第029話 ラツフィ

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生



 残雪が脇に寄せられた歩道の上で、チーヤが右手の人差し指を口に当てながら考える。

 空の青さが寒々しく、そして清々しく見える晴れの天気。

 北欧の太陽は低く、お昼前後の数時間だけ明るい冬至の季節。

 今日の最高気温は一度かせいぜい二度、雪の溶け出さないぎりぎりの気温。

 チーヤが口を開く。「ねえ、リーエ、百貨店に寄らない?」

 リーエが答える。「えへー、いいですけど、何時頃に帰りますかぁ」

 チーヤがその一言に気を配る。「もしかして、きつい思いさせてる?」

 チーヤに返答するリーエの笑顔は、その造りが過ぎて痛々しい。「いえ、その、ベッドにうずくまっていてもどうにもならないのは分かっているんですけど、今凄く不安で、怖くて。

 だめですねー私。

 こういうお出かけを夢見ていたのに」

 チーヤがリーエの両手を取る。

 そして、帽子の下のリーエの瞳を見つめる。「リーエ、正直に教えて。

 お出かけ、続けたい? 終わらせて帰りたい?

 あなたは、どっちを選んでもいいのよ」

 両手をつつまれた姿勢でリーエは、視線を右下に下ろすと呟く。「正直、ですか」

 チーヤは目線をそらさない。「うん、正直におしえて。

 どんな選択でも、私は一緒に動くから」

 リーエはほとんどうつむいてしまう。「正直、が二つあるんです。

 心の方はとにかく理由もなく不安で、この場にいていいのかもわからなくて、帰って、ベッドにうずくまりたいんです。

 でも、理屈の方はわかっているんです。

 ベッドにうずくまってもこの不安は消えないどころか、ずっとずっと私を追い詰めるって。

 それより、夢にまで見たお出かけを続ける方がずっとずっと私にとって大事だって。

 ごめんなさい、心と理屈、決め切れなくって」

 そこまで聞いて、チーヤは莞爾と笑みを浮かべる。「だったらこうしない?

 いけるところまで行ってみる。

 そしてどうしても理屈が耐えきれなくなったら、その時は心に従って帰る。

 大丈夫、ずっと私が付いているから」

 リーエは、涙の浮かぶ瞳を上げて、それでも、チーヤの瞳は直視できなくて、その艶やかな唇を見つめる。「えへー、いつでも帰られるのなら、何とかがんばれそうです。

 でも、チーヤさんはどうしてそこまでしてくるんですか」

 チーヤは、リーエの瞳を見つめて離さない。「んー、これだけが全てじゃなくて、もっと大きな理由もあるんだけど」

 と、チーヤは前置きして声を潜める。「リーエ、あなたは、一年生にして王立女子士官学校のなかでも最優秀な徹攻兵なのよ。

 他の兵科を専攻しているどんな生徒もあなたには叶わないわ。

 着甲科でも、あなたに互して戦えるのはセテーくらいでしょう。

 そんな素晴らしい生徒が、私の義妹シュベスターだなんて、私自身にとっても誇らしいことなの。

 その義妹シュベスターが病気で苦しんでいるんだったら、少しでも支えてあげたいと思うのは、自然なことじゃない?」

 リーエは、やっと目線を上げる。「えへー、病院の人でも、お医者様でも、病気仲間でもない、チーヤさんからそういってもらえるのはありがたいです。

 行きましょう」

 チーヤは笑みを浮かべながら「うん」と答える。

 そしてリーエの瞳をまっすぐ見つめこんで続ける。「約束して、絶対無理しないこと。

 無理になったらちゃんということ。

 ホントーに無遠慮で申し訳ないんだけど、さっきから私にはリーエがずっと引きつって無理に笑っているようにしか見えないの。

 シュヴェスターなのに情けないけど、あなたの本当の状態なんて、私にはわからないんだわ。

 だからお願い、いつでも苦しくなったら教えて。

 二人で寄宿舎まで、私達の家まで、帰りましょ」

 そういったチーヤの顔は、北欧の冬の低い日差しに輝いていた。

 

 チーヤは一旦、握りしめていたリーエの手を離すと、たてた人差し指を唇に当てて考える。「うーん、近場のサハミラナがいいか、カジュアルにラツフィがいいか、うーん」

 リーエが顔の高さに右手をたてて「はい」と声を上げる。

 チーヤが「うむ、ヴツレムサー君、答えたまえ」と、たてていた人差し指をリーエに向ける。

 「え、えへー、サハミラナはなんか格調高そうな気がします」

 チーヤがうなずく「そうなのよ、かわいいものよりきれいなものの方が品揃えがしっかりしていそうで。

 ただ、ラツフィはビュソタッメンヴァーン路面電車で乗り継ぎ含めて三十分ぐらい移動した、カスザフィのペフンゼ・ヘーウィチッシェム・セファサー第二・王立・劇場=オペラ・ハウスの隣が、一番しっかりしてるのよね」

 それを聞いて、リーエが今度は、右手を上に上げて「はい」と声を上げる。

 チーヤが、今度は片目をつむって、重々しく指名する。「うむ、ヴツレムサー君、答えたまえ」

 「移動しましょう。

 私の見ていた雑誌でも、取り扱い店舗、ラツフィ・カスザフィ店、というアイテムばかりでした」

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