先輩は好きな人がいるんですか?
……………………
──先輩は好きな人がいるんですか?
羽地は急に忙しくなった。
部隊の出撃準備をするための書類仕事ができたからだ。
だが、だからと言ってアリスとの約束を違えるわけにはいかない。
「アリス。好きなところに座って」
「はい、先輩」
どうにも絵図が犯罪的だなと羽地は思いながらも、アリスを自分に割り振られた部屋に案内した。いくら外見をナノマシンで若く保ってるとは言えど、三十路を越えたおっさんが15、16歳の少女に自分のことを先輩だと呼ばせているのは。
初対面の時に羽地様と呼ぶものだから冗談で羽地先輩と呼んでくれと言った羽地が全面的に悪いのだが。矢代にも白い目で見られていたしで。
「……ところで、その枕は?」
「羽地先輩の部屋に行くと言ったら、スミレが持っていけと」
「……どういう意味があるかは聞いた?」
「いいえ。YESとNOと書いてあるんで、意思疎通のためのものでしょうか?」
「うん。まあ、そうなんだけど」
スミレにこういうことを教えたは古今の野郎だな。今度八木大尉と一緒にズタボロになるまで訓練に叩き込んでやると羽地は決意した。
「その、先ほどの呼び出しはお仕事の呼び出しでしたか?」
「ああ。ちょっとね。出撃があるかもしれない。その準備をしておけってボスが」
「それでしたら、私がお手伝いしましょうか?」
「助かる。各ミミックのメンタル状況について──」
いやいや。待て待てと羽地が自分を制止する。
「今はアリスの時間だ。アリスと俺が対話する時間だ。仕事の話はなし。いいかい?」
「分かりました。いつでもお手伝いしますから」
本当にアリスはデータベースから学べる仕事はそつなく何でもこなしてしまう。だから、ついつい頼りたくなるときがある。部隊の運用においてもミミックたちの纏め役でリーダーはアリスだ。
だが、今はアリスに頼られる側だと羽地は自分に言い聞かせる。
「それで、えーっと、何の話だったっけ?」
中央アジアのことと仕事のことで羽地は頭がごっちゃになっていた。
「その、恋をすると魂が芽生えるのではないかという話の途中で……」
「そうだった、そうだった。だけど、それはなかなか難しいよ」
この会社に、この部隊に、そもそもこちら側に来ている人間たち全てにアリスと似通った年齢の少年はいない。いや、少年でなくとも今のご時世構わないのだが、いずれにせよ少年少女はいない。
「もしかして、気になるミミックの子がいる?」
「いいえ」
即答されて、羽地は頭を抱えそうになった。
「なら、そうだな。出会いが必要だな」
「必要でしょうか?」
「いや。恋愛ってものはひとりでやるものじゃないからな」
「ええ。『相手との相性も確認しなければならない。それからふたりの時間を取って、お互いを知っていかなければならない』という条件なのですよね?」
「うん。まあ、一般的にはそうだな」
「その、あの、それでしたら」
アリスがイエスノー枕で顔を隠す。
「……羽地先輩がいいです」
「あ……」
羽地は思わず言葉を失った。
アダムとイブは知恵の実を食べて恥じらいを知った。そのせいで神にエデンから追放されたと言われている。羽地は宗教の専門家ではないのでわからないが、神がアダムとイブを追放したのは恥じらいを覚えた彼らが──可愛かったからではないだろうか。
いや、冷静になるんだ、羽地。お前はもう三十路を越えて永遠の独身ルートを突き進んでいる。仕事一筋。仕事のために何もかも犠牲にしてきた。
ここにきてロリコンの烙印を押されて、出世の道を閉ざされては敵わない。
「アリス。気持ちは嬉しいが……」
「先輩は好きなが人がいるんですか?」
アリスはイエスノー枕から顔を出して、真剣な表情でそう尋ねた。
「いや。いない」
「それでしたら、私を。私は羽地先輩のことについての経験値はそれなりに高いです。書類のお仕事もお手伝いできます。任務も他のミミックたちより頑張ります。ですから、私の恋人になってくれませんか?」
アリスは思った以上に押しが強かった。
羽地は運命の岐路に立たされている気分だった。
ここで断ればアリスのパフォーマンスは大幅に下落するだろうことは想像できる。だからと言って、アリスを恋人に? 彼女は15歳程度の外見年齢だぞ。実年齢に至っては製造から2年経っているか経っていないかだ。
「……やっぱり私ではダメですか?」
アリスはしょんぼりとした様子でそう言う。
アリスは落胆のリアクションだけはしっかりと学んでいた。いや、落胆だけではなく、悲しみや泣くといった負の感情のパフォーマンスだけはしっかりしていた。それは七海が近くで八木に怒られては、しょんぼりしているからだろう。
それから間違いなく古今が持ち込んだ漫画やアニメ、ドラマの影響。
スミレはすっかり毒されてしまったが、アリスは無事だと思っていたのだが。
「ダメじゃない。ただし、条件がある。このことを他の誰にも知られてはいけないということ。他言無用だし、部隊にいるときの君はミミック01としてのアリスだ。俺とのプライベートの時間だけは恋人ということにしよう」
まあ、恋人ごっこのようなものだなと羽地は思う。
「いいんですか?」
「ああ。それがアリスの助けになるなら」
「嬉しいです」
アリスがぎこちない笑みを浮かべる。
「ほら。笑う時はもっとこういう感じで」
「そうでした。こうですね」
アリスが指で口角を釣り上げる。
「それでは、羽地先輩。一緒に寝ましょう?」
アリスが突然そういうのに羽地はむせそうになった。
「い、いや。アリス。恋人だからと言っていきなり一緒に寝るものじゃないぞ。それにアリスはメンテナンスポッドで真島博士から診断を受けないといけないだろう?」
「それでも1時間か2時間くらいなら。それともやはり、お忙しいですか……?」
アリスはまたしょんぼりした表情を浮かべる。
羽地は必死に考えていた。
アリスは人間になりかけのアンドロイドだ。これから人間的情緒を学ばせて、人間として通用するようにするのが羽地たちの任務である。であるならば、こういう場合どうするべきだろうか?
この際世間体は無視しよう。これも仕事だ。
だが、恋人になりましょうと言っていきなりベッドインというのは人間的な情緒に欠ける気がしてならない。そういうタイプの人間もいるだろうが、アリスにそういう風に育ってもらいたいとは思えない。
これから羽地たちが何気なく応じている対応ひとつでアリスたちの人格は大きく影響を受ける。そう考えると責任重大だった。
「いきなりベッドを共にするものではないな。まずはお喋りからだ。今、ハーブティーを淹れるから、それでも飲みながらお喋りをしよう。俺はアリスのことを知っているけど、アリスは俺のことを知らないだろう?」
「手順というものがあるのですね」
「そう、手順だ。お付き合いというのは段階がある。しっかりと相手を確かめてから、これからのことを決めるべきだ」
「偵察と情報収集は戦術の基本ですね」
「そうそう。その通りだ」
軍人としては文句なしの出来なのに、こういう一般人的なことについては抜けているんだよなあと羽地は思った。
「アリスは俺に何が聞きたい? 答えられる範囲なら答えるぞ」
「いいのですか? 機密に触れませんか?」
「ああ。だから、機密に該当しない範囲でな」
羽地自身、日本情報軍特殊作戦部隊のオペレーターという機密の塊だ。正体を偽装しなければいけないことは多々あったし、今でも表向きの身分は日本情報軍ではなく、シェル・セキュリティ・サービスの社員である。
「では、羽地先輩は初恋の経験はおありですか?」
「うん。あるぞ。中学の時だな。俺は文学部でひとつ上の先輩に一目惚れした」
……………………
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