生体兵器ナルシェーニエ 3

「気を失ってるだけだ。熱はない。多分貧血だろう」


 カミーリアを毛布の上に寝かせ、さらにその上にまた毛布をかけてやりながら、父さんはコップに注いだペールエールを喉を鳴らして飲んだ。


「まさかこの家に強盗が来るとはな。ただ、金じゃなくてこの子どもが目的だったんだな?」


「そう。でも、カミーリアが強盗を追い払ってくれた」


「こんなもやしっ子が? どうやって?」


「それは……」


 とは言っても、あれをどうやって説明すればいい? あの時カミーリアが私を守るために使ったものは恐らく、並の人間が修行すればできるような代物ではない。もっと人智を超越した何かだ。

 この力を求めて男がカミーリアを連れて行こうとしたなら納得がいく。どこの国だって家出少年の捜索で他国にまで来ることはない。しかし、この子はそうでない特別扱いということは、そういうことなんだろう。


「とりあえず、詳しいことは電話で清香から聞いてる。コイツ、マチリークから逃亡してきたんだろ? それもわざわざ兵士が国境を越えて捜索に来るほどのVIP待遇というわけだ」


「父さんは来たことないの?」


「ない。というか俺がこっちにいることすら知らないと思う。あっちでは失踪や蒸発とかの扱いだろーな」


 そう言って、父さんはまたペールエールを注いで飲んだ。今年で28歳なのに髪をワインレッドに染めているので、たまに行事でスーツを着ると完全にホストの風采となる。でも地毛の色も金髪だからどっちみちホストみたいな見た目になるだろう。なまじ父さんは目は黒いのが中途半端に日本人っぽい。

 精悍かつ甘めの顔つきで、背も高く筋骨隆々になりすぎない程度に身体も鍛えてる父さんは母さんと結婚する前、まだ私とは親の友達程度の関係だった頃から女性にモテていたのを覚えている。女の子からもらったお菓子をよく私にくれた。


「……業者、明日来るかな」


「来るかなじゃなくて絶対明日直してもらわないと寒くてテレビも見れない」


 ガラス戸が吹き飛んでないせいで遮るものがなくなった冬の寒波が寒くて寒くて仕方ないので、今は3階の私の部屋にいる。女性らしさも男らしさもない我ながら特徴のない部屋だ。唯一あるとすれば、机の横のアンモナイトの化石標本だろうか。

 ちなみに母さんは事情聴取でお巡りさんと一緒に警察に行った。今も家の前にはパトカーが停まっているけど、近隣の人達から何かやったのかと怪しまれてると思うと憂鬱な気分になる。


「カミーリアはどうしよう。この子、少し目を離すと出て行こうとするの。私や母さんに迷惑かけたくないって」


「現に迷惑はもうかかったな。ちょうど目の前にいるし警察に引き渡したいところだが、マチリークの手先が今東京にいる以上、この子がマチリークから来たと知ったらまず間違いなく警察は連絡取って送還させようとするだろうな。善意で」


 この子はマチリークが嫌で逃げてきたんだから、それはかわいそうだと思う。連れ戻されたらどんな目に遭わされるかも分からない。何より、情けない自分をもう直視したくない。

 というかガラス戸の修理代をこっちが払わなくちゃいけない謎。

 父さんはペールエールを飲み干して、シャツのネクタイを解きながら立ち上がった。劇団の誰かからもらった福岡土産の明太子柄のクソダサネクタイを律義につけているわけだけど、間違ってもこれで文化祭とか来ないでほしい。


「とりま清香が警察に話聞かれてるなら、俺はこの子に話を聞かねばな。ちょっと待ってろ。警察の人もクソ寒い中外で立ってるわけだし、紅茶くらいは出してあげないとな」


「あ、私にも持ってきて。この子にも」


「はいはい」


 父さんは振り向かずに手を振って部屋を出ていった。

 父さんが出ていくと、私は体育座りを解いてカミーリアの真上で四つん這いになった。影の中に身体がすっぽりと収まってしまうほど、カミーリアは小さかった。


「寝顔は普通の子なのに」


 昏倒したまま起きることなく寝てしまったようで、息を殺して耳を済ませれば寝息が聞こえてきた。こうして見ると年相応の無垢な子どもなのに、目を開けると瞳は怯えや警戒でギトギトに濁っている。

 この手だ。この手に何か秘密があるんだろうか。私はさっきのあの現象はどういったものなのかを知りたくて、カミーリアの手を取った。

 紙やすりみたいな触り心地で肌荒れがひどい。爪はさっき私が切ったけど、とても伸びていたから、切った爪が茶碗に盛れるくらいの量にまでたまって流石に乾いた笑いが出た。

 せっかくだしハンドクリームでも塗ってあげようとしたら、冷たい風が部屋に入ってきて思わず身震いした。窓が開いているらしい。私は立ってカーテンをまくった。でも、窓は硬く閉じてある。ドアもちゃんと閉まってる。今の風はどこから吹いたんだろう?


「まったく今日は大変な日だったな。6歳の頃初めて行った動物園も刺激的だったけど、今日の方が驚いたかな」


「すぐにいのちがいくつあってもた、たりなくなる」


「えっ?」


 私に独り言に反応して、カミーリアが起き上がった。無造作に伸びた長髪を自分でもうざったらしそうに後ろにかき上げて、私の顔をじっと見つめた。


「すまない。たおれるなんてな。ほのおみたいなみためのきのこやさわるとびりびりするけむしもたべたけどへいきだったのに」


「君積極的に猛毒のヤツ食べてない?」


 普通限界まで飢餓状態になっても毛虫や毒キノコなんて食わんぞ。


「大丈夫? まだ寝てた方がいいよ。やっぱりずっと外で生活してたから自分が思ってる以上に疲れが溜まってたんだよ」


 私はカミーリアの肩を掴んで再び布団に寝かせた。

 さっきは外に出ていこうするカミーリアを呼び止める勇気すら出なかったのに、今は家に留めおこうとしている自分の矛盾した行動を我ながら変に思っているけど、人間はよく言えば臨機応変、悪し様に言えば都合のいい生き物だから仕方ない。


「もしかして、倒れた原因ってさっきあの男をカミーリアが妙な力で吹っ飛ばしたのと関係ある?」


「……みたのか?」


「……あれで隠してたの? 何かカミーリアの周りの空間がぐにゃぐにゃーってなって、それが掌のの一か所にぎゅるぎゅるって感じで集まって、それを一気にどかーんってやってなかった? ごめんそんな人を哀れむ目で見ないで」


「いや……わるかった」


 逆に謝られた。普段本を読まないせいか、こういう相手に物事を説明をする時が一番己のおおて語彙力の低さを痛感させられるんだなと今わかった。


「で、それが関係してんの?」


「……ああ、ひさびさにつかったからかげんができなかった」


「加減とかあるんだ。君は透視もできるし怪我も治せるしすごいんだねぇ羨ましい」


「……」


 すると、何かが気に障ったのかカミーリアはじっと私の顔を見つめた。睨んでるのかただ凝視してるだけか分からない目つきで、普通に睨みつけられるよりきまりが悪い。


「うらやましいのか? これのせいでおれはおわれているしおまえもけがさせられた。おれはもどればせんそうでひとをなんにんもころさなくちゃいけない。それのどこがうらやましい?」


「わ、わかった軽はずみに変なこと言っちゃったね。ごめん……」


 カミーリアは毛布をぎゅっと握り締めて、その中に潜り込んだ。

 この子も余程のことがあったから海を渡ってここまで来たんだろう。それなのに軽口を叩いて傷つけてしまった。凹む。さっきから勝手に名前をつけて勝手に弟みたいとか思ったり、一人舞い上がってしまって恥ずかしい。この子がかわいいせいだ。


「そのお前が倒れた原因って言うの、ちょっと俺にも見せてくれよ」


「あ?」


 いつのまにか戻っていた父さんが、お盆の上にマグカップを3つ乗せてやってきた。父さんよく足音を消して歩くから、たまに家の中でどこにいるか分からない時がある。この子には事前に父さんはマチリーク人だけど味方だと伝えてあったけど、やっぱりあんなことが起きたばかりだと身構えてしまうのも無理はない。

 カミーリアは起き上がって私の袖を掴む。私のことを頼ってくれてるのかなと一瞬思ったけど、恐らくは盾にするつもりなんだろう。まだ信頼されきってはいないのも当然だ。


「心配するな。傷つけはしない。ほら。お茶だ。さっきの話を聞くに俺は毒見とかはしなくてよさそうだな?」


 父さんは極力カミーリアを刺激しないようにと、屈んで一番最初にカップをカミーリアへ手渡した。カモミールの匂いだ。安眠効果があるらしいからそこも気を遣ったんだろう。


「あ、ありがとう」


「何だ。清香からは字もろくに読めないガキと聞いてたけど礼儀正しいじゃないか。感心感心」


 そう言って父さんはカミーリアの頭をわしゃわしゃ撫でた。カミーリア嫌そう。


「で、話戻すがその力をちょっと見せてくれよ。わざわざここまで追手が来るからにはよっぽどすごいんだろ? 可能なら俺の劇団の舞台装置として協力してもらいたいね」


「……うえははいいろで、したはごむのとこがしろであとはみんなはいいろ」


「は? 何のことだ」


「……あ。えっ!? そうだった、そうか……」


 今、ブラとパンツの色を当てられた。唐突にすごい辱めを食らった気がするけど性欲がない故の無自覚なセクハラなので、キレると小物だと思われるから何も言えない。


「あーなるほど。透視はマジらしいな」


「何がなるほどなのかな」


 父さんも勘付いたようだけど流石に何がとは言わなかった。言われてたら羞恥心で死にそうになっていただろう。


「それもすごいが、俺は確保がマチリークの国是となるほどのヤツの力というのがどんな代物か見てみたい。それと、俺の名前は流琴だ。大葉流琴」


「国是って国の威信をかけて成し遂げることみたいな意味だっけ? 何でそう思うの?」


「マチリークがこれからもし他国と貿易とかすることになれば、まず他国から軍縮やら要求されるだろう。それは武装組織としては生き血を抜かれるに等しい。でも、コイツがそれほど強力な力を有しているなら、それを後ろ盾に大国相手にも有利にことを進められる」


「それなら、最悪国連加盟国にならなくてもカミーリアで世界中を脅すこともできそうだけど」


「ああ、だからこそまずカミーリアだっけ? お前のその秘められた力をぜひ見せてくれると嬉しい。ギャラならほら」


 父さんはポケットに裸で押し込んだしわくちゃの千円札をカミーリアに握らせた。

 何故か父さんは財布の他に常に身体のどこかに紙幣を入れておく癖がある。財布忘れるほどそそっかしくないはずだから、スリにあっても帰れるようにするためだろうか。


「……わかった」


「えっ」


 カミーリアは微かにうなずくと、左手に持つマグカップに紅色の瞳を落とした。それに私達の視線も自然と吸い寄せられる。

 私はマグカップをじっと見ていたけど、次第に他のことが気になるようになった。


「また窓開いてないのに風が……」


 さっきのようにまた室内に風が吹き始めた。ただ、これは普通の風でなく、身体の一部分、ちょうど私のお腹の辺りだけに当たっているような扇風機と似た風だ。何だか息を吹きかけられているような気分だ。


「ん? お前の手のとこ、何か曲がって見えるな」


 私は余所見をしていたけど、父さんの声ではっとなって視線をまたマグカップに合わせた。

 すると、あの時見た光景が流血のせいで見た幻覚でなかったと証明するように、カミーリアの右手首の周りだけ空気は絶えず流動し、辺りの空間のみ捻り曲がっていた。

 そして、カミーリアは右手をマグカップからゆっくりと離した。同時にこの子の切り揃えたばかりの爪に亀裂が入るが、痛みはないのか表情に変化はない。


「やっぱりかげんとかできないから、なんかあったらあやまる」


「なんかって何かな」


「とうかい……だな」


「あ、そう。おいちょま!?」


 私が慄いた次の瞬間、カミーリアの手首周りの空気の層が掌の上の一点に集まり、ラムネ瓶のビー玉ほどの小さな粒になった。透明なのだけど、光の屈折なのか輪郭は妙にくっきりと見えた。

 カミーリアがそれを金色のカモミールの液体の中へぽとりと落とすと、水面にひと時の王冠が現れ、すぐに消えて退位した。


「うぎゃっ!!」


 刹那、マグカップから噴水のように紅茶が勢いよく噴き出し、同時にマグカップが爆発四散した。カップが水風船のように飛び散る瞬間、私はそれがやけにゆっくりしたスローモーションで見えた。

 そんな思考が停止した私よりも早く反応し。肩を掴んで覆い被さってきた父さんに床に背中を叩きつけられた痛みによって、私の時は再び動き出した。


「何かありましたか!?」


 音に反応した警備の警察官が階段を駆け上がって部屋に入ってきた。

 耳鳴りのする頭を掻きむしって私が周囲を見回すと、天井にはねたカモミールの雫が点々と振ってきた。


「だ、大丈夫です。下の子がさっきのことを思い出してしまったらしくて……」


 父さんはのっそり起き上がると、お巡りさんに対して愛想笑いで誤魔化した。起きた時にカチャカチャと、父さんのジャケットについた陶器のカップの欠片がいくつも落ちる音がした。


「そ、そうですか。それはお気の毒に……失礼しました」


 お巡りさんは部屋の惨憺たる有様に疑問を拭いきれていない様子だったけど、あまり詮索せずにドアを閉じて階下に消えていった。


「す、すごいな。百均の安物だけどそこそこ気に入ってたマグカップが塵と化した」


 父さんは起き上がると、コロコロを取って目につく場所の破片を取り始めた。これだけの威力だとどこか切ってそうだけど、手や足を見回しても運よく出血はなかった。


「くうき」


「え?」


 カミーリアが口を開いた。


「おれはひふでいきをすえてはくこともできる。さかなのうきぶくろみたいなのがぜんしんにあってそこでじぶんでもわからないくらいたくさんのくうきをためこめて、ほうだんのようにいっきにふきだしたりくうきのかべをつくったりできる」


 父さんは掃除機をハンマーのように振り回して肩に担ぎ、カミーリアを見下ろした。


「それがお前の力か。空気なら無限にエネルギーはあるわけだ。最高だな。ちなみに本気出せばどのくらいのことがやれる?」


「わからん。ただ……」


「ただ……?」


「かっとなったときはたてものをどだいごとけした」


 父さんが唾を飲み込む音が聞こえた。私が思っているよりも遥かにこの子は強大な力を持っていた。ここまでマチリークが来るのも分かる気がする。

 しかし、こんな万物の覇者のような力を持っていてもカミーリアは力に酔い痴れてる素振りは一切なく、その顔には苦痛が浮かんでいた。むしろ手放したがっているように感じられた。


「これがメインで他にも色々できるわけだ。フン、きっとお前のために軍はパチンカスも呆れるほど金使ったんだろーな。それがこうやって脱走されたというわけか。流石に同情するぜ」


「おれをやつらにわたしたいか?」


 それまでは俯きながら話していたカミーリアが父さんを見上げた睨んだ瞬間、突風が部屋を駆け回って壁を軋ませた。これが体内で貯蔵した空気を吐き出しているってこと? 飛行機が離陸する前にエンジンを温めるように、これがこの子の臨戦態勢に移行する動作なんだろうか。


「まぁ待て。仮にそのつもりだとしても娘の前でそんな不義理かましたら二度と口きいてもらえなくなる。というか俺がお前に勝てるわけないだろ。そんなことしないよ」


 父さんはそう言い、掃除機を元の場所に乱雑に置いた。

 カミーリアはまだマチリーク人の父さんを信用しきれてないらしい。父さんが皮肉屋なのも悪いけど、この人もこの人でマチリークには思い出したくないことがあるんだろう。それなのに再び関わるハメになるのだから喜ばしくないのは間違いない。


「あ、どうしたの?」


 私が当惑の中で今後について物思いにふけっていると、カミーリアが私に寄りかかった。突然甘えてきたのかと思って見てみると、ものすごく顔色が悪いし肩で息をしている。

 さっきも家の前で倒れていたそうだし、この空気を操るという力は資源は無限にあってもかなり疲弊するものなのかな。私はそんなことをぼんやりと思いながら、カミーリアの頭をそっと枕の上に置いた。額に手を置いてみたけど熱はない。むしろ冷たすぎるくらいだ。


「千明、ちょっと話をしよう」

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