夕食の誘い、伸びきらない手
僕達人間と一部の獣人が共に暮らしを送るようになったのは五年程前の事だ。僕達が住むこの場所から東にある巨大な円状の森、その中心には獣の特徴を持った人間、言うなれば獣人達が住んでいる。
特徴の違いや思想の差、森の奥深くという住地からこれまで僕達は互いに存在を認識しながら友好的な関係を築く事が出来なかった。
しかしそれが覆されたからこそ、彼女は今ここに居る。
☆
「毎度の事ながら、助かります」
「良いんですよ。お仕事が大変なのは理解していますから。助け合いです」
目の前に並べられた料理店さながらの食事。それに加えて彼女は僕の食材や味に関する好みを把握しているらしく、見た目や匂いだけで食べる前からその美味しさが伝わってくる。
「それに、その、マルクさんと食事が出来るのは私にとって楽しい一時なんです。食卓は賑やかな方が良いですから」
そう言ってレナさんは笑った。その後ろの壁には精悍な男性の肖像画──レナさんの亡くなってしまったという夫の姿があった。
「僕としてはただ夕飯をいただいているだけなんですけどね。少しでもレナさんの助けになれたのなら、良かったです。あ、これ美味しいですね。辛味が良い感じだ」
「いつもはもっと薄味なんですけど、ちょっとアレンジを入れてみました」
僕の感想が良かったのか、レナさんの耳が嬉しそうに揺れた。
レナさんは五年前、人間と獣人の融和が始まった直後にここに移り住み、そこで彼と出会い瞬く間に結婚をした。人間と獣人が結ばれるのは今でさえもそこまで多い話じゃない。当時だと尚更だ。
「お仕事は上手くいっているんですか?」
「正直息詰まっています。ただ、なるべく早く事態を解決させたい。今回の件はレナさんに危険が及ぶ可能性も十分にありますから」
「……気をつけて下さいね。マルクさん自身が死んでしまっては元も子もありません」
レナさんの夫は僕と同じ衛兵だったらしい。ただ僕と違って腕っ節は強く、それでいて真面目で周囲からの信頼も厚い理想的な人だったという。
しかしそんな彼も、彼女との結婚からしばらくして融和を拒む一部の獣人達との争いで犠牲になってしまった。
そしてそれは一部の人間達も同じだった。そういった人間が当時、街中で獣人達と起こしたトラブルを衛兵が介入する前に仲裁しまわっていたという黒の衣で身を包んだ謎の人物が通称黒衣、あの同僚が言っていた噂話の主だ。
「肝に銘じます。……あ、そういえば」
「洗濯物はお部屋の中に置いておきました。中が少し散らかっていたので、軽く掃除も」
彼女は時折こうやって夕飯を共にさせてくれる他、こうして色々と日常の手助けをしてもらっている。それも嫌の顔一つせず。自分がズボラな事は理解しているが、彼女にとっては目に余るらしくつい手を出してしまうと言っていた。
「……何から何まで本当にすみません。もし良ければ、諸々のお礼は家賃で──」
「良いんです。私が好きでやってる事なんですから」
「と言ってもですね……ただでさえ今は僕しか払う人が居ない訳ですから」
僕がここに住み始めたのは二ヵ月ほど前。それまで住んでいた場所が老朽化によって住めなくなったから引っ越す必要があり、色々あってここの部屋を借りる事になった。
ここは通りから少し離れているが立地は悪くない。手入れもちゃんとされている。だけど今、ここに住んでいるのは僕とレナさんしか居ない。
彼女の夫がまだ生きていた頃は他の入居者もそれなりに居たらしいが、彼の死後に皆出て行ってしまったという。彼女は獣人である自分が管理者として表に立ち始めた事が原因だろうと語っていた。
人間と獣人の融和は確かに成された。ただそれは一部の話で、心情的にはそうでない人もまだまだ居るという事だろう。
「本当に大丈夫なんですか? 僕一人の家賃じゃ色々と賄えてる気がしないんですけど……」
「お金の事は心配しないで下さい。本当に大丈夫なんです」
そう語るレナさんの顔に誤魔化しの表情は無かった。いつも朗らかで美しいとは言っても、今まで積み重ねてきたであろう人生の
ただそんな状態でも金銭的な問題が無いという事は、膨大な貯蓄でもあるのかそれとも僕が知らないだけで何か仕事をしているのか。
「分かりました。でも、僕が一方的にお世話になってるのは事実です。お礼といってはなんですが、僕に何か出来る事があったら手伝わせてください。……ご馳走様です。とても美味しかったです」
「あっ……」
「おかわりは?」
「え?」
レナさんが何が口にしようとした瞬間、横から割り込むような幼い声が響いた。その子──シルちゃんはレナさんと同じように頭上の銀色の耳を揺らし、眠そうな眼で僕を見ている。
今この食卓を囲んでいるのは僕とレナさんだけではない。この子はレナさんと関係があるという孤児院の子で、良くここに遊びに来ている子だ。基本的に無口な子で、今の今まで僕とレナさんの会話に混ざること無く黙々と食事をしていた。
「おかわり、しないの」
「うん。もうお腹いっぱいだよ。それにあんまり長居するのも悪いしね」
「そうなの?」
「そ、そんな事はありませんよ?」
シルちゃんに問われ、何故か少し上擦ったような声でレナさんは否定した。
「寝る前に事件についても考えたいし、明日は非番だけどちょっと用事があって朝から出かける予定なんだ。……という訳でレナさん、おやすみなさい。戸締まりを忘れないようにしてください」
「あ……はい……」
☆
「ああ……」
マルクの背が完全に扉によって隠れたその瞬間、レナは項垂れる。傍らでそれを見ていたシルは呆れた表情でスプーンを置いた。
「鈍臭い」
「う」
「引き止める機会なんていくらでもあった。毎回毎回さり気無くキッカケを作ってあげてる身にもなって」
「はい……」
年齢が逆転したかのような光景だが、マルクがこの食卓に加わった日はいつもこうだった。責め立てるようなシルの言葉は続く。
「好きなんだったら好きって、さっさと言えば良いのに」
「シ、シルちゃん? まだそうとは言い切れ──」
「気になるには気になるんでしょ? じゃさっさと距離を詰めないと、それがなんでなのかも分からない。このままだと永遠にちょっと仲の良い管理人と住人のままだよ? 向こうはそもそもこっちをそういう目で見てなさげだし」
「うう、すいません……」
食事後に部屋を去ろうとするマルクをレナが呼び止めようと手を伸ばすも、結局伸ばしきれない。そんな状況が一ヵ月ほど続いていた。
「でも、本当にちょっと……ちょっとなのよ? もう少し色々とお話がしてみたいなあって。それにそもそも、私にはクロードさんが……」
「……まあ、そうだね」
シルは壁に掛けられた肖像画を見た。死別したとはいえレナは未だに夫──クロードを想っている。その様子はシルから見ても明らかだった。
しかしいつまでも喪に服す必要は無く、出会いがあるのであればそれをモノにすれば良い。シルはそう考えていた。
そして何より、クロードは彼女がいつまでも物憂げな顔をしているのを望むような人物ではないと、生前それなりに交流のあったシルは確信している。
「というか、何がそんなに気になるの? そこそこに良い
「そんな、あの人と比べるような事……」
「というか話がしたいだけなら、それこそさっさと呼び止めれば良いでしょ? 食後にお茶でもどうですかって……はいはい、もう言わない。ごちそうさま」
言葉も無く落ち込み始めたレナを見て追及を切り上げ、シルはそのまま空になった食器を手に席を立つ。
「シルちゃん」
「何? 今からでも呼び戻──」
「マルクさんから酷く
「! 冗談……じゃないね。もしかして話がしたいってのはそれが本題?」
それまでの調子からは程遠い声音と柔和さが消え去った表情。その言葉が冗談ではない事を示している。
「それは関係ありません。匂いを感じた時から元々内密に動く予定でした。……明日はここを空ける事になるでしょう。早朝の内に院へ帰りなさい」
「……分かった」
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