第27話 宮廷魔術師

「加工貿易という言葉はご存知ですか?」


 ゆえに、玲那は更なる一手を打っていく。


「かこう……貿易?」


 首を傾げる上洞院。当然耳にしたことはないだろう、戦後の用語なのだから。


「そうですね。例えば、鉄鉱石がなくて、けれど製鉄の技術と工場がある国があるといたします」

「は、はい」

「彼らは鉄鉱石を海外から輸入します。そして国内の製鉄所で精錬し、鉄鋼を海外に輸出する。さてここで問題。赤字ですか、黒字になりますか?」


 またも突然問題を投げられて、戸惑う上洞院。けれど今度は前より早く思考へ沈んだ。


「……鉄鉱石という原料を、鉄鋼という製品に加工しています。この労力に付加価値があるのです、黒字になりましょう」

「正解です」


 つまり、加工貿易とは。ここまで言ったところで何か考え至ったのか、彼女は目を丸くした。


「……資源の少ない国家が、稼ぐにあたって最も都合のよい貿易術」


 零れるように、そう呟いたのだ。


「お見事」


 思わず玲那は笑ってしまう。上洞院財閥の一人娘は伊達じゃない。


「そう。しかし皇國の技術力で鉄鋼は難しくてよ、製鉄所だってありませんし……あれ、けれど、鉄鋼に限らなければ?」


 原料はないけれど、技術力もあって、工場もあって、生産のノウハウもあるもの。

 ぶつぶつと、ひとり思念の海に没入していく上洞院。しばらくもせず、ついに彼女は目を見開く。


「あ。紡績ですわ」


 戦後のこの国は加工貿易によって繁栄を極めた。

 その主たる輸出品になったのは、1970年代以降は自動車。

 技術力が未熟であった1960年代は鉄鋼。

 もっと遅れていた1950年代は――衣服。


 "1セントシャツ"という名で、合衆国を席巻した繊維産業。中程度の技術力と安い人件費によって成しえた、加工貿易の嚆矢。

 戦前まで赤字続きだったこの国の貿易構造を根本からひっくり返す、革命だった。


「さて、衣服の原料はなんでございましょう?」

「綿花……ですわ」

「皇國と友好関係にある列強は?」

「それは……大英帝国でしてよ」

「ええ。さて、綿花の一大生産地は?」

「英領インド――あっ!」


 上洞院が察した時点で、もったいぶる意味もない。玲那は手の内を明かす。


「綿花を英領インドから輸入します。英国は儲かる。それを原材料に、国内の紡績工場で衣類を生産。さすれば直ちに割譲地・舟山諸島へと輸出いたしますの」


 雪崩れ込んだ衣料品は無関税でそのまま寧波へ。そして――玲那は滑らかに地図を描く。




 ____________

[各国勢力圏 / 鉄道線略図]


 北京 ── 天津⚓

 ¦    |

 洛陽 ┉┉ 済南 ┉ 青島

 ¦    |

 武漢=九江=南京

 ¦  ┃  ┗┳上海⚓

 長沙━南昌━杭州

 ¦   ┃  ┗寧波

 ¦   福州

 広州⚓


 ━:皇國 ─:連合王国

 ┉:帝国ライヒ ¦:その他 =:長江

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




「衣料品は続けて、皇國が経営する滬寧鉄道と滬杭鉄道を通じ、上海・南京や杭州に持ち込まれ、米プランテーションを展開する長江三角州の全域へ独占的に売りさばかれます」

「……!」

「更に南京からは長江を蒸気船が遡上、九江や南昌、武漢へと持ち運んでゆく」


 皇國勢力圏の最奥地かつ、他国勢力圏との交錯地となる交通の要衝・武漢で皇國が売りさばいた衣類は、対岸の英国勢力圏から鉄道を通じ、重慶や帝国ライヒ勢力圏の洛陽、清朝直隷の北京、果ては『魔都』広州に至り、清朝全土へ拡散する。


「なお朝鮮でも衣類を売りつけます。さらにそこから満州へ達し、そこでも大々的に衣類を売りさばくのです。こうなれば――ロシア経済圏の満州がもろに影響を受けますわ」


 大英帝国はもともと皇國へ綿花の輸出をすることで儲けているため問題はないが、フランス経済圏やロシア経済圏では皇國衣類の進出によって直で損害を受ける。どうせ10年後に殴り合う相手だ、自重する必要などない。


「こうして、皇國の衣料品は5億人の市場へと行き渡る」



 英国 ―綿花→ 皇國 ―衣服→ 清朝



 という図式が成り立つ訳だ。グロいので言及こそしなかったが、清朝と英領インドの間にはアヘンの取引もあるので疑似的な三角貿易ともいえる。18世紀に大英帝国の第一次産業革命、ひいてはその世界覇権を支えた貿易構造の丸パクリだが、まさにその第一次産業革命まっただ中の皇國へ齎される利益は計り知れない。


 皇國と長江デルタの間の交易に視点を絞ったとしても、米プランテーションから安価な農作物を独占輸入して、軽工業製品を独占輸出する構造。差額によるボロ儲けと、内国軽工業の発展。まさに"原料供給地 兼 市場"の原理である。

 第一次産業革命の完遂には、理想的な土壌だ。


「しかも、これには留まりません」


 言っていて苦笑してしまう。もはや付属品をアピールしてお得お得と喚き立てる某テレビショッピングと化してきたぞ。


「この外需が向こう十年は継続するのです。当然、民間の所得も向上しましょう?」

「民需の……拡大」


 呆然と、言葉を漏らす上洞院。


「なんですの……それ。官需主導の鉄鋼業と組み合わせれば、重工業化さえ見据えられますわ……!」


 所得の向上が民間の購買力を底上げする。当然ながら消費は増えて、より高級な衣類を、食べ物を、そして住居を。特に食器と住居には鋼鉄が使われがちだ。


 いまの鋼鉄の需要は軍艦だったり鉄道だったり、専ら国家の発注した官需に頼りがちだ。財源は戦争賠償金であるがゆえ、需要は有限なのである。

 これは戦前を通じてこの国が重工業化できなかった要因のひとつでもあった。一方で戦後になるとまとまった外需である朝鮮特需が降ってきて、民間の所得が向上。これをきっかけに、所得向上と需要と生産のサイクルが勢いよく回り始めた。そして敗戦からたった30年という期間でこの国の鉄鋼生産は世界一へとのし上がった。


 旺盛な民需を背景とした、急速な重工業化。

 そのサイクルを回し始めるのが「大いなる外需」の存在であるならば――いまここに、あるじゃないか。まさに最高の加工貿易プランが。


「……なんてこと」


 上洞院の口から零れたひとこと。いや、そう呟くしかないだろう。


「最初の十年は衣類。次の十年は鉄鋼。その次の十年は……そうですね、機械や化学製品になるのかもしれません。国内で生み出されるすべてを、大陸へと売りさばいてゆくのです」


 大陸の玄関口たる舟山群島に皇國の輸出品が押し寄せ、寧波から長江デルタに撒き散らしつつ南京に送られ皇國製品は長江沿川を遡ってゆく。すると上海-南京の滬寧鉄道における物流が活性化、沿線に皇國企業が投資を行う土台が組み上がるというわけだ。


「稼いだ利益は民間に還して更なる消費を、潤う企業は設備へ投資して増産を。このようなサイクルが組みあがったとき――第二次産業革命が始まる」


 金融資本の進出と資本の投下へ向けて、来たるべきその産業革命を見据えた大陸進出。その嚆矢となるべきは、ゆえに、間違いなく。


「上洞院紡績商会なのですよ、その一人娘さん」


 眼前に座すこの少女の実家が、鍵になる。

 いいや、鍵にする。最初からそれ以外のことは考えていなかった。


 ばっ、と玲那は両手を広げる。


「わたくしと一緒に、漕ぎ出しましょう?――『東洋の奇跡』へと」






 ―――――――――





「ただの経済戦略に見えたか?」


 家庭科室をひとり最後に出た上洞院を、その声は呼び留めた。

 びくりと彼女が振り向いた先には、一人の男が壁に背を凭れていた。


「……聞いて、いらしたのですか」

「あぁ。途中からだがな。というよりそもそも、儂は姫宮より直接聞いておる」


 でだ、と彼は話を戻す。


「上洞院のお嬢。さきの姫宮の話を、どう見る?」

「……」


 長い沈黙を経て。少女は言葉を絞り出す。


「……閣下の望まれるような答えを、わたくし程度ではできません」

「だから、ここでは儂を閣下とは呼ぶなと」


 客員とはいえ高等部の教授ではあるのだぞ、と松方正義は不満げに言う。


「まぁよい。ではヒント……というより、取っ掛かり? を寄越そうか」

「?」

「服は綿花だけでは出来上がらない、ということだ」


 きょとん、と首を傾げる少女。松方がそれ以上何も言わないのを見て、考えろと促されているのを察する。

 卑屈になって投げ出そうかと少女は思ったが、しかしどうやら話は服に、紡績に関係するらしい。紡績商会の娘として、家の商機を取り逃しては死すべきだ――身体は硬直して、否応なく少女は思考へと沈む。


「衣類を織り上げるには、綿花……麻、木綿?」

「いや、そっちじゃぁない。綿花を織っただけの代物が売れるか?」

「??」

「もしそうであれば、呉服屋の店頭はどこも同じ見た目だろうな」


 しばらく考えて、やがて少女は顔を上げる。


「……染料、ということですの?」


 綿花だけで服は作れるけれど、それだけではただの白い布。呉服屋に並んでいるのは、もっと賑やかな見た目をしている。だとすれば答えは染料だ。


「そうだ。原料は綿花のみに非ず。つまり、英領インドのみに非ず」

「!」


 少女は目を見開いた。もうひとつ、欠けてはならない要素を見落としていたらしい。

 染料ならば国内で自給できないこともない。けれど、姫宮はあくまで第一次産業革命の話をしている――これは工業化の話なのだ。伝統産業としての染物を除いて考えるのだとしたら、それは。


「化学染料……――ぁ、ドイツ帝国」


 ぽろりと答えを零して、それから、自ら絶句する。

 化学工業で先頭を突っ走るドイツ帝国。化学染料の世界シェアを独占するその列強を、まさか、巻き込むのか。


「もしや……大英帝国とのみならず、ドイツ帝国とも三角貿易を?」

「そうであったとしたら?」

「大英帝国との協商、に留まらずドイツとの協商?」


 松方の頬が、ごくわずかに上がった。

 それに気づくことなく少女は言葉を継ぐ。


「英国からは綿花を、ドイツからは染料を独占的に輸入する条件ならば……両国ともに旨味がありますもの、英独の経済圏で衣類を売りさばくことに支障はございませんわ」

「そうだな」

「それを以て協商とするのなら、皇國が大陸で衣類シェアを打ち立てて損害を被るのは……ロシア帝国と、フランスのみ」


 特に、パイ分け競争ではすでに露仏は後れを取っている上に、後発組であることから清国人からの反発を一手に引き受けている。現地人の民意すら現状すでに劣勢なのだ、ここで皇國が英独と組んで追い打ちをかけることになれば。


「極東における三国協商の構築、による露仏同盟への対抗? ……南通半島を英国、威海衛をドイツに引き渡したことも考えれば、動機として合致しますわ」


 十分に説明がつく。ゆえに、あの姫君が描いている青写真が徐々に見えてくる。

 やがて少女の口は、決定的な一言を紡いだ。


「すべて――ロシア帝国との戦争を見据えたもの?」


「ふはっ」


 松方は、こらえきれずに笑いを零した。


「素晴らしい。その通りだ」


 顔を少し上げて、彼は息を継ぐ。


「壮大な根回しなのだよ。ロシア帝国を叩くに際して、英独をこのように自陣へ引っ張り、合衆国とはスペインとの戦争で手打ちして、露仏同盟を孤立させる。内地の経済成長など姫宮にとっては副産物に過ぎない――つまり」


「世界が舞台の、外交戦略」


 ここに至って少女は理解する。姫君が自分に語ったのは、壮絶な全体像のごく一部に過ぎないことだったのだと。


 300年の鎖国国家が、1000年ものあいだ熾烈な駆け引きを繰り広げてきた欧州列強と外交で渡り合うのは、軍事や経済で追いつくことよりずっと難しい。そのなかで、その姫君プリンセスの立ち回りはまるで、未熟なこの国の外交に取って代わっているようだった。だから、唖然と立ち尽くした。


「あうっ」


 そんな少女の頭を、ぽんと松方は叩く。


「よくできた頭だ。……大蔵官僚うちのですら察せた者は一握りだというのに」

「……」


 少女はじとっと松方を見上げて、それから髪を直して、ふてくされたように呟く。


「ロシア帝国との戦争の為だけに用意された、経済政策。……けれど、わたくしにはわかりませんわ。あのお姫様が、どうしてそこまで戦争を望むのか」

「望む、か。少しズレているな、ロシア帝国との戦争は回避できないものだ」

「わたくしには……まだ、そこが腑に落ちていませんの」


 ふむ、と松方は言った。

 三国干渉が未然に防がれた世界。代わりに北方地域は喪って、臥薪嘗胆というスローガンこそあるものの、史実ほどロシア帝国への世論感情は悪くない。

 そもそも史実ですらこの時期には満韓交換論があって、まだ対露融和の勢いも強かった。だから、史実知識を抜きに、戦争が不可避であると伝えるのは難しい。


「そうだな」


 彼は頷いて、前々から準備してきた言葉を、この少女にぶつけることにした。


「給仕をやってはみぬか、大蔵省で」

「きゅ、うじ?」

「勉学とは両立できるように取り計ろう。放課後に、小銭稼ぎ感覚で構わん」

「ご、ごめんくださいませ。金が足りなくば文を寄越せ、間違ってもカフェーなどで給仕はやるなと父上から申しつかっておりますの」

「……はぁ。よろしい、では単刀直入に言おう」


 松方正義は、少女の瞳を覗いた。その奥に眠る、深紅の叡智を見据えて。



「上洞院茶路。儂の弟子になれ」



 固まる少女。みるみるうちに、その瞳が見開かれる。


「弟……子? わたくしが、蔵相閣下の?」

「あぁ」

「け、けれど。わたくしなど、大した商家の家柄など……では」

「皇國の経済を導くのに家柄など要らぬ。その頭さえあれば十分だ」


 彼の言葉に、いっそう少女は困惑した。


「み、導く? このわたくしが?」

「ああ。儂は貴様の才をそのように見定めた。なに、大蔵官僚になれとは言わん――魔女になれ。そして魔術を作り出せ」


 この辺境国の弱小な工業力を、列強級へと蹴り上げる魔術を。


「描け。傾斜生産に始まる、皇國の高度成長を導く魔導書を」


 ぶんぶん、と上洞院は頭を振った。


「わっ、わたくしは……あくまで、上洞院商会の娘にございますわ」

「ならば儂は大蔵大臣だ。大蔵省とのコネなど、中小財閥といえどなかなか持てるものではないぞ」


 優遇してやる、と暗に松方は言う。そうなれば少女とて押し黙るほかない。


「っ……」


 長い逡巡の末に、少女はこう返した。


「……ここを卒業するまでの、限りならば」

「ふむ――まぁ、とりあえずはそれでも良い」

「っ、いえ。やはりもう少し考えさせてくださいませ!」


 はぁ、と松方は息をつく。


「まあ……師事していれば自ずと解るようになる。なぜロシア帝国と戦争をしなければならないか。なぜ列強国にならねばならないか。そして……」


 なぜ、この国は破滅する運命なのか。そう言いかけて、松方は口を噤んだ。それを語るのはまだ時期尚早だろう。

 けれどもこのときすでに、松方はいずれ少女へそれを伝えることを決意していた。この聡明な少女が「上川宮廷」お抱えの魔術師となったとき、この国の産業革命は――それはもう魔法のような――奇跡を起こすだろうと、直感で確信していたから。


「求人なしの特別なアルバイトだ。光栄に思うがよい」


 対する少女も揺れはしながらも、奇妙な確信があった。ここで得られる学びは、商会や学修院では決して巡り合えないものであろうと。


「さぁ。最初の仕事に取り掛かろうか」


 廊下を歩みだす松方。少女に返事の隙は与えず、言葉を続ける。


「さきほど、ホノルルより革命勃発の報が入った――まずは、ハワイ介入だ」

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