追憶のカナブンカレー

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話『追憶のカナブンカレー』

 ショウヘイと久しぶりに待ち合わせた。特に何をするとかは決めていない。たまたま、互いに都合がよかったから会うことになったっていうだけだ。

 時は14時。ショウヘイは昼飯がまだだというから、ふと目についたハンバーガー屋に入ることにする。俺も俺とて昼飯が軽かったから、セットメニューでもぺろりと食べられるくらいには腹が空いている。

 店に入り、メニューを見だしてすぐ、どでかい写真に視線がくぎ付けになった。そこにあるのは、『ワールドバーガー・ジャパニーズカレーソース』の文字と写真だ。

 もう、意味が分からないじゃないか。ワールドを名乗るくせに、ジャパニーズカレーとは。そこはインドじゃないのかと、危うく発案者でも何でもないただのアルバイトの女の子にツッコミを入れかけながら、面白そうだとそれを頼む。

 席に着き、包みを開けば、ふわりとおうちカレーの香りが広がった。

 一口かじれば、ハンバーガーにカレーをかけた味がした。何の変哲もない、イメージ通りのそれ。

 もはや、笑えてくるほどになんの捻りもない。

「コレ、ヤバいな」

 あまりに予想通りの味すぎて、食欲と共に語彙力までが無くなる。

 二人して苦笑していると、

「そういえば、昔食べたカナブンカレー、美味かったよな」

 急に、ショウヘイが思い出話を始めた。




  *




 あれはいつの日のことだったか。たしか、まだランドセルを背負っている頃だったと思う。

 習い事のお泊まりイベントみたいな面倒臭いやつで、星が綺麗に見える山だか森のなかに連れ込まれた俺ら。

「晩御飯はカレーだぞ!」

 そう声を張ったコーチの先導で、皆で草木が生い茂る道を歩いて進む。虫が多くて嫌になったけれど、ついて行かなくてはご飯が食べられないから、仕方なく。

 しばらく進むと、水道やらコンロを備えた調理広場みたいなところに出た。

 そこで、俺らは生まれて初めて、アウトドアカレーを作ることになったんだ。

 昔は外で料理することもあったのだろうけれど、今どきは屋内のキッチンでしか作らない。そんなこともあって、俺らは皆、外で料理などしたことがなかった。

 だから、自然の中で、鍋を火にかけているだけでもワクワクした。

 窮屈な家の小鍋と違って、自由に動ける大鍋で気ままなフリースタイルダンスを決める不揃いな野菜たち。

 グツグツと煮えたぎる地獄湯の中、踊る具材たちはとても楽しそうに見えた。

 カレー隊がダンスの鑑賞に夢中になる中、響き渡る叫び声。

「米、水に浸すの忘れてた!」

 米担当の致命的ミスに落胆の声が広がる。けれどまぁ、炊きあがるのが遅くなるだけだ。米担当は、急いで米を洗って水に浸す。

 ご飯が炊きあがるまでだいぶ時間があるけれど、地獄湯ダンスはそのまま続く。どうせ数十分伸びるだけだ。そのままにしておけばダンスを見ていられるし、炊きあがるタイミングを狙って温め直す方が火を消すよりも面倒くさい。鍋の中は、だんだんと疲れ果てた野菜たちがその身を溶かして、入浴剤を放ったお風呂のような湯色になった。

 これを地獄湯というのは、可笑しいだろう。温泉のような湯だ――天国湯とでも呼ぼうか。天国湯で具材たちは極楽ダンスを続ける。


「ご飯がもう少しで炊けるぞ」

 希望に満ちた一言をきっかけにして、仕上げにルーを放り込んだ。天国湯は、すぐさま湯色を褐色に変えていく。これを言い換えるなら、便所――言い換えるのはやめておこう。

 無事にカレーが出来上がり、拍手喝采。スパイシーな香りに、腹の虫があちらこちらで鳴き出す。

「食うぞー!」

 拳を突き上げる俺ら。

 と、カレーに魅了されたのは腹の虫だけではなかった。盛るぞ盛るぞと盛り上がる中、別の虫さんがご来訪。

 その名を、『カナブン』という。

 ドポン。

 刹那時が止まったかのように、その光景を目撃した全員が凍り付く。

「……わ!カナブン入った!」

 これぞまさしく、天国から地獄。

 美味そうなカレーにダイブしたカナブン氏。しばし便所――ではなかった、褐色の湯でダンスする。

 コーチがレードルで救い出し、その辺に供養してやるわけだが、

「虫入った……食べたくない……」

 と、泣きそうな声がチラホラと聞こえるのはお察しの通り。

 腹の虫が怒り狂う。白米だけを食えというのか。今ここ一帯に、これほどまでに美味そうなカレーの香りが漂っているというのに。香りで白米を食えと!?


 スパイシーは罪だ。

 文句を言いながら、目をうるうるさせながら、それでも「いただきます」と手を合わせた。

 ゴクリと唾液を飲み込んで、恐る恐るカナブンカレーにスプーンを突っ込む。口に入れて、咀嚼した。

「あれ、フツーにカレー」

「うま!野菜柔らかい」

「ジャガイモ切ったの誰だよ!このジャガイモ、馬鹿みたいにでっかいんだけど!」

「「「あははは!」」」

 笑い声が響き、笑顔が咲く。

 これぞまさしく、地獄から天国。

 自然の中で食べるカナブンカレーは、他のどんなカレーよりも美味かった。




  *




 そんなこともあったな、と笑う。

 もう二度と虫がダイブしたカレーなんて食べなくないけれど、あの時の美味さをまた、舌で感じたいとは思う。

「なぁ、あの時のカレーって、なんであんなに美味かったんだろうな」

「うちの母ちゃんのよりは確実に美味かった」

「カナブンって良い出汁でるのかな?」

「あの一匹じゃ出汁も何もないだろ」

「じゃあ、なんで?」

 二人して、冷めかけのハンバーガーに齧りついた。

 何のときめきもない、ハンバーガー。モグモグと咀嚼する顔は、互いに真顔、時々、思案顔。

「うんこ」

 突然、真顔のままショウヘイが呟いた。

 コイツは何バカみたいなことを言ってるんだ、と笑いながら齧るハンバーガー。

 けれどほのかに――ほんの少しだけ、さっきより美味しい気がした。絶対に、冷めて刻々と不味くなっていっているはずなのに、だ。

「あれ?」

「どうした?」

「ん?……んん?」

「マジで笑うと美味いとかそんな話じゃないよね?」

「え、そんな実験されてる?」

「あ、うん。ヤマト、あの時ゲラゲラ笑いながら食べてたなーって思って」

「それで『うんこ』とか言ったんだ」

「だってヤマト、『うんこ』って真顔で言うと笑う奴じゃんか」

「何その小学生から進化してないみたいな言い方」

 今度は二人で笑う。周りに人が居たなら、刺々しい視線を向けられそうなくらい、うるさく。

「笑顔が一番のスパイスってか?」

「笑う門には美味来たる」

「うまい!ヤマトくん、座布団一枚持ってきて~」

「「ははは!」」


 語り終え、別れる前に、ショウヘイに真顔で「うんこ」と呟く動画を撮らせてもらった。飯を食う時、それを見るとほんの少しだけ美味くなった気がするからって、それからしばらくお世話になった。

 けれど、最近は変顔の写真とか、お笑い動画を見ている。

 単純なことだ。食事中に「うんこ」って呟かれるのが、ちょっと嫌になったっていうだけ。


 病は気から。美味は笑顔から。

 笑顔は、食の好みや身体との相性に関わらず、誰にでも振りかけられる魔法のスパイスみたいだ。

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追憶のカナブンカレー 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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