生体兵器ナルシェーニエ 2

「え? どゆこと?」 


「かみがくろい。はながひくくてかみもくろくない」


「……? 何で分かるの」


「とーしした」


「ほーん透視……え!? 透視!?」


 唐突な超能力告白に驚きを隠せない。カミーリアは冗談を言うような子には到底見えないけど冗談にしか聞こえなかった。


「私が出るわ。千明はそこにいて」


 母さんはインターホンの通話ボタンを押し、スピーカーを通して外の声を送った。


「もしもし? 流琴?」


「夜分遅くにすみません。児童相談所の者です」


「じ、児童相談所?」


 母さんは目を瞬かせてカミーリアを見た。本当に父さんではないらしい。ということは透視の話は事実ということになる。今すぐにでもこの子連れてカジノ行きたくなってきたな。


「こんな時間になんで児相の職員が来るのよ」


 母さんは怪しみながらも玄関まで行き、靴を履いてドアを開けた。


「何のご用でしょうか?」


「遅くに申し訳ありません。私草加市の児童相談所の金子と申します。こちらの家に小さな子どもがいると聞いて、引き取りに来たんですが」


「……いるにはいますが、それが何か?」


「実はその子は少年院から抜け出してきてしまった子なんですよ。先程通報がありまして一軒一軒調べて回っているところでして、見つかってよかった」


 私は頭だけ出して、母さんが応対している男性を見つめた。カミーリアが言った通りの特徴で、年齢だけは父さんと同じくらいだろうけど容姿は似ても似つかない東洋人だ。といっても日本語話してるから日本人には違いないはず。


「当たり前ですが、これは誘拐とかにはならないので、ここにいる子を早急に引き渡してもらえるとそれでもう済む話です。はい」


「そうですか。ちなみに何で警察ではなく児童相談所の方が?」


「あーこういうのは警察が介入すると大事になってその子の経歴に傷がつくので、かえって更生に繋がらないということで我々が業務を委託されてるということなんです」


 そういうもんなのか。マチリークから抜け出してきた後、少年院に保護されてたけどそこからも逃げてきてしまったということなんだろうか。私が横目でカミーリアを見ると、この子は険しい顔で壁に耳を当てていた。 

 母さんはこの子を引き渡すんだろうか。せっかく名前つけたのに嫌だな。


「分かりました。ところで少年院は刑務所と違って民間企業ですが、何で公務員の児相の方が脱走した子の捜索なんか委託されてるんですか? それに少年院は埼玉県にはありませんが、何故草加市の方が出向いてくるんですか? 第一小さな子どもがいる家庭なんてこの辺りに腐るほどありますよ?」


 母さんはやってきた児相の職員に違和感を覚えたらしく、幾つもの質問を早口で浴びせかけた。母さんは普段は落ち着いてるけど、いや落ち着いてるからこそかなり口論慣れしている。しかも、即興で嘘や出まかせを何食わぬ顔でつけるから詐欺師の才能があると自分で言ってた。

 ちなみにこの質問に答える前に次の質問を出されるの、一度やられたら分かるけど本気で殺意を抱くから私は決してやらないように心がけてる。


「え? あーそ、それはですね……色々難しい問題が重なってまして……」


「というか、あなたご自分が児童相談所の職員だと証明できるものってお持ちですか? なければこちらとしてもあなたが信用できませんし、彼をお渡しすることはできません」


「えっ? えぇ……」


 男の人は、母さんが素直にカミーリアを引き渡してくれないことに驚いたのか呆れたのかとにかく困った表情で後退った。母さんもカミーリアの正体や見てくれに同情を示していたから、出来る限り自分で保護してあげたいのだろう。

 しかし、カミーリアの方はそれに安心するどころか、冷や汗をかいて焦りを隠そうともせず小刻みに震えていた。あの児相の職員、どうも噓くさい。カミーリアの身柄を引き取りに来たらしいが、少年院に送還するのではないのか?


「カミーリア。大丈夫?」


 私はティッシュでカミーリアの汗を拭いながら、歯軋りするカミーリアの瞳を髪を聞か分けて覗き込んだ。やっぱり綺麗な顔をしている。


「あいつ、やつらじゃないがやつらのがわのにんげんだ。もうばれたのか……」


「は? マチリークに協力する日本人がいるの?」


 と、口には出したけど世の中お金さえもらえるなら進んで車に轢かれる輩もいるし、ありえない話ではない。怖いもの見たさで手を貸してるとか弱みを握られてるとか動機は幾らでも思いついた。

 しかし、もしそうだとしたら今この子をあの人に渡さなかったら、この家にマチリークの兵隊が山ほどやってくるということになるのか? あの未だに第二次世界大戦気分の国が私を標的に……。


「し、死にたくない」


 私はそこで、初めてこの子を匿うことに恐怖を感じた。それは単なる思い込みにすぎない、あっちも他国の市民を殺す重大さは知ってるだろと頭では理解しつつも、逮捕どころか殺されるかもしれないという懸念は簡単には払拭できず、床にへたり込んでしまった。


「チアキ……」


 カミーリアがプチトマトのような瞳で私を見た。純朴とはほど遠い常に暗いものを宿す子だったが、それ故に悲しみを浮かべたこの子の顔は、私の胸に焼けつくほどの痛みを走らせるには十分すぎた。


「しんぱいしないで。おまえらにはめいわくをかけない。せわになったおまえらには」


 そう言って、伸びに伸びた爪が刺さらないように気を配りながら私の頬を撫でた。


「じゃあいい! 無理にでも連れ戻させてもらいますからね!」


「ちょ、ちょっと! 何勝手に。通報するわよ!」


 その時、児相の職員は態度を変えて強硬策に出た。渡す気がないなら自分で連れてくまでと言わんばかりに母さんを押し退けて、足音からして土足でこちらに向かってきた。

 瞬く間にリビングに入ってきた職員を名乗る男は、見てくれこそ清潔だったが目は血走って見開き、痩せこけた有様は正気を失っているようにすら感じられ、目が合って寒気がした。


「その子を渡しなさい! どけ!」


「きゃっ!」


「チアキ!」


 男は硬直して動けずにいた私の肩を掴んで乱暴に押し退けた。よろけた先には食事をしていたテーブルがあり、そこに角に頭を強打して鈍い痛みが走った。


「ぇあ……?」


 激痛の中で何故かこめかみから温い雫が垂れてきたので、反射的に指を持っていったら真っ赤な血がついた。頭から流血したのは初めてのことだったから痛みよりショックで目眩がした。


「あっ……クソッ! 来い! お前が何なのかは知らねーけどお前さえ引き渡せば俺も家に帰れるんだよ!!」


 男は私を怪我させたのは本意ではなかったのか一瞬だけその場に立ち尽くしたが、すぐさまカミーリアの手首を掴んで強引に立たせて一発頬を殴った。カミーリアの痩せぎすの身体が壁に叩きつけられ、床に血が飛んだ。


「カミーリア!」


 母さんが廊下で警察に電話しているが、男はそれどころじゃないのか気にも留めていない。

 さっきはあれほどこの子を助けるという自信があったのに、あっけなく打ち砕かれた今はカミーリアにしがみつくことすらできない、痛みに悶えるだけの自分が本当に情けなかった。助けなきゃ。でも、動けなかった。


「しね」


「へ?」


 一言、低いけれどよく通る亀裂のような声で、カミーリアか男のどちらかがそう呟いた。

 それがカミーリアから発せられたものだというのは、1秒後、男が縁日のスーパーボールみたいに吹っ飛んで冊子ごとガラス戸を突き破り、庭に転げ落ちたことで分かった。

 幻覚かもしれないけど、一瞬カミーリアを包む周りの空間がぐにゃりとスプーンに映った景色のようにねじ曲がって見えた。

 いや、それならあの男が吹っ飛ばされたのはどう説明すればいい? その特大のシャボン玉に似たねじ曲がった空間は、カミーリアの掌という一点に集まって凝縮されて、それを一気に放ったように感じられた。

 例えるなら、肺いっぱいに溜め込んだ空気を口から一気に噴き出したような。そんな感じ。


「何だいったい……がっ、いででででッ!? 何だコイツ……犬かよ!? クソーッやめろ離せ!! 畜生!!」


 ガラス片で切傷だらけになった男はすぐに起き上がったけど、すぐそばにいて騒がしさにやや気が立っていたらいおんは、見知らぬ人間を見てコイツが犯人と感じたのか、男に圧し掛かって肩に怒りのまま噛みついた。

 コイツ、何年もタダ飯貪ってて今初めて番犬っぽい仕事をしてるので感動している。


「いってェェェェ畜生!! 畜生!!」


 男は溺れたようにもがいてらいおんから必死で逃れると、よだれと土とガラスの破片だらけになって塀をよじ登って逃げていった。

 らいおんは勝ち誇って何度も闇夜に吠え、逃げる男を追い立てた。


「チアキ、けがしてる」


 私は今起きた一連の出来事が夢か現か分からないまま、ぼんやりと割れたガラス戸から入ってきた冷風に当たっていると、真横からカミーリアがおどおどとパックリ割れた私の傷跡を舐めた。

 え?


「あ、あのーカミーリアちゃん。何をなさってるの?」


「いいからじっとしてろ」


「せ、せめて歯を磨いてから……」


 私が座り込んで、ようやくカミーリアとほぼ同じ目線になるくらいこの子は小さかった。ザラザラした生温かい舌が私の横顔を這うのを、むずがゆく思いながら好きにさせてあげていると、ふと痛みが引いていることに気づいた。


「ほえ?」


 恐々手を傷口にやってみたけど、カミーリアに舐められたら確かにあったその傷が消えていた。血が乾いた跡すらないので本当は無傷だったのかと思ったけど、床には血痕が残っている。


「もういたくないか?」


「う、うん」


 カミーリアは口の周りを血でほのかに赤く染め、私はよだれまみれの顔を袖で拭いた。柔軟剤の香りが今ほど気分を落ち着かせたことはなかった。

 カミーリアも殴られて負傷したはずだが、自分のことは二の次らしい。


「千明! 大丈夫!? 怪我はない? あ、戸が……」


 母さんは受話器を持ったまま血相を

 変えてリビングに入ってくると、砕け散ったガラス戸と、向こう側で自分のせいじゃないと言わんばかりに犬小屋の中で縮こまるらいおんを見つめた。


「おれがやった」


 カミーリアが、母さんの目を見て口を開いた。


「あのおとこがチアキをきずつけたからだ。だが、おれはおれをまもるためにやった。こんかいはこれですんだがつぎはわからない。やっぱりあぶない。いますぐおれはきえるよ」


 そう言って、カミーリアはゆっくりと庭に裸足で降りた。違う。あの男を追い払ったのは私を守るためだ。そうでなければ私の怪我を癒したりなんかしない。


「カミーリア! 待って!」


 私はあの子を呼び止めようと私も庭に降りようとしたが、部屋の明かりが地面で輝くガラスの破片を照らし出し、それを見て足が止まった。たったこれだけであの子を追いかけることに躊躇しているということは、内心はあの子を見殺しにするのが得策だと感じてるからなのか。つまり、私は自分のエゴであの子を助けようとして、それが難しくなればあっさり切り捨てようとするのか。

 なんと軽薄なのか。あの子の方がよっぽど勇敢で慈悲深い。自分の弱さが不快で仕方なかった。でも、どうすることもできなかった。ここで追いかけなかった一生後悔する気がしても足が前に進まない。

 すると、門を開ける音と共に誰かが庭の方に向かってきた。誰かと言っても誰なのかは分かっているけど、さっきのこともあるから妙に身構えてしまう。この革靴の足音は……。


「なぁ。家の前で小さな少年が倒れてたんだが、この子とこのひしゃげた窓枠は何か関係あるのか?」


「……流琴。遅い」


 大葉流琴。28歳。

 私の義理の父で亡命マチリーク人がようやく帰ってきた。腕にはぐったりしたカミーリアを抱えて。

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