戦闘後戦闘適応調整
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──戦闘後戦闘適応調整
戦闘適応調整は3つの段階に分けられる。
戦闘前戦闘適応調整。戦闘中戦闘適応調整。戦闘後戦闘適応調整。
それぞれは名前の通りだ。
戦闘前戦闘適応調整は戦闘が行われる前に行われる。ここでやることはこれから人を殺しに行く兵士たちに、引き金を引きやすいように調整してやることだ。
確かにオペラント条件付けを徹底すれば人は撃てるようになる。そのことはローデシア軍がゲリラとの戦いで証明した。オペラント条件付けを訓練に取り入れたローデシア軍はゲリラの何倍もの殺傷率を誇った。
だが、そこまでやっても引き金が引けなくなる場合があるのだ。
そう、子供兵だ。
子供兵を殺すのに全く戸惑いを覚えない人間がいたとすれば、それはサイコパスだ。どれだけタフガイを気取っても、タフガイだからこそ、子供を殺すのを戸惑うのだ。子供殺しはタフガイのする行為ではないが故に。
子供兵に向けて引き金を引くのは、戸惑いが生じる。それは彼らが自分の意志で戦闘に参加しているわけではないと理解しているから。それは彼らが軍閥の大人たちにいいように利用されてると理解しているから。それは彼らがある意味では無力な立場であることを理解しているから。
その重くなる引き金を軽くするのが戦闘前戦闘適応調整だ。
オペラント条件付けのような単純な心理学的処置ではない。その人間個人の引き金が重たくなる条件を探し出し、薬物と言葉でその条件を一時的にあいまいにしてしまう。一種の洗脳に近い処置であるが、この手の処置は現代の精神医療で使われている。子供兵を殺すことのストレスと、対人コミュニケーションを取ることのストレスは同じように消せるのだ。薬物と言葉によって。
戦闘中戦闘適応調整はナノマシンが戦闘中に行う半自動的な処理だ。
適度な緊張感と人工的に作られた殺意で、敵を殺す。2030年代はこれだけで戦闘適応調整と呼んでいた。今となっては完全なおとぎ話だ。これだけではとりあえず引き金は引けても、PTSDは回避できない。
しかも、引き金もとりあえず引けるだけだ。人工的な殺意では殺意足り得ない。本当の意味での殺意を、相手を確実に殺すということへの決意を、そのような悪意を抱かせることはできないのだ。
だが、ナノテクも進歩を続けているのは事実だ。今では“人工的な愛国心”と組み合わせて、人工的な殺意を補強しようとしているという。
“人工的な愛国心”の次は“人工的な隣人愛”だろうか。それとも“人工的な人種的嫌悪”だろうか。どうやら科学者たちにとって感情はもはやコーヒーの種類決める気分で切り替えさせられるものらしい。
戦闘後戦闘適応調整は、言った通り戦闘後のアフターケア。
ここでは戦闘前戦闘適応調整と違って、兵士を戦場から日常に戻す試みが行われる。やはり言葉と薬物を使い、脳の緊張感をほぐし、殺意を治め、戦場の空気を忘れさせ、兵士を戦場から日常へと連れ戻す。
今のご時世民間軍事企業が設営する宿営地には、対戦車ロケット弾でも貫通できない高い壁が設置されてる。兵士たちは日常と戦場にはっきりと区別を付ける。この区別が付かなければ、兵士は戦場を引きずり続け、精神を病むことに繋がる。
一時期はドローンの操縦士にもその傾向が見られた。
対戦車ミサイルで敵兵を吹き飛ばした後に、すぐに子供を迎えに学校に向かう。戦場と日常の境界線があいまいになり、気持ちの切り替えができず、徐々に精神を病んでいくというものであった。
それを解消したのが戦闘後戦闘適応調整だ。
戦闘にきっちりと終わりを付ける。戦闘と日常に線引きをする。
これがあるからこそ、現代の兵士はそこまでPTSDに悩まされないんだ。
ただ、問題は非対称戦の場合、戦闘が終わったとされて、突如として戦闘に巻き込まれる可能性があることだ。
そうなると兵士は戦闘後戦闘適応調整を受けても効果が薄くなる。
「では、部下のことでお悩みなのですね?」
羽地はここで率直にミミックたちのことについて話すわけにはいかなかった。
ミミックたちの高度な機密に当たり、それを知る人間は限られているのだ。ここが日本情報軍の関係組織であろうと、機密を喋ることは許されない。
「ええ。非常に物事に影響を受けやすい状況で、どうすれば守ってやれるんかと」
しかしながら、羽地の話すべき心配な出来事などミミックたちのことぐらいである。
もう羽地は子供兵を殺すことには慣れてしまっている。タフガイを気取っているわけではない。もう既に説明したようにタフガイほど子供兵を殺せない。ならば、サイコパスか。そうかもしれない。
長年に渡る戦闘適応調整をく繰り返し受けてきたために物事の善悪が分からなくなりかけている。戦闘前戦闘適応調整によって引き金は軽くなり、戦闘中戦闘適応調整では人工的な殺意に操られ、戦闘後戦闘適応調整によって戦場から日常に強引に引き戻される。
これを何度も、何度も、何度も、何度も繰り返してきたのだ。
自分があいまいになっていくのを感じる。物事の正しさと間違いが分からなくっていく。子供兵を殺すこととコンビニでポテトチップスを買うのは同じ行為なのか?
こんな状態にならないためにも、アリスたちのメンタルケアはしっかりとしておいてやりたかった。羽地が戦闘後に悩むことなどそれぐらいだ。
しかし、まずは戦場から日常に引き戻される。薬物と言葉で。そろそろ薬物と言葉のオーバードーズで死んでしまうそうだ。慈悲に満ちた民間軍事医療企業の精神科医の言葉で、彼の処方する無機質な薬で、羽地は溺れそうになっていた。
脳から緊張感や殺意が消えたことを精神科医が確認してから、精神科医がゆっくりとした口調で悩みはないかと尋ねる。羽地は自分がオーバードーズで死にかかっていることなど言わない。ミミックたちのことを尋ねる。
「戦場に出さないという選択肢はないのですか?」
「残念ながら。我々にはそれを行う権限がないのです」
アリスたちを煽情に出さなくていいならば羽地は喜んでそうしただろう。だが、日本情報軍は一刻も早いミミックの実用化を求めている。
「では、できることはあまりありません。ちゃんと戦闘適応調整を受けて、積極的に心を守ることです。戦闘適応調整はここで?」
「いいえ。別の場所で」
アリスたちの戦闘適応調整を行っているのは、真島だ。
そもそも普通の精神科医にAIのメンタルケアができるなどとは期待していない。
ガリウム砒素と素敵な何かできたミミックたちの脳を覗き込むのは
脳の動きを見ながら、薬物と言葉で患者を戦場に送り、日常に出迎える人間の精神科医には、アリスたちのようなミミックは扱えない。そのことはまえに真島自身が宣言している。人間とミミックの感情の構成の方法は多く異なるのだと。
「では、あなた方が傍にいて、見守ることです。親しい関係を構築していますか?」
「それなりには」
「ならば、やはりあなた方が傍にいて見守ることです。それが一番確実な方法でしょう。人とのコミュニケーションが取れているだけで、多くの問題は解決します。孤独あることがもっともいけないのです」
孤独とは精神に悪影響しか与えないのだと精神科医は言った。
「その方々のことを思うならば、積極的なコミュニケーションを。プライベートな時間を作って、ゆっくりと会話をしてあげてください。それだけで思った以上に救われるものなのですから」
「はい」
羽地はそう言って席を立った。
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