1話「先輩命令だっ!」

「あ~……」


 七森先輩が泣いていた現場に出くわしてから、二日が経過していた。

 昼休みの時間に入って傑と昼食食べている最中も、翔はあの時とった行動を未だに引きずっていた。


「いつも元気があんまりないけど、今日は一段と元気がねぇじゃん。何かあったか?」

「突如として現れた状況に対する選択って、何であんなにも正しい判断をするのが難しいんだろうな」

「……ごめん、何を言っているのか全く分からないんだが」


 もちろん傑に、あのことを理解させる気はない。

 もう自分のイキりすぎた黒歴史として、墓場まで持って行くしかない。

 これなら、まだ「俺には特別な力が……!」とかの自己完結型の痛い行動の方ががまだマシ。

 一人の綺麗な女性を痛い行動に巻き込んだという事実を受け止めるということが、ここまで辛いものであるとは。


「おい! 七森先輩が、一年生の教室しかないこの階に今いるぞ!」


 そんな話が聞こえてきて、翔はびくりと跳ね上がった。


「二年の七森先輩が、一年生しかいないこの階に? まさか誰かに会いに来たのか……? もしそうだとしたら、そいつ羨ましいんだけどな~」

「お、おい! こっちに来るぞ!」


 傑がのんきな話をしていると、周りの男子たちが七森先輩がこちらに来ると分かって慌てて何もなかったように自分のたちの席に着く。

 翔は、既に冷や汗をかき始めている。


「下條~。七森先輩がお呼びだよ~」


 クラスメイトの女子が、俺の名前を呼んで先輩からのご指名であることを告げた。


「……は?」

「……」


 傑は意味が分からないといった反応をしている。当然だろう。

 加えて周りの男子たちも、俺に視線を向けてきている。

 ひとまず、先輩を待たせるわけにもいかないので、待っている廊下に出た。


「やっほー」

「こ、こんにちは……」


 思ったよりも軽い挨拶をしてきた。

 だが、翔からすれば挨拶内容1つで心境が変わるものではない。

 泣いていたあの時の先輩ではなく、いつものように男子たちのあこがれとして映る綺麗な七森先輩が目の前にいる。

 顔が熱いし、まともに七森先輩の顔を見ることが出来ない。


「ちょっと別の場所に行く?」

「……はい。出来ればそこで色々と言っていただけるとありがたいと言いますか……」

「うん、分かった。じゃあ、お外行こ」


 教室の中からクラスメイト達の視線があることに気が付いた七森先輩は、人のいない場所に移動を提案してくれた。

 昼休みにあまり使われていない体育館裏で話をすることにした。

 そして、体育館の出入り繰りドアの前に二人そろって腰かけた。


「まず最初に……。一昨日はありがとう」

「いや、申し訳ありませんでした! あんな余計なことをしてしまって……! 触れられたくなかったことでしょうに」

「ううん。涙を袖で拭いちゃってたから、本当にありがたかったよ。だからそんなに謝らないで」


 まずは深々と頭を下げて謝罪をした。

 七森先輩はそんな翔に、あわてるようにして謝るのを止めるように言った。


「ハンカチ、返すね。洗ってあるからね。本当にありがとう」

「い、いえ……」

「そんな顔しないでよ、本当にありがたかったんだから」

「は、はい!」


 ニコッと笑う七森先輩を間近で見て、心臓が飛び上がりそうになる。

 美人であることは分かっていたが、近くで見るとよりドキドキするし、スタイルもすごく良い。

 傑たちの言っていた先輩女子の魅力を、今一番目の前で体験している。


「まだ時間大丈夫? よかったら、もう少しだけ私に付き合って欲しいんだけど……?」

「昼休みが終わるまで、大丈夫です!」

「うんうん、いいお返事だ」


 そう言うと、七森先輩は持っていた手提げの袋から、菓子パンを取り出した。


「じゃーん! 購買部で戦争になるマンゴークリームパンだー!」

「ま、マンゴークリームパンって、なかなか買えないやつですよね?」

「そうそう。多分一年生は買えないよね、先輩たちの目もあるから遠慮のない動きとか出来ないだろうし」

「そうですね……。一年生では買えないって皆言ってますね」


 この高校の購買部で売られるパンはすべて人気なのだが、特にマンゴークリームパンは人気で、スタートに乗り遅れると絶対に買えない。

 一年生でこの購入戦争に参加すると、生意気というレッテルを張られかねないのでなかなか挑戦する者はいない。

 理不尽な話のようにも聞こえるが、先輩たちも一年生の頃は同じようなことを経験しているので、仕方ない話なのかもしれない。


「今日はうちのクラス、昼休み前の授業が終わるのが早くて二つ確保できたんだ! せっかくだし、一緒に食べよう?」


 そう言って、手提げのカバンからもう一個取り出して、翔に渡してきた。

 今度いつ買えるかも分からない人気の菓子パンを、素直に貰うことは気が引ける。


「わ、悪いですよ……。今度いつ買えるかも分からないですよね?」

「……先輩命令。ありがたーく味わって食べて、素直においしかったですと言ってくれればそれでいいの!」


 パンを咥えながらちょっとだけムッとした顔で、そう言われてしまった。

 先輩命令。そう言われてしまうと、対抗手段がない。


「そ、その言い分はずるいですよ……」

「なら観念して食らうんだな!」

「わ、分かりました……」


 袋を開けて、マンゴークリームパンにかじりつく。

 所詮は購買部の菓子パンと思っていたが、クリームの味が濃厚でおいしい。

 確かにこれは奪い合いになるのも頷ける。


「うまいだろ、後輩よ」

「はい、とてもおいしいです!」


 ちょっと得意そうな顔をしてくる七森先輩。

 こんな美人な先輩の隣で、一年生では食べられないパンを食べるという幸せ。

 少し前までは全く想像していなかった展開である。


「あの時は何であそこにいたの?」

「ごみ捨てです」

「なるほどね。でも、ゴミ捨て場から私の姿って見えなかったでしょ?」

「見えなかったんですけど、声が聞こえてきて。最初、聞こえたらダメなものが聞こえたのかと思って震え上がりましたけどね」

「あはは! それはちょっと申し訳なかったなぁ」


 翔の言ったことが面白かったのか、楽しそうに七森先輩は笑っている。


「君のお名前はなんて言うの?」

「下條翔って言います」

「ほー、じゃあ翔ってこれから呼んでもいい?」

「え……?」

「ん? ダメだった?」

「い、いえ! ぜひ呼んでください!」


 まさか名前で呼んでくれることになるとは思わなかった。

 名前を憶えてくれる機会があるとすら思っていなかったのに、親密そうに聞こえる下の名前呼びをこんなきれいな先輩してもらえるとは。


「私のことは知っているのかな?」

「名字は知っていますが、名前までは……」

「私の名前は霞だよ。じゃあ、これからは霞先輩と呼んでみようか!」

「ええ!? 自分が先輩のことを名前呼びするんですか!?」

「なんでそんなに嫌そうなんだよー」

「さ、流石に馴れ馴れしいくないですか……? 周り見ても、名前呼びしている一年生って誰もいませんし」

「だろうね。居たら、流石に引くかも」

「じゃあ、何で自分には言わせようとするんですか……?」

「特に理由はない! 先輩命令だ! 呼びなさい!」

「それ、ずるいですって!」

「先輩の命令は絶対だよなぁ? さぁ、一度呼んでみようか?」

「か。霞先輩……」

「うん、良い響きだぞ?」


 あの一件の行動に怒らないで居てくれる先輩は、優しくて良い人だと思う。

 幻の菓子パンも食べさせてくれたし、優しくて可愛い。


 ただ、『先輩命令』でなんでも押し通そうとしてくることが、多々あるようだ。


















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