うと自然と涙がこぼれてきた。

 ゾッデツヴァフゥファー家でも同じような気持だった。

 誕生日が年度末ギリギリになるため、ようやく、年少の四歳を迎えようとしている一人娘とのこれまでの日々が、その全てが誤解によるものだとは思いたくなかった。

 

 七月、ゼライヒ女王国でもっとも暑くなる季節。

 産院に呼び集められた二た家族の両親は、暑さとは違う汗を、手のひらにかいていた。

 はじめまして、と交わす挨拶も、どこか不要の警戒心を抱いてのものだった。

 産科医が入室すると、二た家族に、そして何より取り替えられた四歳を迎えんとしている幼子おさなごに少しでも伝わるように、丁寧な説明が始まった。

 医師として責任有る機関にお互いの両親、そしてハセチーヤとゲトーウィハの血液を検査にかけたこと。

 結果として、ハセチーヤの本当の両親はフォソラフィファー家の二人であること、ゲトーウィハの本当の両親はゾッデツヴァフゥファー家であること。

 八月から始まる新学年に向けて、一週間以内に二人は入れ替わった方がいいこと。

 入れ替わる二人の精神的負担をあげない意味でも、名前まで変えない方がいいこと。

 ただ、ケジメを付ける意味で、名前の略し方は変えてもいいのではないかと思うことを告げた。

 

 お互いの両親も涙を浮かべながら話し合い、ハセはチーヤと呼ぶことに、ウィハはゲトーと呼ぶことにしよう、と語り合った。

 このまま一週間というのは辛さが、長くなるだけだった。

 話し合いのすえ、三日後にまた集まり、その時に正常に戻そうとなった。

 

 チーヤもゲトーも、見ず知らずの夫婦をみせられて、この人達があなたの本当のお父さんお母さんなんだよ、といわれても納得などできなかった。

 チーヤもゲトーも泣いていやがった。

 両家の両親も、姉のテヤーサも泣いた。

 産科医も大きくこみ上げるものがあったが、この場をまとめなければならないという責任感でこらえ、「皆さん、このたびは本当に申し訳ございません。

 今日はお疲れでしょうから、お気を付けて自宅に戻り、三日後にまたここで会いましょう」と告げた。

 

 三日間は、どちらの家族にとっても、とてもナイーブな涙の三日間だった。

 ふとした切っ掛けで誰かが泣き、それに気づいて他の誰かも泣くことを繰り返した。

 そして、運命の日が訪れた。

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