第014話 チーヤとの学び

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生

・ヴィセ:十八歳、リーエの同室、一年生



 朝。

 一般の生徒は六時の起床ラッパで目を覚ます。

 徹攻兵の生徒は特例で七時半に起床することが許されている。

 これは、午前中の講義がなくとも、義務として七時半には起きなければならない。

 朝起きると、リーエはピルケースを開き、六カプセルと十錠、合わせて十六個の薬を飲み込む。

 ヴィセがたずねる。「抗鬱剤?」

 「えへー。

 そう。

 これをのむと悲しさとか怖さが和らぐの。

 なくなってくれるのがいちばんいいんだけどね」

 ヴィセの目からみても、着甲していた時、フェイスマスクを上げた時のリーエの目つきと、いまの、どこかぼやけた目つきは違う。

 交代で洗面室を使い、歯を磨き、髪を整える。

 ヴィセがいう「今日は、十時からの講義だから、それまでゆっくりすごせるね」

 リーエが返事する「えへー、そうなんだ。

 じゃあ自分で頑張ろう」

 と、クローゼットから制服を出して、一つ一つ身につけていく。

 一番苦労していたのが蝶ネクタイの結び方で、両端のカットされている部分の長さが合わない。

 ヴィセが様子を見ていて「やってあげようか」と声を掛ける。

 リーエが横に首を振る。「えへー。

 制服を着られるのってもう何年もなかったことなんだ。

 十五で鬱になってね、それから、病院学校で勉強していたんだけど、病院学校だと、患者着なの。

 だからこんな立派な制服憧れてたんだー。

 だからリボンも、自分でしめられるようになりたい」

 ヴィセがうなずく「そっか。

 まだ時間は有るから、練習するといいね」

 リーエは何度も繰り返して、やっと、ちょっとずれているけど、それなりの形に結べた。

 学年をしめす紫の蝶ネクタイ。

 そしてチーヤとのシュベスターを示す赤の八端十字架

 ヴィセは、机に向かいテキストを開いている。

 

 王立女子士官学校の講義は、多岐にわたっている。

 戦争とは戦闘のことのみを差す語義の狭い言葉ではない。

 戦闘とは戦争の一つの瞬間でしかなく、戦争とは外交の一つの状態を示す言葉である。

 資源や土地に生活する人々の選択によって、地図は書き換えられ、その課程で戦闘が起こる。

 人々の選択とは歴史や風土、宗教だけではない、経済やたとえば単なる噂だけでも状況が変わってくる。

 一旦戦端が開かれれば、双方にそれなりの被害は発生し、その結果防御面が弱くなれば、直接対峙する二カ国だけではなく、第三国、第四国の魔の手が伸びてくる。

 それをそもそもコントロールするのが政治であり、その政治を軍事力という側面で支えるのが軍隊の仕事であり、その管理をするのが「士官」ということになる。

 砲兵科は砲弾を目的地に到達させるために測量の技術が必要となるし、歩兵科は時に部下の歩兵を率いるための十分な体力が必要となる。

 財務科は周辺諸国の武力と釣り合う武器を調達するための財務交渉を財務省とするだけの知識が必要となるし、近年では電子科という、コンピューターネットワークを使った高度な情報戦が求められる。

 その全てを、全ての生徒が学ぶわけではないが、一つの国防省という組織で働くためには、専門分野は深く、非専門分野は浅く広く知らなければならない。

 リーエは、十月一日の入学式に出席しなかったばかりか、先日の十一月一日に出頭してくるまですでに一ヶ月の遅れをつくってしまっている。

 しかも高卒資格もない。

 学歴でいえば事実上の無学歴といっていい。

 当然、わからないことばかりの中、突然大学に進学してしまい、その、どうしよう、の不安が襲ってきて、自然とベットに座り、そのまま横になってしまう。

 ヴィセがたずねる。「どうした、疲れた」

 「えへー、違う。

 なんかふと、私この学校でやっていける気がしなくなってきた」

 「どうして」

 「だって、学歴ないもん」

 「どゆこと」

 リーエも、さすがに横になったまま話し続けるのは失礼な気がして体を起こす。

 「十五で病院学校に通ったじゃない。

 だけどさ、そこで単位を取って、大学入学許可証を手にすることはできなかったんだ。

 なんとか、中学の単位は揃えたけど、大学入学許可証はだめだった」

 ヴィセが驚く「え、それでどうして入れたの」

 「防衛省の人が徹攻兵は、ここでしか訓練出来ないから、って入れてくれたの。

 でも、ここでの単位はそれだけじゃないじゃない。

 勉強、ついて行けるかなーって」

 ヴィセはリーエの身の上を聞いて、目線を落としてしまう。「私も協力するよ。

 一緒に頑張ろう」

 と、ヴィセが答えたところで、部屋の扉がノックされる。

 ヴィセが大声で返事する「はい、どうぞ」

 現れたのはチーヤ。「おはよー。

 今日は十時からでしょ。

 少しお話ししようと思って。

 ヴィセ、いいかな」

 ヴィセは歓迎の姿勢で談話用のテーブルを取り出す。「どうぞどうぞ、ちょうど今、リーエの悩みを聞いていたところだったんです」

 チーヤは椅子に座り、顎を引きながらたずねてくる。「どんな悩みか、聞いてみてもいいかしら」

 リーエはかいつまんで、学歴がないことにより、学習について行けるかの不安を口にする。

 チーヤはそれを聞いて薄く笑う。「それね、それについては安心していいわ。

 ヴィセ、あなたにも少し協力してもらいたいんだけど」

 ヴィセが答える。「どんなことでしょう」

 「これまでの講義の要点や、ノートを取ったりしたじゃない。

 それを、リーエに教えてあげて欲しいの」

 ヴィセが驚く「それだけ、ですか」

 チーヤがうなずく「それだけ、です。

 そしてリーエ、あなたはヴィセの説明だけでなく、これからの講義でわからなかったこと、全部メモしてください。

 まあ、病気のことで完璧には行かないかも知れないけれども、とにかく、わからなかったことを残して」

 リーエが答える。「えへー、全部は無理かも知れませんが、頑張ります」

 チーヤが答える。「そっか、全部はいいすぎか。

 ともかくわからないことはできるだけメモする。

 それをおねがい」

 リーエがたずねる「それをどうするんです」

 チーヤが、胸に拳を宛てて返事する。「私が教えます。

 私だって、アデル・ヴァイス勲章を狙っている身ですからね、後輩の指導も含めてやり遂げてみせますよ」

 リーエがまたもたずねる。「えへー、わたし、高校の範囲も聞きますよー、わかってないですもん」

 チーヤが答える。「当然でしょ。

 そこまで含めて、あなたの卒学を支援するのがシュベスターとしての私の役割ですから。

 基礎から、一緒に学びましょう。

 まあ、勉強なんてね、試験と論文さえクリアすれば、非番の日に羽を伸ばすことはできるから」

 リーエがこの質問をするのは三回目になる。「どうしてチーヤさんはそこまでしてくださるんですか」

 チーヤはいたずらっ子のように笑いながら返事する。「それには色々ありましてー。

 おいおい話しましょー」

 リーエが食い下がる。「今、じゃないんですか」

 チーヤの笑顔は変わらない。「今、じゃないかなー」

 リーエが話しを切り替える。「ところでそういえば、アデル・ヴァイス勲章って何ですか?

 セテーさんが狙っているって話しでしたけど」

 チーヤの笑いが軽くなる。「それね、私も、徹攻兵として身を立てて狙いたいとは思っているけど。

 この学校の最優秀卒業生に女王陛下自ら下賜される勲章のことなのよ。

 アデル・ヴァイスとは、ドイツ語で「高貴な白」という意味なの。

 女王陛下にはいろいろな肩書きがあるでしょ。

 そもそも、

 ヤーの丘より来きたりて、ゾウモンの丘に至りし、ザキの丘の主、ミノヴァ陛下、

 というのがこの国の元首としての呼び名だけれども、ドイツ極北十字軍軍団長としての立場ももたれているの。

 そのドイツ極北十字軍軍団長として最優秀卒業生に下賜するのがアデル・ヴァイス勲章というわけ。

 セテーは正直成績もよく、なにより徹攻兵としての能力が他の子より高かったから選ばれる確率が高いのよ。

 悪い人じゃないんだけれども、すこし鼻が高くなっていたところをへし折ったのがあなたなの」

 リーエが頷く。「なるほど」

 チーヤが話す。「こんな感じよ。

 あなたがわからないことがあったら何でも聞いて。

 特に学習面は、私、けっこう悪く無いんだから」


 欧州の新学期は九月に始まる。

 入学式は十月に行われる。

 新入生になって、まだ一ヶ月しか経たないヴィセも知らないことだったが、この六月の最終学期で、一年生の講義試験の結果を、総合で一位通過したのがチーヤだった。

 リーエとヴィセの講義の時間はチーヤも把握していた。

 チーヤは、ヴィセのことも気づかいながら、空き時間にはなにかと顔を出し、チーヤの疑問に答える形で学習を手伝うようになった。

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