第23話 戦場の戴冠式
明治30(1897)年1月13日 北京
「随分ぜいたくにやるのですね……」
響く軍歌、見事な行進。その列の先頭には旭日旗が掲げられている。その整然とした様は清軍とは大違いだ、なんて思っていれば桃の花弁が肩にのる。
二千年朝貢し続け師と仰いできた大国の帝城を、自立してわずか30年でまさか、こんなにも鮮やかに制圧して、あまつさえその皇帝を捕虜にするなど、兵士たちとて一塵も思っていなかっただろう――紫禁城へと続く行進は、意気揚々というよりかは、北京を踏み進む彼ら自身が困惑しているように見えた。
それでも無論、北京市民側の当惑のほうが凄まじい。半ば恐慌状態だ。
この首都が陥落したのは1860年のアロー戦争以来、30と余年ぶり。特に、東方の異民族によって落とされるのは明朝が滅亡した16世紀以来のことである。
ここに至り、ようやく住民たちは想像を絶する衝撃を受けて、認めるのだ。
「天下の中心たる中華は敗けた。しかも、永年の宿敵たる北方民族にではなく、千年来の朝貢国――従属してきた東夷に」
感慨深げに呟いていると、別海准尉から声がかかった。
「闕杖官どの。まもなくですよ」
禁闕中隊を迎えに、北鎮が天津に上陸したのは1月7日。天津の部隊は既に降伏しており抵抗はなかった。数日とかからず北鎮は北京へ到着し、禁闕中隊を回収した。
他国の観戦武官も連れてで、である。首都を占領して市民虐殺疑惑でも上がってしまえば冗談じゃない。悪夢の再来だ。
こうして眼下、メディアを国内外各地から集めて堂々たる入城式が行われている。
「近代化たった30年、ですか」
皇國陸軍の威風を前に、”Oh, my god..."と漏らす、白人の記者。自分たちが格下に見てきた東洋人の、その強大な軍隊と、想定の斜め上を行く新戦術。彼らにとっても、まさに脅威の異文明か。
それを尻目に玲那は足を、紫禁城の中核――黄龍は何処へ飛び去ったか、今や十六条の旭日が棚引く後三宮へと向けた。
・・・・・・
・・・・
・・
「……あれ?」
後三宮へ行くと、侍女たちが待っていた。
軍令を通じて呼び出されたものだから、てっきり軍人が出迎えるものだと思っていたが、疑問を挟む間もなく控室へと通される。
「え?」
ドレスがあった。ほどほどの装飾と、主張しない織り込みの絹に、鮮やかな紅色のリボン。虚勢ばかりの有栖川宮家では決して着れることのない、一等上質なドレス。
流石は紫禁城。清朝の帝室のものだろうか――ぼうっと立つ玲那を侍女たちが取り囲んだかと思えば、あれよあれよという間に軍服を脱がされて、その優雅なドレスを着せられる。
「えっ、えぇ?」
背負っていた小銃や軍刀は侍女たちの手へ。なれば杖もと渡そうとしたが「それは持っていてください」と侍女たちに断られてしまう。
西太后から簒奪した杖は手のままに、履き替えたヒールを鳴らして、ドレス姿の中尉は渡り廊下を進む。
「では、どうぞ」
扉の前にて侍女たちは立ち止まる。進めということか?
訝しみながらも、北京は紫禁城も含めていまや皇國の占領下。ここまで大掛かりなセッティングともなれば、さすがに皇女たるこの身に危害が及ぶこともあるまいと、玲那は一歩進み出た。
「っ……」
キィィ、と扉を押す。差し込む光に、思わず手を翳す。
それから飛び込んできた光景に、玲那はあんぐりと口を開けた。
「こ……れ、は」
ここは壇上。眼下には広大な空間。
正面から下へと続く赤いカーペットの両脇には、向かい合って整然と並ぶ将校たち。顔ぶれを見れば、一番近くから順に――第一軍司令・大山巌、閑院宮にそれから乃木希典……気が遠くなってきたのでこれ以上見るのはやめておく。
逃げるように奥のほうへと視線を遣れば、貴賓席と思しき高座に暗がりながらも朱色の礼服が覗く。特徴的な金色の尖塔の冠――ここに至って玲那は愕然とした。
「あ……、は……」
光緒帝だ。紛うことなき清朝の第11代皇帝。
名に反して光を失った目で、不満そうにこちらを見ている。
入る場所を間違えたな。くるりと踵を返すと、背中に声がかかった。
「玲那姫殿下」
「……あら、蔵相閣下」
振り返った階下。赤いカーペットの上に、松方正義が立っていた。
「休戦協定の調印式と聞いていたのですけれど……これはどういう?」
「あぁ、それは明日ですよ」
日付を間違えたかと、口に手をあてた。けれどよく考えてみればこの状況は用意されたものだ。だとすれば、これは何なのだろう?
混乱する玲那に、松方は頭を上げずに答える。
「本日は小正月でございます。そして殿下は、数えで十三になられました」
その文脈のつながりを最初は理解できなかったが、しばらくせずにあっと声を上げる。小正月は元服の儀を執り行う、いわば成人の日。そして十三という齢は、幼名を捨てて髪を結う歳だ。なによりこの身は皇女であるから――
「戴冠の日でございます」
「……さようですか」
少女はピクピクと眉を震わせる。すっぽりと頭から抜けていた、まさに今日こそ戴冠の儀ではないか。
ゲームにおいて権勢を誇った悪役令嬢の強みは、その人脈が成せる業でもあった。
その戴冠式にはたくさんの華族子弟が訪れ、そこで布石を打った交友関係が学修館中等部以降の人脈を形成してゆくこととなる。学園において玲那の手となり足となる取り巻きの令嬢がたを手に入れるイベントになるわけだ。
それに何より、ストーリーの設定においては戴冠式にて皇太子と婚約を交わしたとある。悪役令嬢が悪役令嬢たる最たるもの――皇太子との婚約。それが帝都・有栖川宮邸にて執り行われる戴冠式にて為される、そのはずだった。
「禁中典範に基づき、勲二等宝冠の戴冠を行います」
呆然と、あたりを見回す。
北京・紫禁城。清朝三百年の帝城にして、本邸どころか宮城の十倍という広さを誇る東洋最大の宮殿。ここに参列するのは北鎮と東鎮の高級将校たち。皇太子はもちろん、華族の子息令嬢がたなんてどこにもない。代わりに座したる貴人は、清朝全土を鎮める皇帝ときた。
「これが……玲那の、戴冠の儀ですの……?」
豪勢きわまりない参列者。なんならゲームストーリーよりもずっと恵まれている。けれど、なんというか、方向性が違いすぎる!
これでは主人公に立ちはだかってくれるお気立てのあまりよろしくないご令嬢がたを手に入れることができないではないか。それに、何よりも大切な皇太子との婚約もご破算だ――悪役令嬢の生存戦略が根本からひっくり返ってしまう。真っ青になって玲那は蔵相の袖を引いた。
「あの、内地へ帰ってからでもよろしくてよ?」
「それはなりません殿下。禁中典範に戴冠は小正月に執り行うと定められておりますゆえ」
「いっ、いえ、ですが参列者も戴冠手もいらっしゃらない祭儀なんて」
「私めがどちらも務めましょう。この身は伯爵位にありますゆえ、畏れ多くはありますがご聖体に加冠させて頂くこともできます」
確かに、規定上は戴冠手の資格を満たしている。そして日付を変えることも叶わないとなれば――進退ここに窮まれり。
蔵相・松方正義は、カーペットの上をゆっくりと進み出る。
粛然と礼をする将校たちの狭間を抜けて、一段一段を踏みしめるように昇り、玲那のもとへと跪く。その手に載せられたカチューシャ状の金色の冠を、玲那は唇を噛みしめて甘受した。
「有栖川宮家第二皇女、
杖を持つ手が震える。これで姫宮の仲間入りか。
ゲームで描かれていた悪役令嬢の権勢は斜め上の方向へ。東洋無二の栄華を誇る紫禁城にて、幼号の
「戦場の戴冠式ですね。騎士物語のようでございます」
「あはは。聞こえだけはよろしくて……」
騎士ならまだしも、なんとこの身はお姫様。交わすはずだった婚約もご破算で、整列した高級将校にも知れ渡ったものだからもはや閑院宮の隠れ蓑など使えまい。光緒帝の忸怩たる思いまで一心に引き受けて――こんなの、悪役令嬢どころじゃないぞ。
「戦地では本来あるべき用意もできかねます、ご容赦頂きたく」
「いえいえ。他に赦すべきでないことがごまんとございますので、この程度では」
「わっはっは、まさに!」
爆笑するこの大蔵大臣をどう復讐してやろうかと考え始めたあたりで、彼は今一度こちらへと向き直る。
「参列の陸軍からご祝儀がございます、戴冠手の私が代わって伝えましょう」
事態をなんとか飲み下そうとしていた玲那に、松方は爆弾を投下する。
「徽章佩用に関する規則を改定。翠星の王笏を以てこれを"闕杖"と為し、徽章に準ずるものとす。徽章権限は、禁闕部隊の召集を可ならしめるものなり」
なお翠星王笏に基づく召集は、勅令を除く全ての指揮命令に優越するものとす――玲那はまじまじと右手に握った杖を見てしまう。この杖の一振りで、一個中隊を召集できるということか? そんなの、私兵じゃないか。
「専属近衛というわけですね。戦後もその長たるなら、御身辺も安泰というもの」
目を思いきり見開いた。今この瞬間に、玲那の復員の可能性が消え去った。
「な……」
玲那は戦後も現役武官ということだ。
なぜだ。事故みたいなもので戦争に巻き込まれて、否応なく表舞台に立たされて。さんざん泥に塗れて、表なんてもうまっぴらだ。けれど幸いにも間もなく戦争は終わると。復員とともに綺麗さっぱり学修院へと身を退いて、これからは悪役令嬢らしく裏から糸を引くのに徹しよう――そんな将来像が完膚なきまでに崩れ去った。
「なっ、ならこのような杖など!」
「おっと。上川宮廷へ奉る聖なる近衛です。官職を引き継ぐならば然るべき皇族を。陸軍としても姫宮直々の転属願を却下したくはありませんでしょうから」
愕然と、壇上に立ち尽くす。もはや玲那は陸軍の指揮系統の内側に閉じ込められてしまったらしい。この老獪なる蔵相は玲那の退路を完全に断ち切ったのだ。
「おめでとう存じます、姫宮。紫禁城の覇者にして、皇國の希望」
大連湾にて告げた通り。絶望的なまでの表舞台へ、玲那を引きずり出したのだ。
「あ……は、はは……」
から笑いしか出ない。翠星の杖が燦然と輝いた。
「もはや臆することもありませぬ。その才を以て、存分に御活躍くださいませ」
姫宮こそ皇國のジャンヌ・ダルクに
「さて。ここに、ひとつ提案させていただきましょう」
「……なにを」
「姫宮。まずはこの蔵相松方正義を、手足にする気はございませぬか?」
すっ、と彼は居直った。
滑り落ちる帽子にも構わず、悠然と跪く。
片膝を立てて、頭を下げて、玲那へ右手を差し出した。
「は。えっ、まさか」
「ええ――……臣下の誓いにございます、女王さま」
王笏がすとりと落ちる。
明治30年1月、皇國占領下北京。
翠星杖を手に、宝冠を戴いて、絢爛なる皇帝の
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