冷たい夏祭り

示紫元陽

冷たい夏祭り

 文化祭で行うクラスの出し物は演劇に決まった。侃侃諤諤の議論の挙句、結局は民主主義の最たる方法である多数決で終結するという安直な落ちである。多数決とあらば特筆すべき勘案次項がない限り、特に学校の文化祭でなど、異論の余地はない。もちろんそのまま演目の具体案を募り決を採る段になった。案は前方の黒板にずらりと書き連ねられ、シンデレラ、オズの魔法使いなどが有力候補であろう。しかしその終着に、春川はるかわしずくは納得のいかない表情であった。

 端的に述べるならば、彼女は悲劇のヒロインに憧れを持っていた。ハッピーエンドが嫌いというわけではない。なんならその類のストーリーは生来いくつも読んできた。しかし、だからこそと言うべきだろうか。十数年生きてきた現実と比較して、雫はそういった幸福な雰囲気で収束する物語をどこか偽物じみて感じるようになってしまったのである。だからといって悲劇が現実であるとは思っていないが、少なくとも虚像然としたものでないとは考えている。

「春川って、横から見てるとコメディだな」

 だから、話に飽きた隣席の知り合いにこう言われたとき、雫は憤った。私をそんな虚偽の俗物と一緒にするなと。

「どういうことよ」

「よく空回りしてる感じがそう見えるのかもな」

 雫は理解しがたい言葉に頭を抱えた。自分の行動が意味を成していないというのか。すべてが空を切っているというのか。

「今も納得いかない顔を露骨に表に出してるけど、独り相撲とってるみたいだぞ」

「……そんなことはないわよ」

 口では気丈に反論したものの、己がそんな醜態を晒していたことを知ると顔を覆いたくなる心境になった。その恥ずかしさを紛らわすため、雫はふんっとこれ見よがしにそっぽを向いた。窓の外では鬱陶しいほどの青空に入道雲がずしりと居座っている。先日テストが終わり、もうじき夏休み期間に入る。今年の夏は独りで隣町の花火大会にでも行ってみようかと雫はぼんやりと空想した。

「そんなに好きなら、悲劇のヒロインやってみるか?」

「劇には出ない。裏方で十分よ」

「いやそうじゃないんだけど……。七月末の祭り、一緒に行かね?」

 雫は目を丸くした。首を回してこの朝海あさみれいという男子を見ると、意地悪そうに口角を上げていた。クラス内でも会話を交わすことが多かった人物であるため親しくはあったものの、共に遊んだことはこれまで皆無。祭りの話は嫌ではないが、あまりにも唐突すぎるので面食らってしまったのである。

「それがなんで悲劇のヒロインになるの?」

「まぁ、そのうち分かる」

 どうにかして平静を保った雫だったが、澪の質素な返答には反応に困った。そうして次の言葉をちんたら考えているうちに、澪の勝手によって予定を確約させられてしまった。気づくとクラスの議論は後日持ち越しとなっており、チャイムと同時にめいめいが教室外へと散って行く。その日の帰り、雫の頭は空っぽだった。

 取り付けられた約束であるお祭り当日。雫は友人に選んでもらった浴衣を着て待ち合わせの鳥居前に赴いた。ほどなくして同じく浴衣姿の澪も現れ、提灯の赤と蛍光灯で照らされた出店を二人で回る。家族以外の誰かとこうして催しで遊ぶなんてことは滅多になかったため、雫は心躍った。いろいろな食べ物を食べ、射的や型抜きなんかも試した。何がしたいかということは雫にはなかったが、澪が先導してくれたので退屈することはない。

 こうしていると、澪が雫にとって気の置けない存在であることが明確に感じられるようになった。思い返せば、澪とはくだらない会話を幾度も交わし、文化祭の小道具の作成を文句たらたら一緒に行ったりもした。その他記憶の端々に澪がおり、彼が特別な人間であったのかもしれないとも雫は思った。

「ねぇ」

「ん? 何?」

 この日のためにわざわざ準備した。雫は澪との時間を楽しみにしていた。

「誘ってくれてありがとう」

 雫ははにかみながら澪を見た。

「どういたしまして」

 澪の声は些かくぐもっていた。喧騒のせいかもしれない。彼は雫を一瞥した後、少し遠くを見るような表情をした。瞳の色は分からない。雫はすこし怪訝に思ったが、しかしそれ以上に、この時間がもっと続けばいいのにという願いが強くなっていた。今の彼女には、幸福が虚構だなんて考えは欠片も頭に浮かばなかった。

 だが、しばらく歩いていると澪がふいに片手を上げて振った。視線の先を見ると、桔梗の柄の浴衣を着た女子がいる。その女子が手を振り返すと、間もなく澪は彼女のもとへと走り寄った。そして、遅れて到着した雫に振り向いた。

「どういうこと……?」

「ミナミも誘ってたんだ。多い方が楽しいだろ?」

 よろしくね、と言った東雲しののめミナミは愛嬌のある笑顔を雫に向けた。しかし、その後は澪とミナミが常に二人して喋り、もとより内気な雫には入る余地がなくなってしまった。

 雫の中に先程まであった温かくて淡い思いは、時間と共に冷え冷えとしたものになっていった。前を歩き談笑する二人を見ると、自分がとても哀れに思えた。確かに澪は『悲劇のヒロインになるか?』と言ったが、こんな形で叶えてほしくはなかった。これでは本当に自分がみじめである。むしろ滑稽だとさえ感じた。

(そうか、確かに私はコメディかもしれないな)

 勝手に期待して、勝手に落胆して。そう思うと耐えられなくなって、雫は詫びも告げずに踵を返してその場を後にした。帰路の道中、彼女は一筋だけ涙を流した。悲劇のヒロインなんて大嫌いだと心で呟きながら。

「本当によかったの?」

 雫が去った後、ミナミは澪に問うた。彼の瞳には提灯の明かりが揺らめいている。

「いいんだよこれで」

「でも、好きだったんじゃないの?」

「好きだから、悲劇の呪いを解きたかったんだよ」

 そう言う澪は、自分もそうとう残念なコメディアンだなと思った。これほど滑稽な人間はそうそういまい。まったく、笑えない。


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