第018話 おいしいのって
・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生
・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生
・ヴィセ:十八歳、リーエの同室、一年生
・セテー:二十二歳、風紀委員長、最優秀生徒の四年生
風紀委員会そのものは、顧問となる教官は付いていたものの、成人した大人達でもある生徒の、自主的な取り組みとして運営されてきた。
風紀委員長であるセテーが、SNSを使って風紀委員を集めることは何でもなく、議論のテーマを説明する資料も論文形式である必用は無かった。
ただ、ここは、とても難しい問題であること、もしかすると強い反対意見も予見されることを考慮し、体裁をより格式高く整えたかった。
チーヤ自身の練習にもなるし、リーエが入学したことで、論文形式で着甲科の訓練状況をまとめておくのにも悪くない時期という思いもあった。
チーヤ自身、論文に慣れているわけではなかったが、それだけにいい訓練になると割り切っていた。
着甲訓練時の基礎情報については、連絡役を務める歩兵科のカフィソにも手伝ってもらい情報を集めた。
また、徹攻兵の出力向上には、上級者との反復訓練に一定の効果があることを示すドイツの「アデル・ヴォルフ機関」の論文を参照するとともに、実際に学内の訓練においても一定の効果がみられることなどを書き添えた。
一方で、リーエの身長体重から割出されるBMI値の異常な低さを強調したく、他の子の数値を比較に出したかったのだが、着甲科の生徒の平均値はBMI値が低めに出ており、ちょっと苦労した。
装甲服は個人個人専用のサイズにつくられており、当然、自分のサイズが変わるときつくなる。
サイズ、気にしてるの、私だけじゃないんだな。
と思うとなんだかほほえましかった。
ここは歩兵科や工兵科、輸送科などの、むしろ体力作りに精を出す兵科の生徒の指標を参考にすることにした。
こうして論文が整うと、セテーにもみせ、アドバイスを受けて修正し完成させた。
セテーからのアドバイスにはこんな言葉もあった。「資料をつくるだけではなく、実際に発表を想定して読み上げる訓練を何度かして置いた方がいいいわよ。
リハーサルね」
準備ができれば、実際の委員会にかけるだけとなった。
顧問となる教官も含めて、各兵科、各学年の代表からなる風紀委員会で、チーヤのつくった論文が配布された。
セテーのアドバイスも受けて、リーエ達の面前で行ったリハーサルの成果もあり、チーヤは無事、説明を終え、質疑応答の場となった。
実際の戦闘を想定した訓練を着甲科とともに実施することもある、歩兵科の風紀委員から質問が上がった。「装甲服は実際に訓練場で使われる、いわば作業着です。
作業着のまま食堂に出入りするのは衛生面で問題がありませんか」
これに対するチーヤの回答はこうだった。「食堂に入る前に、ホースを使って汚れを洗い落とします。
それと、混雑する時間帯を避け、食堂の端の席を使うことで見た目にも影響が少ないようにします」
歩兵科の風紀委員から重ねて質問が入る。「水道で洗うのはいいですが、冬場はそれこそ健康面に問題ありませんか」
チーヤはすかさず答える。「徹攻兵は着甲時、ほとんど暑さ寒さを感じません。
このため、冬場でも凍結していない水道を使うことで衛生面を確保できます」
この答えで、一同の理解を得ることができる。
すると、この国特有の春の洪水で、被災地への災害派兵訓練でも協力関係を取ることがある工兵科の風紀委員から質問が上がった。「入室前に洗浄があるとはいえ、購入し、カウンターまで取りに来るんですよね。
その、前後に食事を受け取る人からはどう思われるでしょう」
チーヤが答える。「私は、問題の生徒のシュベスターです。
私が付き添い、食券の購入から食事の受け取りまで行いますので、問題の生徒は食堂の一番端の席から動くことはありません」
この答えも、好感を持って受け止められた。
輸送科の風紀委員が挙手をし、発言を求めてきた。「私達はこうして説明を受けたこともあり、私自身は状況の理解もしました。
私自身の今の考えとしては協力に賛成です。
ですが、校内の他の生徒や教職員への理解のために、なにか周知の必用は無いでしょうか」
この質問を受け、チーヤは、大急ぎで周知方法をなにか考えないと、と気持が浮き足立つ。
そこに風紀委員長のセテーが挙手をする。
「着甲科を代表する一風紀委員としての発言、よろしいでしょうか」
書記役の委員が、どうぞ、と促すと、セテーは自信満々に話し始める。「戦闘服、作業服を着用したままの食堂の利用など、本学開学以来二百五十余年の歴史において初めてのことと思われます。
しかし一方でこの問題は障害者雇用支援にもつながる昨今の社会問題と密接に関連しております。
そこで私なりに考えて、状況紹介用のリーフレットを作成しました。
これを食堂のカウンターに置くと同時に、食堂の利用者に配布して告知したいと思います。
配布には着甲科の生徒を支援に充てる想定です。
何しろ初めての試みです。
戸惑いも出ると思いますが皆さんのご理解も得て、新しい取り組みに挑戦していきたいと思います」
この発言に対しては、輸送科の風紀委員も大きくうなずく形で賛意を示してくれた。
そのほかに目立った質問もなく、最後は多数決を取って決議をしようということになり、賛成のものは挙手をする方式をとった。
結果、全委員の四分の三の賛成票を得ることができ、賛成票の署名一覧と、反対票の署名一覧をまとめた上で、「着甲科生徒一名による着甲状態での食堂の利用許可検討結果報告書」として顧問教官のサインを取り正式な決議文書として保管されることになった。
その晩、訓練前に着甲状態でホースによる放水とタオルでの拭き取りを受けたリーエは、「これぐらいじゃ肌着ぬれないんですね」と答えてきた。
セテーが答えてくる。「昔、アデル・ヴォルフ機関の報告書で、対薬物の浸透試験の報告書を読んだことがあるわ。
そもそも、強度の酸やアルカリ溶液の侵食も受けないんですって。
例によって仕組みは謎でね」
聞いていた着甲科一同、なるほどと頷いてみせる。
チーヤはリーエに体調をたずねる。「寒くない? なにかあったらいって」
リーエはチーヤに答える「えへー、全然寒くない。
十一月の夜なのにね。
それでね、お腹すいてきた感じなんだけど」
その場にいた着甲科の生徒全員が頷く。
セテーが胸にリーフレットを抱えて声をかける。「さあ、みんな、リーエのリーフレット配りに行きましょう」
寄宿舎横の着甲室の外で放水作業をしていた一団が、回廊を通じて食堂に向かう。
時刻は十九時近く。
ほとんどの子が食事が終わっている時間なのに、むしろ珍しがって、普段の同じ時間より多くの生徒が食堂に居残っている。
リーエが、本当に食堂の一番端の席に座ると、セテーはむしろチャンスと考えて、周りの生徒にリーフレットを積極的に配る。
チーヤが「何にする」とたずねると、リーエは「サツマイモのクリーム煮」と郷土料理を指定してきた。
リーエが食券を買い、カウンターで待っている間に、皆でリーフレットを配り終えたセテーが大声で説明を始める。「お集まりの皆さん。
今回の特例措置は人道的見地にも基づく新たな試みです。
お手元のリーフレットをお読みいただくとともに、私達の社会の多様性を探る試みの一つとして、どうか温かい目で見守ってください」
この言葉に、自然と拍手が湧き、着甲科の生徒達の緊張もほぐれた。
チーヤが食事を載せたトレーをリーエの前に運んでくる。「さあ、召し上がれ」
リーエの食事の様子を、着甲科の皆が見つめていて、リーエは「えへー、なんだか緊張するね」といいながら、スプーンを手に取りスープをすする。
次いで、ナイフとフォークで具材のサツマイモを食べ、ニンジンやタマネギといった他の具材にフォークを進めていく。
すると、大粒の涙がリーエの瞳からスープに落ちるので、チーヤが慌てる。「どうしたの、苦しいの?」
チーヤが顔を上げて首を横に振る。「ちがうの、おいしいの。
食事が辛くなくて、おいしいのって、こんなに幸せなことなんだね」
これを聞いてチーヤはこらえきれなくなり両手で顔を覆うと後ろを向く。
着甲科の生徒だけでなく、遠巻きにこの様子を見守って居た生徒達も涙ぐむ。
こうして、リーエの着甲しての食事は広く全校に受け止められ、一と月もしないうちに「見慣れた風景」として多くの生徒から見過ごされるようになった。
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