対岸の花火

みこと

第1話

「花火大会見に行かない?」

 サークル帰りに、不意にセンパイに呼び止められた。

 センパイとは、大学のサークルの先輩だ。

 大学の時、私は吹奏楽サークルに所属していた。

 センパイは二つ上で、テナーサックスを担当していた。中学からやっていたという楽器の腕前はなかなかで、ソロコンクールなどで賞を取ったことがあるそうだ。

 入部したての楽器初心者の私から見れば、楽器の上手い先輩達は憧れの対象だった。先輩達は難解な楽譜をものともせず、いともたやすく歌い上げる。その情感豊かな旋律と、音楽を表現しようとする熱い姿勢。普段はふざけていたり物静かだったりする先輩達でも、楽器を構えるとスイッチが入る。演奏中は本当にかっこよかった。早く私もそうなりたい。そんな思いで部活に参加していたのを覚えている。

 そんな先輩達の中でも、私の心を捕らえて放さなかったのは、センパイ。もう名前も思い出せないが、普段も優しく、演奏も上手いセンパイは憧れだった。

 特に好きだったのが楽器を吹く前のセンパイの仕草だった。

 楽器を吹く前の、リードを湿らせるために唇を舌で舐める。その仕草がたまらなく好きだった。いつもその仕草を横からこっそり盗み見てしまう。

 舌を這わせることで潤った唇がほのかに紅く色づく。そして、その湿った唇が半開きになりリードを銜え楽器に息を吹き込む瞬間、私の鼓動はいつも早くなる。音を生み出すためのこの動き、そのときのセンパイの横顔が、私にはたまらなく魅力的だった。パートでの練習などでメロディを吹いてもらう時、この仕草を盗み見てはいつもどきどきしていた。

 そんなセンパイには、長く付き合う同級生の彼女がいた。フルートパートの由希先輩。すらりと身長が高く、色白でストレートロングの髪型が似合う和風美人。しかもフルートは学生時代にソロコンクールなどで表彰されるほどの腕前。そんな由希先輩と、センパイはお似合いのカップルだった。二人でアンサンブルをしている姿は絵になった。だから、到底私なんかが奪える相手ではないことは理解していた。

 ただ、好き。憧れ。片思いでもいい。

 私はただただ、センパイの姿を見ているだけで幸せだった。




 そんなセンパイにサークル帰りに声を掛けられた時、私は単純に嬉しかった。サークル以外でセンパイと遊べる。誰と一緒なのか分からないけれど、きっと楽しい。

どんな服で行こうか悩んだが、結局いつもと変わらずTシャツと短パンを選ぶ。本当はスカートで行きたかったが、学生の移動手段は自転車だし、センパイとの待ち合わせも自転車でコンビニ集合。なので、いつもと代わり映えしないながらもお気に入りのTシャツを選び、メイクや髪型もいつもより頑張って待ち合わせ場所へと急いだ。

連日猛暑続きの町は昼間の暑さを孕んだままでそんなに涼しくも感じられなかったが、そんなことは気にせず、自転車のペダルをこぐ。そうしながら、ふと思う。町は祭りの雰囲気もなく、いつもの日常を送っている。花火大会なんてあったっけ?

 待ち合わせのコンビニに、センパイは先に着いていた。

「行こうか。」

 ビールやチューハイを買った袋を自転車のかごに入れながら、センパイが言った。

「花火大会は?」

 センパイはそれには答えず、自転車にこぎ出す。

「こっち。」

 センパイの背中を頼りについて行くと、海沿いの緑地に出る。

 聞こえる。遠くに花火の音が、聞こえる。

 堤防に上ってみると、遠くにキラキラと光る花火と、その後ドーンと響く音。

「花火大会、対岸なんだよね。」

 湾を挟んで向こうの町の花火大会。確か、センパイの故郷だと聞いたことがある。今日はちょうどそこの花火大会だったのだ。堤防に腰掛けながら、対岸の花火を眺める。距離がある文小さいが、いくつもの花火の輪が水面にも反射してキラキラしている。そして、その後間の抜けたような音。

「綺麗。」

「でも、やっぱり迫力は物足りないな。」

 対岸の花火は綺麗だけど迫力もなくて、花火は直ぐに飽きてしまった。しかし、私たち以外誰も来ない。二人きりの気まずさもあり、センパイに話しかけてみる。

「あれ、由希先輩は?今日誰が来るんですか?」

「来ない。」

「今日のメンバーは?」

 センパイはそれに答えなかった。その代わり、「飲む?」とさっきコンビニで買ったチューハイを差し出した。二人きりのチャンスだ。それが嬉しくて、私ももう余計なことは聞かなかった。

 飲みながら、他愛もない話をした。夜風が気持ちよかった。

最後の花火が打ち上がり、燃え滓が一通り話も尽きてお互い無言になった。不意に訪れた静寂に、今更ながらどきどきしてしまう。

「・・・・・・終わったね。」

「うん。」

「この後、時間ある?」

 センパイは私の目を窺うようにして、こう言った。

「うちで飲み直そうか。」

 え、家?

 由希先輩は??

 喉の奥まで言葉が出かかった。

 そんな私の様子を察してか、センパイは言った。

「今日さ、あいつ実家に帰ってる。気にしなくていいから。」

 その言葉に押されて、私はセンパイについて行った。憧れのセンパイの家に行ける。いつもならそれだけで舞い上がりそうになるだろう。でも、さっきのセンパイの一言が心の隅で引っかかる。なんで私?センパイの意図が透けて見えるような気がする。だけど、この二人きりのチャンスは逃したくない。

 センパイの家はこじゃれた学生向けマンションの3階にあった。男の一人暮らしにしては小綺麗で、玄関を飾る雑貨などにセンスが感じられた。これはセンパイの趣味なのだろうか。嫌でも由希先輩の気配を感じてしまう。

「お邪魔します。」

 ワンルームの部屋で割と直ぐにセンパイの彼女を見つけてしまう。ローボードの上の写真立てに飾られたセンパイと由希先輩のツーショット写真。

私がじっと眺めていると、センパイはちょっと困った顔をして、写真を遮るようにしてチューハイを差し出す。

「とりあえず、飲もう。」

 缶と缶が鈍く音を立てた。余計なことは考えたくないから、チューハイを一気に流し込む。喉元を流れていく液体が、やけに甘く感じられる。もっと酔ってしまえ。大好きなセンパイが目の前にいる。それだけで十分。

 私はなんとか場を盛り上げようと、くだらない話を思いついてはセンパイに話しかける。サークルの仲間の話。今テレビに映っている芸人の話。それをセンパイは笑って聞いてくれていた。と、思う。本当のところはわからない。だって、酔いと自分の勢いで全然センパイを見れていなかったから。

 ひとしきりしゃべり、チューハイも二本目が底をついた。

 すると、センパイがすっと私の肩を抱き寄せてきた。

 なんとなく、分かってた。

 自分の心音が大きく聞こえる。

「・・・・・・したい。」

 テレビの音だけが響いている。

 センパイはテレビを消した。そして、ぎこちなく向き合う。私が見ていたのはセンパイの唇だった。いつも楽器を奏でるその唇は、今日はアルコールのせいか既にいつもより紅く色づいている。どくんと心臓が高鳴る。

「・・・・・・いーよ。」

 いつも隣で見ていたセンパイの唇。楽器を咥えるその唇が、私を捕らえる。

「んっ・・・・・・。」

 センパイの唇が熱い。そして、舌が奥に侵入してくる。センパイからキスされている。その事実だけで、脳が溶けそうになる。経験の少ない私は、どうしていいか分からない。

 思わず吐息が漏れる。

 ああ、今日は私がセンパイの楽器なんだ。

 なら、いいように、して。

 センパイは私を確認するように目を合わせた。

 恥ずかしくて目を背ける私にもう一度唇を重ね、そのまま手をTシャツの下に滑らせてくる。

 身体の奥は期待をしてしまっているのに、緊張でどうしていいか分からない。そんな私を、センパイはキスで、手で優しく解していく。センパイが私に触れている。それだけで、脳の奥から蕩けそうになる。思わず声が出そうになるが、そんな声を聞かれるのが恥ずかしくて、指を噛む。そんな私に「いいよ」とささやき、指を口元から外した。声にならない吐息だけが、部屋に響く。

 センパイの指が茂みの中の小さな突起を探り当て、優しく触れる。

「あっ・・・・・・。」

 思わず声が漏れる。今まで恥ずかしくて耐えていたのに、その自分の声に身体が熱くなる。

「気持ちいい?」

「ん・・・・・・。」

 センパイは優しくそこを刺激する。これまで同級生の男の子との、ぎこちないセックスしか知らなかった私の身体は、その優しい刺激で緊張が解されていく。センパイは私の反応を窺いながら、その突起を愛撫することを止めない。身体の芯が解けて身体が勝手にびくんと反応する。だんだんと身体の奥が熱く高まってくる。身体が反応しすぎておかしくなりそうだから逃げたい。そう思って腰を動かそうとするけれど、センパイは逃がしてくれない。

 ああ、センパイは女の人を悦ばすのに慣れている。そう思った瞬間に、ふと、由希先輩のことが過ぎった。

 きっと、由希先輩はいつも、センパイからこんなに優しく抱かれている。気持ちいいところを探られ、心底心の底から溶け合っている。

 そう思うと、すっと冷静な自分が現れる。

 そうすると、身体はうまく反応できなくなる。

「んあっ。」

 私は小さく声を上げた。今はセンパイのことに集中したい。センパイに、気持ちよくなってもらいたいから。

「気持ちよかった?」

 センパイが尋ねてくる。私は顔も見れずに「うん」と小さく頷いた。センパイは、奥の窪みに指を滑らせた。そして、ゆっくりと解されていく。

「入れるよ。」

「うん・・・・・・。」

 センパイが私の奥へと侵入する。わずかな痛みと、充足感。

 身体と身体が密着する。センパイと繋がっているその実感が、体温ごと、愛おしい。

 でも。

 これは本来私のものではない。

 センパイは優しい。私のことを思いやりながら抱いてくれているのが、経験の少ない私でもわかる。センパイとのセックスは気持ちいい。

 だからこそ、つい余計なことを考えてしまう。

 センパイはどんなふうに由希先輩を愛するのだろう。

 センパイの愛撫で、由希先輩はどんなふうに身体を震わすのだろう。

 センパイの動きで、由希先輩はどんなふうに啼くのだろう。

 センパイの動きが力強さを増す。

 なのに。

 イけない。でも、気持ちいい。

 気持ちいい、のに、イけない。

 私はそのとき初めて由希先輩に嫉妬した。




 吐息で熱く湿った空気が夜の闇に少しずつ溶けていく頃、私は身支度をし、「帰るね」とセンパイに告げた。センパイが送っていくというのを固辞して。

「由希にはこのことは・・・・・・。」

「分かってます。」

 帰り際のセンパイは、申し訳なさそうな顔を浮かべていた。

 なんでそんな顔するの?そんなこと、どうでもいいのに。

 気づいてた。遊びで誘われたってこと。

 そして、分かった。センパイの気持ち。

 都合良く遊ばれたってことなのだろう。それでも構わない。

 センパイと由希先輩が一緒に歩いていたとしても、多分別に何も思わない。

ちょっとだけ、心が穏やかでなくなるかもしれないけど、大丈夫。そのときは物分かりのいい女のふりしてそんな二人を見送るだけ。

 敵わない恋敵と戦うほどの、スペックもないし技術もない。だから、センパイはあくまで憧れのセンパイで、これまでとは変わらない。対岸の花火のように、届かない場所からずっと見守るだけ。花火は、いつか終わる。

けど、身体は正直にあの一夜を思い出す。

 あのときの燃え滓が身体の奥に留まって疼きが収まらないとき、布団の中で、センパイの感触を思い出しながら、触れる。

 紅い唇。舌の温度。

 首筋から胸元へ這わす舌の感触。

 敏感な中心を刺激する指の動き。

 奥へと侵入する瞬間。

 ああ、もうそれだけで茂みの奥はもう甘い蜜で潤んでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

対岸の花火 みこと @minakoto3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ