タイタスの騎士
タイタス王国は今や滅亡の瞬間を迎えようとしていた。
大陸の西半分を巻き込んだ三十年戦争の間、魔術師たちの王国として名高いタイタスは押し寄せる敵を全て退けてきた。
これまでそれが成しえてきたのは、一人ひとりが大賢者として名高い五人の宮廷魔術師たちによる知略と魔術の成果であると言える。
タイタス王は五人の魔術師たちに強力な権限を与え、彼らが望むままに資金を提供してきた。五人の魔術師は王の期待に応え、タイタス王国に勝利と繁栄をもたらし、富を呼び込んだ。
何も知らないタイタス王はすべてが良い方向に進んでいるのだとずっと信じてきた。
しかし、いま目の前で王都は陥落し、炎王ウルスの率いる近衛軍が王宮へと押し寄せている。玉座の間に常に控えていた魔術師たちの姿は既になく、近臣侍従もすべて姿を消していた。
今やタイタス王に仕える者は、傍らに控える鬼族の男ただ一人。
黒い髪と目、頭部に白い二本の角を持った鬼人の腰には、大陸では珍しい二振りの片刃剣が吊り下げられている。彼は王の剣。タイタス王国最後の騎士だった。
魔術師ばかりの宮廷にあって、自身が類まれなる剣士であった王は、この異国から来た鬼人をこれまでもずっと重用してきた。
鬼人は当初傭兵としてタイタス軍に参加し、数多くの戦において大きな戦果を挙げ続けた。
実際、タイタス王自身が出向いた戦場でもその勇猛振りを目にしている。この鬼人が二刀流の刃を振るう度に、敵の兵士たちは糸の切れた人形のようにバタバタと地面に倒れていった。
戦場でたった一人、二振りの剣で華麗に舞う鬼人の姿は、この世のものとは思えないほど幻想的で、そのときのタイタス王は、戦闘が終わるまで一瞬たりとも鬼人から目を離すことができなかった。
タイタス王は鬼人を正規軍の百人隊長に迎える。その後、次々と打ち立てられる鬼人の戦果に王は数多くの褒賞を以て応えた。
魔術師が幅を利かせる王国において、ともすれば軽視されがちな剣士が活躍するのを見るのは、タイタス王にとって痛快を感じざる得ないものだった。
功績を上げ続けた鬼人はやがて爵位を得、ついには王の剣としてタイタス王を守る騎士となる。
王の剣イサミ・フワデラ侯爵。異国の鬼人にして二刀流の使い手。
鬼人は人間と比べて尋常ならざる膂力を有しているだけではなく、魔法抵抗力が非常に高い。そのためこの鬼人が他の近臣たちのように魔術師に怖れを抱くことは一切なかった。
鬼人を王の剣に任命した際、五人の魔術師の顔に不満が浮かんでいるように見えたのは、おそらくそのことが理由だったのかもしれない。
五人の魔術師たちと何かにつけ衝突することの多かった鬼人は、魔術師に好き放題させている王国の現状についてタイタス王に何度も警告を繰り返してきた。
タイタス王とて魔術師たちに全幅の信頼を置いているわけではなかったが、彼らが王国に富みをもたらしているという事実は確かだった。
なので、わざわざ魔術師たちの行動を遮って機嫌を損ねることはないと考えていた。
だが遮るべきであった。
彼らを速やかに排除すべきだったのだ。
魔術師たちが王の知らぬところで行なっていた、権力を濫用した魔力の補給と禁忌の数々――
後世、タイタス王の名は血塗られた残虐王として、人々は恐怖と共に語ることになるのだろう。
だが、それだけなら王国が滅亡に直面することはなかったのかもしれない。
年老いた炎王ウルスが疲れ切った彼の兵士たちを鼓舞して遠路を進軍し、タイタス王国に攻め入った理由――
「悪魔勇者召喚」
これは大陸のみならず、この世界の理として禁忌とされている行為であった。禁忌とされる理由は召喚される悪魔勇者の力が比類なきものであるだけではない。
召喚のためには膨大な数の人間を生贄とし、人ならざるものでなければ成しえない残虐な行為に手を染めなければならないからだ。
炎王ウルスはタイタス王国に囚われていた一千人以上の自国民が召喚の儀式の犠牲になったことを知り、怒りのあまり自らの宝剣を叩き折ったという。
タイタス王国で五人の魔術師たちが悪魔勇者召喚の儀式を行っている事実を知ったこの老王は、激戦を終えて疲弊しきっていた兵士たちを鼓舞し、後に「天の雷撃」と呼ばれる強行軍を行い、ひと月も掛からずタイタス王都に到着する。
炎王の到来が知れ渡るや否や、王都のあちこちで火の手が上がり始めた。最初の火の手は確かにウルス王の間者たちに依るものだったかもしれない。
しかし、愛する家族を魔力の供給源として奪われ続けてきた最下層の奴隷や貧困層の人々はこれを天の与えた好機と捉えた。彼らは炎王ウルスの到来に喝采し、タイタス王国に反逆の狼煙をあげたのだ。
タイタス王は王都の下層区から立ち昇る火の手を見て初めて五人の魔術師たちの所業を知った。
ウルス王が王都に足を踏み下ろしたとき、五人の魔術師たちの姿は既になく、ほとんどのタイタス兵は戦意を喪失し、あるいは奴隷や下層民との戦いに力を削がれていた。
そして今――
タイタス王はタイタス王朝を仕舞う覚悟を決めた。
「最後まで余の元に残ったのが、お前一人とはな。我が人望が透けて見えるわ」
タイタス王は宝剣アースウィンドを抜いて両手で構える。ウルス王の軍勢が押し寄せる音が玉座の間にも聞こえてきた。
鬼人が異国の片刃剣である不知火と髪切りを抜いて二刀流の構えを取りながら、タイタス王に尋ねる。
「わたしだけでは不足ですか?」
タイタス王が応えた。
「余には過ぎたる軍勢である」
ドンッ!
玉座の間の扉が打ち破られる。
最初に入ってきたのは大柄の男と魔術師の女だった。
おそらくあれが戦場において常に炎王ウルスと共にあると言われている鋼鉄のエルヴァスと氷の魔術師マリーネだろう。
二人が玉座の間を見渡し、今やこの場に残っているのがタイタス王と王の剣である鬼人だけだと確認すると、左右に退いてウルス王を招き入れた。
「だいぶ年を喰ったよなウルス王」
「ああ、互いにな」
ウルス王は歩みを止めて、タイタス王の前に立つ王の剣に目を向ける。瞬きする間、ウルス王の目に年相応の哀しみと疲れが浮かぶが、それはすぐに消えて再びその目には怒りの炎が宿った。
「イサミ。アンゴールの鬼人よ。一度だけ問う。俺は自身の正義のためだけではなく、この世界のためにタイタスを討つ。その剣を下してはくれぬか」
「否」
「即答か……まったくお前は変わらんな」
ウルス王は下唇を噛んだ。この鬼人とかつて戦場で何度か対峙したことがある王は彼の人となりを知っている。惚れ込んでさえいた。
「だがお前らしい選択だ。お前の見事な散り様は必ずや故国で称えられよう。俺が約束する」
「フッ、余計な心遣い。だが感謝する」
炎王ウルスはタイタス王に向かって宣言する。
「タイタス王よ。我が臣民、我が兵士を殺したお前の罪は万死に値する。だが邪悪な古代の魔術に手を染め、我が臣民、我が兵士、そしてお前の王国民を生贄に捧げた、この世の理を曲げようとした罪は、お前自身だけでなくこの王国の存在を消し去ってもまだ償うに足りぬ」
炎王の右手が高く頭上に掲げられ――
「滅びよ!」
振り下ろされると、ウルスの兵たちがタイタス王と鬼人に押し寄せた。
後に、この玉座の間における戦いは「鬼人二刀流」と名付けられたバラッドとして大陸全土で謳われることになる。
最初、バラッドの題名は「タイタス王の剣」であった。
押し寄せるウルス王の兵士の剣や槍を、鬼人イサミの名剣不知火と髪切りが薙ぎ払い、タイタス王の宝剣アースウィンドが敵兵を次々と討ち取っていく。
二人の剣はまるで三つの稲妻のように素早く、死神のように次々と兵士たちの命を刈り取っていった。
互いに背中を預けた二人の剣の前に付け入る隙は一切なかった。
しかし、やがて数に押されて二人はどんどんと疲弊していく。
ウルス王が静かに左手を上げた。
今や辛うじて立っているだけのタイタス王に弓兵が一斉に矢を放つ。
こうしてタイタス王国は滅びた。
王をかばって自身も矢を受けた鬼人はまだ何とか立ってはいた。しかし、両の手はだらりと下がり、二振りの名剣は折れて鬼人の足元に転がっている。
近衛騎士団長のエルヴァスが鬼人の前に進み出て、剣を立てて捧げ、王の剣としての役割を貫いた騎士に最大の礼を尽くす。
「見事であった」
鬼人の目にはもう何も映っていなかったが何が起こっているのかは察していた。その口元にうっすらと笑みが浮かぶ。そして――
鬼人の首は落とされた。
――――――
―――
―
後に、この玉座の間における戦いは「鬼人二刀流」と名付けられたバラッドとして大陸全土で謳われることになる。
だが、最初に曲が作られたときバラッドの題名は「タイタス王の剣」であった。
タイタス王と滅亡した王国についての記憶を人々から消したいと考えていたウルス王は、このバラッドを聞いて苦虫を潰したような顔になった。
事実を知らないものがこの曲を聞けば、戦狂いの炎王によって滅ぼされた悲劇の王と忠臣の話として涙することになるだろう。
ウルス王がそのことについて不満を口にすると、彼とっての王の剣である近衛騎士団長エルヴァスと宮廷魔術師マリーネは「だいたい合ってますね」と笑っていた。
悔し紛れに王はバラッドの題名を「鬼人二刀流」に変えさせた。
それから二十年の時が過ぎ、今ではタイタス王国は歴史書においてたった一行で語られるだけになった。
バラッドの方は今でも人々に愛されている。吟遊詩人たちにとって「タイタス王の剣」は必修の曲目となっていた。
侵略者に対し、最後まで戦い抜いた悲劇の王と宝剣アースウィンド、王の剣である鬼人イサミと名剣不知火と髪切りの名は、その後も長きに渡って人々の記憶に残り続けた。
~ お仕舞い ~
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆*:.。. o(≧▽≦)o
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