獲物
小道の多い一帯にある小さなカフェ。客もまばらで店内はまだ明るいにも関わらず独特の雰囲気を持っている。そして、そんな場所で僕は少し遅めの朝食を摂っていた。
「……美味しいですねこれ。今まで食べた事が無い味だ」
「でしょ? 獣人しか行けない円森の奥の方で採れた素材を使ってるんだって。で、ここの店主が獣人の商人と仲が良いらしいの。だからこうやって、それを調理した料理を他と比べて格安で食べられるってワケ」
「へえ」
短く揃えられた金髪が特徴的な女性──ヘレンさんは快活な笑顔を浮かべてそう言った。
「どう? 退屈はさせないって話、本当だったでしょ?」
「はい。いきなり話しかけられた時は驚きましたけどね」
「見知らぬ誰かと話したい気分だったの。そしたら、今日だけで終わらせるには惜しい出会いだなって、思ったんだ」
彼女と知り合ったのは二日前の昼休憩中だ。食堂で休憩しているところを話しかけられ、世間話の後に彼女から休みの日にもう一度会わないかと誘われ、今日に至る。
「……正直、あんまり楽しい話が出来た気はしないんですけどね。そもそも、なんで話しかけようと思ったのが僕だったんですか?」
僕は自分を面白味のある人間だとは思っていない。そんな僕との短い世間話でなぜ彼女がそんな事を思ったのか、純粋に疑問だった。
「うーん……顔?」
「顔ですか?」
「うん。なんかこう、ちょっとヘタレで抜けてる感じが良い。──動かないで」
「っ、ちょっ」
「……ほい。ソース、付いてたよ。抜けてるのは合ってるみたいだね」
そう言って彼女は僕の頬から拭ったのであろうソースを舐めた。子供が悪戯を成功させた時のような無邪気な微笑みは……正直、かなり魅力的だった。
「じゃ、次行こっか。今日は私と一緒に楽しもう、ね?」
☆
ヘレンさんとの休日は僕にとってはとても新鮮なものだった。
一癖ある飲食店や仕立て屋を営んでいるという彼女がオススメする服飾店、新進気鋭の脚本家が手がけたらしい演劇、度々出没するという路上での大道芸人。
彼女はセレスト区内の様々な情報に詳しく、話のタネと案内場所が一向に尽きない。口下手な僕がここまで会話が続いたのは相手が彼女だったからだろう。
僕はこの短い時間の間で、急速に彼女に対する好意が大きくなっていくのを感じていた。
最近、両親には会う度に孫の顔が見たいとせがまれている。まだ二十そこらの僕ではあるが、余裕のある歳という訳でも無い。僕にとって出会いは貴重で、尊重すべきものだ。
「さ、おねんねしようね」
──そう言って気味の悪い笑顔と一緒に、人の居ない路地でヘレンさんが僕の腹を殴りつけるまでは。
☆
「……う」
「起きた?」
最悪の目覚めだった。腹部に鈍痛、軽い吐き気と目眩。両手両足は縄で縛られて、芋虫のように動く事しか出来ない。
そして、目の前にはこの薄闇でもハッキリと分かる程に、心底愉しそうな顔で僕を見つめる女──ヘレンが居た。
「何で……こんな……」
「君、ずーっと私を探してたでしょ? 私がドジって忘れちゃったナイフも拾っちゃってさあ」
「……お前は」
「そういう事」
僕が追っていた連続殺人鬼。言動からそう断定するのは難しい事じゃなかった。
「何が、目的だ」
「そろそろウザいからヤっちゃおうって思ってさ。つまりは君の命なのです」
「全部……演技だったのか」
「そうそう。あ、楽しかったっちゃ楽しかったよ? まーでも、君にしたあざとーい行為とか言動はわざとかな。でも君も浮気なんて良くするよね」
彼女は手に持った歪な形のナイフをくるくると回しながら、さっきまでと同じような調子で話を続ける。僕は唾を飲み込み、冷静な返答を心がける。
「浮気?」
「違うの? 女の匂いがするなーって思ってたんだけど」
「……その人とは何の関係も無い。ただの勘違いだ」
恐らく、レナさんの事を言っている。だけどこの流れは良い。会話で時間を使ってくれている。
「へえ。ま、どうでも良いけど。──ああ、逃げれないし、助けも来ないよ?」
「っ」
見抜かれた。僕が彼女によって気を失わされ、ここに運び込まれるのを誰かが見ていたかもしれない。既に衛兵がここに向かっている最中かもしれない。そんな他人任せの希望的観測。
「──誰かっ!! 助けてくれっ!!」
「だーかーらー、来ないって。ここ、私のお気に入りの場所の一つだから。この時間帯、付近の住人が程良く掃けてて音も漏れにくいんだ」
「誰かあっ!!」
「はあ、みっともないなー。それでも衛兵?」
そんな事は分かっている。自分が何もかもが至らない弱い人間だという事なんて、ずっと前から知っている。
だから、こうやって叫び続ける。これが今の僕に出来る最高の選択だと信じて。
「誰──ぐっ!?」
「うっさい」
腹を蹴られた。息が途切れて声が出ない。痛みと吐き気で意識が遠のく。
「あーあー寝ないで、よっと! ほら、何事も最初が肝心でしょ? 自分のカラダにナイフが入り込むのまざまざと見せつけられてぇ、感じる瞬間。これ、欠かせないから」
次は顔を蹴られた。鼻を襲う鋭い痛みで少し意識が戻る。でも視界や音は曇ったままだ。
そんな状態でも聞こえる、ヘレンの露悪に満ちた声。
「それじゃ、イくねー」
気味の悪い笑顔と共にナイフを僕に近づける。だけど、その切っ先が僕の腹へ刺さる事は無かった。
「!?」
ヘレンが突如として僕の目の前から飛び退いたからだ。その視線は僕の後ろ。
「誰だっ!?」
焦りの混じったヘレンの声。僕は体を何とか動かして、後ろを向いた。
薄暗いこの場所に溶け込むかのような黒い全身が、音も無く僕の方へと近づいていた。
「黒、衣?」
朦朧とする意識の中で思わず呟いたのは、噂話の主。衛兵を上回る速度と処理能力でトラブルを解決し続けた、謎の人物の呼び名。
その人物は目の前で屈み、冷たい掌で僕の額に触れた。
「そのまま、瞼を閉じてください。起きた頃には全て終わってます」
聞き覚えのある優しい声と、心地良い冷たさを最後に、僕は意識を失った。
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