身体の記憶

 撃たれた衝撃で晶は後ろに倒れこみ、手で押さえている肩が鮮血でじわじわと赤く染められてゆく。


 「拳銃を使うのがお前だけだと思った慢心、それがお前の敗因だな。」黄色の目をすうっと細めながら、仁流舞はハンドガンを腰のホルスターに収めた。「お前は右手でナイフを使っていた、つまりお前の利き腕は右…これで攻撃の手は封じた。ここで退くがいい、この女郎花おみなえし仁流舞にるぶ、手を抜いて勝てるほど弱くはないからな…」そう言ってきびすを返し、晶に背を向けた。


 慢心…そう言った彼女だが、皮肉にもその慢心のせいで、背後で晶が立ち上がったのを見過ごしてしまう。


 「!!」嫌な気配を感じた仁流舞はバッと後ろを振り返る。「な!」すると仁流舞の視界から、晶が姿を消していた…そして彼女は…気が付くと


 「うわぁぁ!!」仁流舞は驚きのあまり、足を絡ませしりもちをついてしまった、が、果たしてそれは幸運だった。でなければ今頃、彼女の頭部は体と永遠に別れを告げていただろう。


 (なんだ…こいつ…!?)突然の出来事に頭が追い付かない仁流舞、しかし全神経が彼女に告げていた、「こいつは危険だ」と。


 仁流舞は全速力で晶の反対の方向へと駆け出した。(どうなっている?やつは私のすぐ後ろにいた…なのに私は、全くその気配を感じることが出来なかった…!神経を強化し、認知能力が数段上がっているこの私が!!)その得体の知れなさに戸惑っている仁流舞、晶が、仁流舞を横に切り裂く。


 「ぐぁぁっっ!!」すんでのところで刀を抜いて防御した仁流舞は、しかしその勢いに圧され大きく後ろに飛ばされた。彼女の体は建物に激突し、その建物はガラガラと崩れ落ちる。


 瓦礫が降り注ぐ中、なんとか自分を守る隙間に逃げ込んだ彼女はうずくまってうめいていた。彼女の情力「神経溌剌」には弱点がある。神経が強化されることで「痛覚」まで鋭敏化されてしまうことだ。晶に付けられた刀傷、コンクリートの物体に自分の身体が打ち付けられた衝撃、そして降り注ぐ瓦礫で刻まれる自身の表皮…それらの痛みに、彼女は人知れずもだえていた。


 建物の崩落が止み、情力を止めた仁流舞がふらふらと出てきた。「お前…何者だ…!?」


 晶は情力を発現していなかった、そしてその目は暗くよどんでいる…なにものをも見ようとしない、深くとざされた沈黙と拒絶の目、それに映ったもの全てを等しく無に帰そうとするかのような、無慈悲で無感情な視線…


 (あの目、どこか既視感が…そうだ、敵を前にした時の水面と同じだ。あの目の時の水面は本当に恐ろしい…普通なら考えもつかない、悪魔的な考え方で敵を殲滅せんめつしようとするからな…やつもそうだとしたら、かなりまずいぞ…)晶の変貌へんぼうぶりに、仁流舞は冷や汗を流す。


 (だが、やつの気配が急に分からなくなったのはどういう仕組みだ?薄くなったのではなくなど、今まで戦ってきたどの強者でもあり得なかった…一体やつは…?)先程までとは別人の晶をきっと睨みながら、仁流舞は脳内で慌ただしく思考を重ねていた………


 つまりは、一瞬でも晶からのだ。


 (そうか、これはだ!あいつは私の視線を見切り、敢えて周囲に散在する特徴的な事物へと私の視線を誘導させる…そしてその一瞬を突いて私の視野から逃れ、そして極めて巧妙に気配を断ちながら私の死角に侵入した…いわゆるミスディレクション!だから私の目にあいつの姿が見えなくなり、さらには気配も分からなくなったのだ!)しかし気付いたところで時既に遅し、晶のナイフはあと数センチで仁流舞の頸動脈に辿り着こうとしていた。


 (しまった、やられる…!!)だが、もう晶の手は止まらない………




 その時だった。




 「…ふぅ、間に合った…!」晶は止まっていた。そんな彼女に絡みつく布…



 織部糸が、晶の凶行を阻止していた。

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