アンドロイドの発育
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──アンドロイドの発育
「アリス。別に君との接触を避けているわけじゃない。ただ、分かるだろう? 俺は八木大尉の上官であり、月城曹長の上官であり、古今軍曹の上官だ。部隊の指揮官だ。やらなければいけないことがいろいろある。そのせいだ。今後はアリスとの時間も作ろう。八木大尉は下士官からの叩き上げだ。軍の雑務にも詳しい。仕事は八木大尉にも手伝ってもらって、時間を作るよ」
羽地は何ともないという顔をしてそういう。
「それは本当に先輩の負担になりませんか? 無理をされていませんか?」
「大丈夫。言っただろう、八木大尉に手伝ってもらうって」
「私は本当に羽地先輩に迷惑を掛けたくなくて……。でも、スミレ、リリス、七海を見ていると、胸の中が苦しくなるんです。私も同じような経験値を積みたい、と。これはおかしなことでしょうか?」
アリスがそう言うのにまた羽地は頭を抱えそうになった。
まるで思春期の少女を相手にしているかのようだ。実年齢より発達しているところをいつもは見せてくれるのに、こういところは外見年齢相応なのだ。
「負担にはならない。なったとしてもそれは俺の役割だ。アリスのバディは俺なんだからな。俺がアリスを発育させて、経験値を詰ませて、人間に近い存在にする。それに魂だってまだ欲しいんだろう?」
「はい……」
アリスとその開発者の真島博士の究極的目的はアリスたちに魂を宿らせること。
魂。シジウィック発火現象。
脳の複雑なニューロン発火が凝集性エネルギーフィールドを作り、人の無意識的な判断に影響を与えるというもの。これを見た人々はそれを魂と呼び、科学者たちはそれをシジウィック発火現象と呼んだ。
果たしてガリウム砒素と素敵な何かできているアリスたちの脳に人間や他の生物と同じようなシジウィック発火現象が起きるかは謎だが、少なくともアリスたちはより人間に近い形になろうと努力している。
「俺もアリスに協力したい。手伝わせてくれ。お願いだ」
「もちろんです。私の方こそよろしくお願いします」
アリスは笑おうとしてぎこちない笑みを浮かべた。
「アリス。笑う時はこうだ。口角を上に上げて。ほら、こんなふうに」
「ええっと。こうですか?」
アリスは自分の口角を指で上に上げる。
「それが自然にできるようにならないとな。人工筋肉のビッグデータを参考にするのもいいが、他の人の顔を見て学習することも大事だぞ。スミレみたいに古今軍曹が笑う様子を学習するってぐらいにな」
「スミレみたいに、ですか……」
そこでまたアリスがしょんぼりと肩を落とす。
「あ。いや、スミレの方が優れているとかそういうわけじゃないぞ。ただ、学習する上でのアドバイスだ。アリスは学習速度も文句なしだし、今に自然に笑えるようになるさ。だから、そうがっかりしないでくれ」
羽地は独身で、子供はいない。今の日本では珍しいタイプの人間だった。
だから、このようにアリスのような子供の人格を持った人間を相手にするのは苦手だった。羽地が子供に対してしてきたことは、薬物で痛みを消した子供兵を的確に
「確かにスミレは本物の人間のように笑います。彼女が羨ましいです。彼女はデータベースからではなく、自己経験や他社の観察から多くを学ぶと言っていました。それがコツ、なのでしょうか?」
「そうだな。それも学習方法のひとつだ。データベースにも限界がある。アリスたちは未知なる道を切り開いていくんだ。既存のデータばかりを参考にするのは限界があるだろう。俺たちから学べることがあれば、学んでくれ」
「はい、先輩」
偉そうなことを言ってしまったなと羽地は少し後悔する。
アリスたちの方が学習速度は何倍も速い。羽地たちが足踏みしている間に、アリスたちはあっという間に学習していく。そうでなければ通常は1年はかかる特殊作戦部隊の養成コースを数週間でクリアするなどあり得ない、
アリスたちは貪欲に学んでいく。データーベースから、羽地たちから。
まあ、八木のようにまだ出来に納得していない人間はいるものの。
八木のようなベテランの士官ともなると、やはり経験値が異なる。多くの実戦を経験した将校にしか分からない、戦場を生き延びるコツというものはあるのだろう。
それはそれとして、アリスの問題だ。
八木に羽地の仕事を手伝ってもらうとして、今度は七海が八木と過ごす時間が減ったと言い出したら手に負えない。やはり、このバディシステムには問題があるのではないかと羽地は真剣に悩み始めた。
「先輩? その、やはりお邪魔でしたでしょうか?」
「いやいや。時間が有り余っていたところだ。他に相談したいことがあるなら、是非とも相談に乗るぞ。何を悩んでいる?」
本当は仕事は山積み。軍隊というのは書類仕事が普通の役所と同じくらいあって、その上書類を作成しながら銃も撃たなければならないのだ。
「その、スミレが古今軍曹から借りたと言って雑誌を見せてくれたんですが、恋人同士でなくとも、その、キスはするのですか?」
「ああ。ヨーロッパじゃ男同士でも挨拶として──」
そこでアリスの目を見て勘違いに気づいた。
彼女の言うキスは挨拶としてのキスではない。唇を重ねるキスだ。
古今軍曹を後で説教しておかなければと思いつつ、羽地は答えに窮する。
「キスというのは親愛の情を示すものだ。恋人ではないからというが、キスをしている時点で恋人だ。そういうものなんだよ」
「そうだったのですか……」
何故かしょんぼりするアリス。
「さあ、何でもいいぞ。今日はアリスのためにたっぷりと時間を取ろう」
羽地はタブレット端末を畳んで、アリスに向かい合う。
「ここで喋りにくいことなら、俺の部屋でもいいぞ」
「いえ。お手間は取らせません。ここで結構です。私の話を聞かれても問題はありません。他のミミックたちの経験値が上がるのでいいことです」
「そ、そうか」
変なところでオープンなんだよなと羽地はやりにくさを感じていた。
古今のように振る舞えたならばと思う時が羽地にもある。あるいは月城のように振る舞えたならば、と。彼らは思春期に近い子供の相手をすることに優れている。八木と羽地は軍人としての経験の方が長すぎて、そういう情緒を忘れてしまった。
「これもスミレが言っていたのですが、魂を得るには恋をした方がいいのでしょうか? 恋愛は絆を生み、心を形成するのだとスミレが」
スミレほどの問題児もいないなと羽地は認識し始めていた。あるいは彼女に影響を与えている古今のせいか。
「恋は難しいタスクだぞ。まずは相手が必要だ。そして、相手との相性も確認しなければならない。それからふたりの時間を取って、お互いを知っていかなければならない。そこまでしても破局するカップルはいるものだ」
「魂を得るためならば、難しいタスクだろうとこなしてみせます。ですが……」
アリスは視線を俯かせる。
「羽地少佐」
そこで八木が入室してきた。
「どうした?」
「矢代大佐がお呼びです。任務に関係することだと」
「分かった」
しかし、ここでうなだれているアリスを放置していくのは、流石の羽地も心が痛む。
「アリス。終わったら、俺の部屋で話を聞くよ」
「はい。羽地先輩」
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