満たされない少女

 ズン…と腹に響く低い音が、色橋の片隅で鳴り響いていた。


 「…ちっ。」かいなは身近にある瓦礫を絶え間なく投げ続けているが、それらをいとも容易く退しりぞけている御櫛みぐしに苛立っていた。しかし本当に彼女を悩ませているのは実のところ…空腹だった。


 「ムカつくなぁお前、さっさと当たってつぶれろよ!」思わず罵声を浴びせ、挙句の果てに武器である大斧を放り投げる腕。御櫛の情力を警戒して近接戦を避け、常に距離をとっていた彼女だが、そのせいで自慢の腕力による大斧の攻撃も上手くいかず、そのこともまた彼女のフラストレーションを高めていた。そして当の本人は余裕の笑みを浮かべ、そんな腕の行動を見定めている。


 「そんな不細工な攻撃、この美しい私に当たる訳ないでしょ?無様な寝言は寝て言いなさいな。」髪の毛を指でもてあそびながらそう言い放つ彼女に、空腹も相まってますます眉を吊り上げる腕…「怒り」の感情が増したせいで、目の黄色味が段々と薄れている。


 「自分の感情すらコントロールできない愚か者なんて触りたくもないけど…まぁいいわ、そろそろ終わりにしてあげる。」御櫛は着ている上着を脱ぎ、腕の方向に投げつける。するとその服は形を無くし、糸状の物体にまで分解され、物凄い速さで腕に絡みついた。


 「!!」腕の驚きの表情はまもなく苦悶の表情へと変わった。「ぐ…がぁ…」気道を塞がれ息を詰まらせる腕、徐々に宙へもち上げられてゆく彼女を見上げ、御櫛は話し始める。


 「どう、美しいでしょ?私の情力「一毛いちもう打尽だじん」は、髪の毛を自在に操作する力。髪を自由に動かすことはもちろん、成分調整して強度を上昇、硬質化させることも、形状を変えて衣服とすることも可能なのよ!…まぁ色々と制限はあるけどね。」黄色の目を細め、御櫛は口角を上げる。


 「さて、言い残すことは…どうせないわよね、ってか聞く価値ないし…そういう訳でこのままさっさと…あの世に送ってあげようかしらね!」腕を締め付ける髪の強さが増し、彼女の肺が圧迫される。酸素の欠乏で薄れゆく意識の中、彼女の空腹もまた限界を迎えようとしていた…




 「!!」


 御櫛は突如その場から跳び退いた、情念の異常な変化を感じたからだ。本体との距離が出来た彼女の上着は髪の毛の状態に戻り、はらはらと腕の足元に落ちた。そしてそれをぐしゃりと踏みにじる腕、その顔には…が浮かび上がっていた。


 「激情態…!」御櫛が聞いていた情報は、腕が腕力を操作する具情者だということだけ。激情者であるということなど聞いていない…しかしそれもその筈、腕は激情者として覚醒したのだ。


 彼女は常人に比べて非常に燃費が悪く、どれだけ食べてもすぐエネルギーとして消費されてしまう。そして空腹の一定線を超えてしまった彼女の目には最早、敵も味方も関係ない、全ての生き物が獲物しょくりょうとして認識されてしまうのだ…彼女は今を前にして、歓喜に打ち震えていた。


 「この…!」我に帰った御櫛は再び髪の毛を操作しかいなを縛る、しかし腕はそれらを、まるで紙を破るかの如く軽々と引き裂き、そして近くの瓦礫を掴み投げ捨てた。先程までの投擲とうてき速度とは桁が違う速さで、それは御櫛の横を音速で通り過ぎ、爆音と共に後ろの建物を粉砕した。


 その様子を見て青ざめた御櫛、その場からの逃走を図り、迂闊にも一瞬腕に背を向けてしまった……


 その時点で御櫛の運命は決した。


 彼女は高速で間合いを詰めた腕に力一杯殴られ、途轍とてつもない速さで瓦礫のビルに叩きつけられた。


 御櫛が激突したビルが音を立てて崩れてゆく中、血のべったり付いた拳を舐め回す腕…彼女にとっては不幸だが、他の人間にとっては幸運なことに、その時周囲に人はいなかった。食料のない彼女は何も喰らうことが出来ずに暴走を始め、腕力に任せて手当たり次第に街を破壊する…周囲の景色が、どんどん原型を失ってゆく…


 乱暴がしばらく続いた後、急にその音が止み、ドサッと鈍い音がした。果たしてその音の出所は…重心を失い地面に倒れ込んだ腕だった。


 …彼女の情念は、跡形もなく消失していた…


 激情態を使い過ぎた代償として、心が焼き切れてしまったのだ。


 色味を失った彼女の目…その双眸そうぼうが捉えるものは、最早何一つない……その網膜はただ無機質に、壊れ果てた世界を映し出すだけ……

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