生体兵器ナルシェーニエ 1

「ホントによく食べるわねこの子……大食い選手権のチャンピオンが舌巻くレベルよ」


「育ち盛りってすげぇや」


 さっきあれほど親子丼を食べたのに、もうがつがつと豚汁をすするこの子を膝の上にのせて、私も同じものを食べていた。この体勢だと皿が何枚もあると食べにくい。

 膝に乗せているのは少しでも目を離すと逃げてしまいそうだからというのもあるが、本当はこの子がかわいすぎて放したくないというのが一番の理由だ。昔から弟か妹が欲しかったから夢が叶った気がして気持ちがいい。あんなきったねぇベト〇ターの擬人化みたいだった子が、こんな美少年だったとは。当の本人は私のことなんか気にも留めず、具のシイタケを目を細めて噛みしめていた。

 スプーンを握り締めて咀嚼しているので、食べこぼしがひどいからこまめに私が拭き取っている。


「流琴、今日は他の劇団の役者さんと打ち合わせがあるから早く帰れるようにするけど、やっぱり遅くなるってさ。まぁいつものことね」


「打ち合わせカッコ飲み会ね」


「そんなこと言わないの。売れない役者の人達とも交流を持って、その人らがいつかブレイクしたら恩を返してもらう気なんでしょ」


 父は、そこそこ名の知れた劇団の専属脚本家を務めている。

 父の描くストーリーは悲恋モノが多いが、国内外に多くファンがいるのは、幕末の動乱で生き別れた長州藩の兄弟が、兄は不平士族として弟は憲兵として互いに兄弟だと最後まで知ることなく、西南戦争で戦って相打ちとなる話だ。

 私も中学生の頃に社会科見学で見に行ったことがある。父もチョイ役で出てるというから探してる内に劇が終わっていた。全員メイク濃すぎて誰が誰だか分からなかった。

 何はともあれウィキペディアにも20秒くらいで読み終わるけど記事があることから、業界ではそこそこ名が知れてるらしい。だから、こんな立派な家にも住めるんだろうが。

 在宅でもできそうな仕事なのだけど、ずっと家にいると近所でヒモか何かだと思われると感じてるのか、いつも新宿にあるオフィスで仕事をしている。毎日帰ってくるのが遅いから、多分詩音の方が圧倒的に父より多く会話している。


「チアキ」


「ん? なぁに?」


 ふと、この子が私に話しかけてきた。この子の頭の上に胸が乗っかってると重さを感じなくて楽だな。


「おまえのおや、へーし?」


 へーし……。兵士か。マチリークでは軍人だったのか聞いてるのか。私は数秒考えてからそれに答えた。こういうことは私より妻である母さんの方が詳しいはずだけれど。


「私もよく分からないの。父さんはマチリークにあんまりいい思い出がないみたい。でも兵隊さんだったらそれを生かした職に就いてるだろうから違うと思う」


「そうか……なら……」


 というか今、明らかに7歳ぐらいの子にお前呼ばわりされた。ちょっと傷ついたけど悪気はなさそうだしいいとしよう。


「流琴はお芝居の物語を書いてる人なの。ほらこのパンフレットに脚本大葉流琴ってあるでしょ?」


 そう言って母さんは、劇団の最新の舞台のパンフをこの子に見せた。パンフに映っている主演俳優の荒巻さんは前に家に来たことがあるけど、私の顔を見るなりわー巨乳JKだーと冗談めかして言うにが冗談抜きで気持ち悪かった。でもお小遣いくれたからチャラです。


「……?」


 この子は差し出されたパンフを見ていたが、やがて何もわかっていないような眉間にシワを寄せた顔でカタカナ表記のスポンサー欄を指でなぞっていた。

 もしかしてこの子。


「まさか、字まったく読めない?」


「は? よめるし」


 そう食い気味で言い返すと、この子は私を見上げて睨みつけた。あ、図星だ。


「じゃあ、この漢字何て読む?」


 私はパンフの中の公演日の三月の「三」の字を指差した。


「…………………………べ?」


 たっぷり30秒くらい考え込んで外した。嘘でしょ小1レベルなんだけど。マチリークの識字率がヤバいのかこの子だけがこうなのかどうなんだろう。言葉遣いもマナーも正直悪いし、相当劣悪な環境にいたのは間違いない。


「いや大丈夫だよ。まだ子どもだし。でも今の内に勉強しとかないと取り返しがつかないことになるかも」


「べ、べつにじ。よ、よめなくてもいきていけるし」


「社会的には死んだも同然なんだよなぁ」


 この子のほっぺたを掴んで痛くない程度に引っ張っると、その子は嫌そうに拗ねて私から離れ、もぞもぞテーブルの下に潜り込んでしまった。何このかわいい生き物。成長なんかしないでずっとこのままでいてほしい。


「ところで君、名前は?」


 私が下を覗き込んで、今まで一番気になっていたことをうずくまって怯えたような怒ったような目で私を見つめるこの子に尋ねた。


「ふぁっく」


「あ? ンだとオラいや、何でもない!」


 危ない。急に罵倒されたからついキレかけてしまった。


「ふぁっくってよくよばれてたから、たぶんそれがなまえ」


「多分違うと思う」


 絶対いじめられてただけだと思う。要するに主だった名前を持ってないわけだ。やせ細った姿のこの子は、字も読めないだけでなく名前すら持ち合わせてないらしい。

 虐待されて死んじゃう子だってキラキラした名前くらいはつけられているのに、この子にはそれすらないという。一体どれほど嫌われたらこんなひどく扱われるのか。


「じゃあ、君の名前は私が決めていい?」


 私は、適当に部屋中を見回した。何か、この子の名前としてちょうどいいものがないかを探すように。題名は知らないミュシャの複製画、木彫りの熊、名前知らないやたら葉っぱが鋭利な観葉植物。椿のドライフラワー。中々いいのがない。

 しかし、今決めとかないと明日になったら忘れてる気がする。そういえば、この前買った英単語帳に、花の名前の一覧が載っていた。その中で椿は何て言ったっけ。


「カミーリア」


「え?」


「君の名前はカミーリアね! よし決定。中性的でかわいいしいいでしょ」


「人の大切な名前を飯時に決めないの。それも1分足らずで。というかアンタらいおんの方は3日か4日悩んで決めてたじゃん」


「うっ」


 痛いところを突いてくるな。でも、こういうのはやっぱり勢いが大事だと思う。私はらいおんの名前を今に至るまで40回は改名したいと思ってるからな。でも、一度ダグラスって呼んだら、すごい困った顔をされたからできないでいる。名が変わると私への態度も変わった件。


「で、君はそれでいいの? 私がもっと凝った名前つけてあげようか?」


 母さんはテーブルの下をくぐって自分の方に来たカミーリアの頭を撫でながら、この子に文句がないか聞いた。なんだかんだ自分がホントは名付け親になりたかったのか?


「べつにいい。どうせだれもよばない」


「じゃあ、カミーリアで決定! 以降変更は受け付けません」


 少し強引ではあるけれど、これでこの子の名前は決まった。うん。よくよく見ればカミーリアって感じの顔してるわこの子。

 しかし、カミーリアは自分が名付けらたことに少しも興味がないようだ。名前が無ければ出生届も出せないだろうから普通だったら困るなんてもんじゃないはずなのに、この子の親は今まで名無しで困ることはなかったのか。

 この子。一体どんな生い立ちなんだ。マチリークから来た名無しの虚弱児。少なくとも幸福ではなさそうというのは確かだ。


「とはいえ、問題は父さんがこの子を家に置いてくれるかどうかだけど」


「まぁ亡命マチリーク人だしね。死ぬまでマチリークと関わりたくないだろーけど、子どもを見捨てられるようなクズじゃないから大丈夫と思うわよ。短期間は」


「できたらずっといてほしいなぁ」


「どんなやつかよくし、しらないにんげんを、あまりしんようしないほうがいい」


 テーブルの下が気に入ったのか、そこで丸まって動かないカミーリアがぼそりと言った。どうでもいいけど、この子は字が読めない割にそこそこ語彙は豊富なのが不思議だ。


「そりゃカミーリアがあと20くらい歳をとってたら警戒もするけど、7つか8つの子どもにまで注意してたらノイローゼになるって。だからそんな心配しなくていいの」


 私はそう言って、食べ終わった皿を流しの方に持っていくと、それを見たカミーリアも這い出て自分の皿を持って行った。マナーを知ってるというより私のやったことを真似してるだけのようだ。


「ありがと」


 背が足りないので、代わりに私が皿を受け取って水を張った桶に入れると、カミーリアは困惑した顔つきで周りを落ち着きなくキョロキョロ見回した。長い髪のせいでよく見えないけど、目が泳いでいるのがわかる。

「どうしたの?」


「おれはどこにいたらいいんだ?」


「……母さんの横にいたら?」


 奇妙なことを聞く。元いたところに戻ればいいのに。

 私が冷蔵庫からコーラを取って、これをカミーリアに飲ませたらどんな反応を見せてくれるのかとちょっと期待に胸を膨らませた時、玄関でチャイムが鳴った。


「あ、父さん帰ってきた」


「まて」


 私がドアを開けるために廊下に向かうと、カミーリアが後ろから私を呼び止めた。


「そいつ、ほんとにおまえのおやか?」

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