第25話 ハワイへの企て 後篇

「はっ」


 ほどなく瞳の紅は影をひそめる。我に返ったように、彼女は地図から日章旗を引っこ抜いた。


「ご、ごめんくださいまし。出過ぎた真似を……」

「いいや、よい。続けよ」

「けれど、せいぜい小娘の戯言ですわ」

「その戯言を聞かせてみよと申しておる」


 なおも遠慮しようとする彼女を、松方は急き立てる。おそるおそるといった風に、上洞院は語り出した。


「けれどスペイン王国を倒したあとに、ロシア帝国だなんて。欧州の列強国と二連戦……果たして耐えられるのでして?」


 ふん、と閑院宮が鼻を鳴らす。


「スペインの東アジア艦隊は精々6隻、しかも旧式艦だ。豊島沖海戦で清朝北洋艦隊を叩きのめした皇國海軍の脅威たりえんよ」

「けれど、宮殿下。駐留スペイン軍は万規模ですわ」

「ろくに武器も持たないフィリピンの独立革命軍相手に手こずる軍団だ。1か月もあれば制圧できるだろう」


 お嬢様は再び黙り込む。こんどは猜疑じみた声で、このように切り込んだ。


「……枢密院は、動かれますの?」


 玲那も、ずっと気になっていることだった。

 こんな世界政策を、学修院の端っこで喧々囂々まくし立てたところで、出来ることは限られていように――そんな疑念が滲み見えた。


 地方商人に過ぎない上洞院家は当然のこと、有栖川宮家だって閑院宮家だって、上川に送られるくらいには宮廷下位で、皇國のほとんどの権限を掌握する英傑たちを動かす力には、なりやしまいと。ゆえに、すべてはこの大蔵大臣次第だろうにと。


「逆に、スペイン領東インドという格好の獲物を逃すとでも?」

「……わたくしなどに聞かせる程度の与太話かと」

「ふはっ! 見逃すとは思えんな、レイテ沖やマリアナ沖の地獄を知る連中が」

「こら松方!」


 玲那は立ち上がって、彼を制する。


「ふふ。ご安心くださいませ。この身は姫宮の忠実なる臣――姫宮の御前で与太話などいたしませんとも」


 平然とそんなふうに嘯く彼を、じとりと見た。


「よく仰いますね。満州利権の放棄など、知らせてはくれなかったくせに」

「ええ、それは枢密院の方針でしたので」

「この際はっきりさせておきましょう」


 まっすぐ、この蔵相へと目を合わせる。


「皇國枢密院は、英米と協商を組むおつもりですか?」

「――はい」


 あまり間も挟まず、彼は正直に認めた。


「枢密院では基本的な戦略方針が決定しております。『来たるべき世界大戦において、皇國は英米と与して参戦する』と」

「……薄々は察していましたけれど、本当に対米非戦の方針なのですね」


 玲那はため息をつく。


「ええ。連合国との同盟。架空戦記の王道ですね」

「……松方、口を慎みなさい」


 その言葉の意味が解らなくて首を傾げる上洞院を、玲那は困り顔で見た。


「けれど、想定通りにいきましょうか。千島の喪失、北京の制圧に長江流域への進出……玲那たちがハチャメチャやったせいで、いろいろと前提が異なるのですから」

「さあ。彼らは第一に史実を見ておりますから」

「っ……」


 黙り込んだ玲那は、一拍おいて頷いて、ぽつり。


「……やはり、楔だけは打ち込んでおくべきですね」


 松方は、うっすらと笑みを浮かべた。


「枢密院は、合衆国と対立するつもりは毛頭ありませんが。それでもやると仰いますか」

「ええ。米西戦争へ介入するには、時間稼ぎが必要です――……ゆえに、


 独断専行やむなし。玲那は、決然と口にした。

 上洞院は唖然と口を開き、閑院宮は呆れて肩を竦めた。


「ハワイ介入、ですか」

「ええ。東洋への前哨基地となるハワイ……ここの支配さえ確立すれば、合衆国はスペインとの戦争に踏み切るでしょう」


 史実でもそうだった。

 明治26(1893)年にハワイの王制を打倒し、王室を駆逐した合衆国の植民者たちは5年間で先住民への支配体制を確立し、明治31(1898)年には合衆国によるハワイ併合を実現させた。東洋への中継点となるこの島を手中に収めたこの年に、合衆国はスペインとの戦端を開いた――そして今年は、その前年なのである。


「来年に、皇國がスペインへ戦争を仕掛けるのは不可能です」


 第一に、南洋へ派兵する戦力がない。清朝との戦争が終結したばかりで、連戦には無理がある。

 第二に、これが一番大切なのですけれど、と玲那は前置きする。


「外交的な根回しが出来ません。対露戦争を買って出る代わりに、スペイン領東インドを獲得する――そのような取引をするには、ロシア帝国の南下の脅威が足りていないのです」


 まだ中国分割さえ始まったばかり。英米がロシアを脅威とみなすには、少なくとも義和団事件(1900年)を待つ必要があるだろう。つまり、あと3年。


「あと3年は、時間を稼がねばならないのです」


 ああ、と松方は頷いた。


「そんなことは、枢密院とてわかっております」

「……では、なぜ枢密院は動かないのです」


 米西戦争への介入を伺いながらも、その遅滞工作は怠る。その矛盾した態度を玲那は指摘した。


「トラウマなのですよ」


  松方は息をつく。


「……4年前のハワイ動乱が、ですか」

「ええ。対露戦争を前にして、合衆国の支持を得られないことは資金調達の都合上悲劇的です。ハワイの維持と天秤にかけたとき……どちらかなど、自明でしょう」


 点のようなハワイ諸島を見遣って、松方は言う。ハワイ王国――史実では、5年前に革命で王制が倒されているはずだった。

 しかし、ついに枢密院は皇國の移民へと武器を供給し、ハワイ革命を頓挫に至らしめた。米軍太平洋艦隊との代理戦争を通じて、合衆国の信頼を損なうという代償を支払って。


「おかげで皇國は、清朝との戦争を2年遅らす羽目になりました」

「それは理解しています。そのうえで」


 ずいっ、と玲那は身を乗り出す。


「いまハワイに乗り込まないのならば、代わりにどのような遅滞工作を?」


 米西戦争を引き延ばすための策が、ほかにあるようには思えない。


「……強いていうならば、アラスカへのフロンティア運動でしょうか」

「アラスカ、ですか」

「幾分かはカリブ海や太平洋への志向を軽減している――少なくとも、枢密院はそのような認識です」

「ふふっ。それでメイン号の爆発を防げるなら、造作もないのですが」


 合衆国の世論におけるスペインへの敵愾心は増すばかり。フロンティアが消滅していないことは、開戦を思いとどまらせるには十分たりえない。


「国内が安定している限り、開戦は時間の問題なのですよ」

「……」


 目を閉じる松方。そこに、ふと、閑院宮の声が割り込んだ。


「逆に言えば――合衆国の箱庭を荒らせば、開戦を遅らせられると?」

「ええ」


 間髪入れずに玲那は頷いた。すると閑院宮は、とん、と机を指で叩いて見せた。


「聞かせてみよ。如何に荒らす?」

「ハワイ革命に乗じて、王室を救出するのです」


 静かに聞いていた上洞院は、目を丸くした。


「お、王室……?」

「軍艦を派遣し、女王陛下ほか、ハワイ王国の要人を皇國へ匿います」

「……っ」


 そんなこと、たかが十数歳のわたくしたちに出来ようか。そんな風な、信じられないといったような反応を彼女は見せる。

 ゆえに玲那は、松方から米西戦争介入を告げられてから入念に練り上げてきたハワイへの計画をひけらかす。


「5年前の介入も虚しく、まもなくハワイ王国は滅亡しようとしております」


 5年前の動乱では王制こそ維持されたものの、ハワイでは日に日に合衆国の植民者たちが影響を増している。王国の余命は長くない。


「まもなく白人移民によって革命が起こるでしょう。その混乱に乗じて、合衆国に決して悟られぬよう極秘裏にハワイ王室を脱出させるのです」


 先住民の心の支えである王室。その身柄が確保できず、亡命した可能性があるとなれば合衆国とて楽観できない。なにせ東太平洋の要であって、東洋への前哨基地なのだ。併合の末に、支配の確立を見るまでは安易にスペインとの戦争には踏み切れまい。


「脱出のための軍艦派遣、か」

「ええ」


 玲那はふたたび地図を指し示す。


「一年中濃霧に閉ざされ、集落どころか、ここにたどり着く交通手段すら存在しない。合衆国の偵察員が入り込むにはあまりに厳しすぎるここ―――北海道厚岸湾より、救援艦隊を出撃させます」


 駒を5つ置き、詳細を記した紙切れを添えて。




 ・布哇救援艦隊

 旗艦 防巡『浪速』

    防巡『高千穂』

    戦艦改装潜水母艦『松島』

    戦艦改装潜水母艦『厳島』

    戦艦改装潜水母艦『橋立』

    装巡『浅間』

    装巡『常磐』




「『戦艦改装潜水母艦』……?」

「ご存知ですか? 松島型という戦艦を」


 ふん、と松方が鼻を鳴らす。


「明治三大バカ査定のひとつだな」

「なんですかそれ」

「なにせ、ポンコツの鉄塊に数百万圓を擲ったのだからな」


 困惑のままに首を傾げる上洞院。はぁ、と玲那は肩を竦めた。


「10年前の話ですわ。今は亡き清朝北洋艦隊が就役させた定遠級戦艦2隻は、皇國海軍にとって大きな脅威となりました。主砲30.5cm連装2基4門、装甲厚305mmは皇國海軍はもちろん、列強海軍が東アジアに配備していたどの大型艦をも凌駕しておりましたの」


 当時建造中だった富士型戦艦でさえも主砲口径は30.5cmであり、精々互角であったわけで、艦政本部は恐慌状態に陥ってしまった。


「市民ぐるみで定遠級に怯えて、小口径主砲の搭載を拒んだとも聞く。機関出力や装甲を切り詰めてでも32cm砲を装備することにこだわって、その結果が速射力に劣る単装砲、たった一門と言う有様だ」


 閑院宮親王殿下が小馬鹿にしたように笑う。たしかに、華麗に紫禁城を制圧した陸軍からすれば滑稽極まりない話だろう。


「砲塔を左右に旋回すれば砲身の重みで傾斜して仰角が取れないわ、発射すれば反動で姿勢が変化するわ、針路すら取れないわ………姫宮のおられます陸軍と違って、まったく、海軍の体たらくの嘆かわしい限り」

「その辺になさい、松方」


 ぽん、と彼の背を叩いて制する。代わりに玲那は彼の言葉を継いだ。


「まぁ、そういうわけで日清戦争じゃ呉に引きこもっていらしたのですけれど」


 ゆえに、今次のハワイ作戦においては格好の改造対象になるわけで。

 どこぞの大蔵大臣は松島型の失敗を引き合いに艦政本部を責め立て、予算をちらつかせ脅しながら無理を通して32cm単装砲2基2門を降ろし、内火艇昇降機の巨大バージョンを1機追加。そこに新兵器を搭載させたのだという。


「せんすい、母艦……?」


 やはり聞き慣れない単語に、上洞院は首を傾げる。


「ハワイに接近した後に、潜水母艦の昇降機クレーンによって、新兵器を海面に降ろすのです」


 玲那は木片のごとく小さな駒をハワイ海域にぶち撒けた。




『試製潜水艇甲型』

 排水量 水上:260トン

    水中:270トン

 長さ 48.5m

 幅  3.1m

 推進  新型揮発油内燃機関ガソリンエンジン2基

   360馬力電動機 x 2基

   蓄電池75個

 速力 水上:9ノット

   水中:6.5ノット

 航続距離 水上:5.5ノットで320海里

     水中:4.5ノットで140海里

 乗員 12名

 兵装 35.5糎短魚雷1基

   25糎艦外短魚雷2基





「海中を潜る船か……。こんな兵器をフランスは実用化しておるのか」


 閑院宮がそう続けて呟いた。

 3隻に搭載された計12艇の潜水艇。これを第一次突入隊5艇と第二次突入隊7艇に分けて、ハワイオアフ島へ突入させる――上洞院は、目を見開いた。


「海を……潜る、と仰って?」

「ええ、『潜水艦』といいます。大蔵省が推して止まない、対露戦争の切り札」


 潜水母艦ともども、海軍に圧力をかけて松方が開発させたことは知っている。


「皮肉にもこの作戦で敵とになる合衆国から近代潜水艦の父と呼ばれた造船技師をお雇いした甲斐がありましたね」


 ついでに潜水艦ドクトリンを研究しているフランス海軍に金を積んで技術者を数名皇國へ呼び、なんとか試験的な潜水艇を完成させたのだ。

 特筆すべき点として推進方式を、主機のガソリンエンジンと電動機の直結方式にしたことであり、これは内燃機関によって推進する近代潜水艦の元祖になる。



「……ふっ、ぶはははははっ!」



 愉快そうに、松方が笑い出す。


「よいでしょう、姫宮。採用です」


「……!」

「ハワイ介入計画――蔵相として、そして枢密院議員として、手をお貸しいたします」


 そこへ、思わずといった風に上洞院は口を挟んだ。


「さ、採用って……ここで、決まったのでございますか。いま、軍事行動が!」

「ああ。そのお墨付きをくれるために松方がいるのだろう」

「ええ、親王殿下の仰る通りです」


 松方の言葉に、彼女は唖然とする。


「信じられませんか、上洞院さま?」

「……ええ。だってわたくしたちなど、ただの学生で……非力のはずで」


 ぶつぶつと呟く彼女へ、にやりと玲那は笑う。

 学修院という鳥籠に、己の無力に失望していたはずの少女の固定観念を、こうして根本から覆い返してゆく。


「ちなみに大金が懸かっておりますからね、姫宮。潜水母艦への改装と潜水艇12隻の建造で、軽く500万圓――やるからには1隻たりとも失ってはなりません」

「当然です。バルチック艦隊への切り札を使わせて頂くのですから、杜撰な計画など言語道断」


 で、と玲那は言葉を継ぐ。いくら素案を完璧にしても、実行役が杜撰であっては意味がない。


「誰が、この艦隊を率いるのですか」

「ご安心ください――人材の目はつけておりますゆえ」


 顔を上げて、松方は笑った。


「申しましたでしょう。不肖、この松方の目に狂いなし、と」

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