第18話 悪役令嬢 vs 西太后
「斬り殺しなさいっ!」
「「応!」」
西太后の命令に、禁旅兵が襲い掛かる。
「喰らえ、東夷!」
「
サーベルを抜こうとした清兵が血を撒き散らす。乱入する皇國兵士の構えた明二十年式軍刀が、禁旅を次々と斬り伏せてゆく。
「そんなバカな……っ、サーベルごときがなぜそんなに斬れる!?」
「サーベルじゃねぇ、カタナさ」
貧弱な鉄資源ゆえに、西洋と違い全身鎧が存在しなかったその列島では、せいぜい腹を守るだけの粗末な装甲しか身に着けなかった。
結果、剣は肉を斬るために特化して、
戦場が近代化するにつれ、鎧や重騎士などは過去のものになった。軍服というほぼ生身で戦いあうような戦場へ回帰したときに――、
「
斬り下ろされていく禁旅。中体西用によるサーベル導入の結果、半端に戦力を下げることとなっていた。騎上から刺突を想定されたサーベルでは、歩兵同士の白兵戦に対応できない。従来通りの青龍刀を携えてたほうが、まだ戦力になった。
「ふは……ふはははっ」
はじけ飛ぶ紅の中で、李鴻章は渇いた笑いを漏らす。
和洋折衷、両文明の融合。中体西用が理想としてやまなかった形の軍隊が、皮肉にも敵に回って李鴻章たちを引き潰す。
「きゃぁあっ!」
返り血を浴びた西太后が、悲鳴を上げる。最後の禁旅が斬られて、そのままその軍刀はその太后へと差し向けられた。
それを沈黙のうちに手で制して、ひとりの少女が、されど軍装姿で前へ出る。
李鴻章は思わず目を見張る。その肩章が示す階級が、ここにいるどの倭兵よりも高かったからだ。
「ご機嫌麗しゅう、貴婦人さま」
軍服の端をつまむとまるでドレスのように挨拶をするものだから、西太后は強い不快感を示す。
「麗しいと思って? ワタクシの城で、こんなマネをして!」
「ええ。そうなって頂けなければ、こちらに御璽を頂けないでしょうし」
少女が示したのは一枚の紙切れ。そこには端的なまでの表題が記されている。
「"降伏文書"……、ワタクシにひれ伏せって言うの?」
平然と頷く少女に手渡されたその紙を、西太后はビリビリと破り捨てた。
「何を言うかと思えば……ふふ、わかっていないようね。小娘」
「?」
カァン、と玉座の壇に
「よく聞きなさい。ワタクシは――大清帝国当今聖母皇太后よ」
己が住まう紫禁城の西御宮を象徴する
けらけらと高らかに笑いつつ、西太后は足元を蹴って示した。
「何をすればいいか、わかるわね?」
はぁ、と返す少女。そこで口角をぴくりと震わせて、苛立たしげに西太后は言葉を継ぐ。
「ガキンチョとはいえ、倭寇の賤民は貴人への礼も知らないのかしら?」
「はぁ」
「今ならその両腕を落とすまでで許して差し上げます。ひれ伏しなさい!」
あぁ、と少女は頭を下げる。西太后は一層、青筋を浮かべた。
「腰を折り、ワタクシの足元に頭を打ち付ける!」
「……頭?」
「愚劣な倭寇が徳知らずとは知っていたけれど、三跪九叩頭すら知らないの!?」
やはり倭奴には教育が必要ね、と太后はひとこと、その翠星の杖を取る。少女は左手を背へ回して後ろへを送った。
「二千年間中華文明の庇護に与ってきたくせに、所詮は蛮族……儀礼ひとつ弁えられないのね」
衣食住から学問に至るまで文化の全てを授かりながら、その事実を理解することすらできないとは、と嘲笑う。
「中国の次は洋狗に鞍替えしても、技術を盗み取るしかできない愚劣なマネだけはやめられない――ならもう直接、天子の軍隊を送り込んでやるわ」
ゆっくりと姿勢を低くする少女の頭をめがけて、西太后は杖を振り上げた。
「倭王に伝えておきなさい。命を乞うならここまで来て、倭の島々をまるごとワタクシに献上しなさいと」
「撃て」
ダァン。
目を覆った李鴻章が、おそるおそる手をどかすと、玉座に大きな弾痕がついていた。状況を理解できない西太后は、翠星の杖を手にしたままに、ただ凍り付く。
「な……に、を」
「次は、外さなくってよ?」
少女は背を起こしつつ冷酷に告ぐ。太后はわなわなと手を震わせだす。
「ば、蛮族の、賤民ごときが……何を!」
バシィッ!
玉座の手元にあるひじ掛けに、少女は軍刀を叩きつけた。
「賤民? 戯言を」
固まった西太后の、右指の一寸先に光る鞘。そこに施された装飾を見て、李鴻章は硬直する。皇國の一般士官が帯びる制式軍刀とは異なり、その鈨や金具へとあしらわれた一輪の菊の花。
何度か皇國政府と交渉したことのある彼は知っていた――これは皇族の紋章だ。
「ひれ伏せ、敗戦国の王。
李鴻章は唖然と立ち尽くす。皇女だと。空中から兵を投げ降ろすだなんて狂気の沙汰に、こんな若い皇女を送り込むなど。それは絶対の安全を確保できるほどに兵装技術が圧倒的なのか、それとも兵力の優越なのか。あるいは――皇族ひとり失っても構わない、そんな覚悟の表れか。
「鴻章! この倭奴を斬りなさい!」
「……」
西太后の言葉も耳に入らない。李鴻章は初めて、目の前の太后より恐ろしいものを見た。
「無駄だ。北京市内には
「っ」
「直隷の兵力を満鮮に回している以上、ほぼ無防備であろう」
ハッタリだ、3個師団は盛りすぎだと李鴻章は思った。けれど1個や2個師団はいるかもしれない。全貌が見えない――いいや、もはやそれすら大した意味はない。
なぜならば。
「太上皇后、西太后陛下。北洋欽差大臣、李鴻章。戦時国際法に基づき、これより貴殿らは戦争捕虜となる」
この二人が虜囚となった時点で、戦争の継続はできないからだ。
「捕虜!? 倭寇の分際で、妄言も大概に!」
「立て。記念すべき最初の虜囚労働の時間だ」
「嫌よ! ワタクシがなぜ命令など――」
「ふむ、さすれば……」
倭の王女は考えるふりをすると、何やら隣の兵士に合図した。
ほどなくして渡り廊下の奥から爆音が響く。
「なっ、ワタクシの城で何を!?」
「金銀財宝、余さず略奪すること。紫禁城に一切の品を残す勿れ」
その高貴な唇から紡がれた、品性の欠片もない命令。窓から見える庭園には、明清五百年に渡って大陸の隅々から取り寄せられてきた宝石や珍品が、忙しなく運び出されていく。東洋の覇者を、その権威を物語る品々が零れるように失われていく様は、西太后の眉間を否応なく歪ませた。
「……このっ、盗人猛々しい、やはり倭寇が!」
侮蔑交じりに吐き棄てる彼女を意にも介さず、その手に握られた絢爛豪華な杖へ、コツリ。倭の王女は軍刀の鞘をあてつけた。
「いま妾に跪くならば、略奪のみで赦してやろう」
「っ!」
血が上ったように、西太后は怒鳴った。
「奴隷風情が、身の程を知れ!」
「……なれば、しかたあるまいに」
倭の王女が配下の兵に目配せをすると、しばらくせずに、玉座の前へ手足を縛られた一人の男が投げ込まれた。
「やめっ……、た、太后陛下、御助けをぉ!」
「連材……!?」
西太后は目を見開く。彼女の寵愛する宦官で、宮廷においてその権勢を支える大黒柱と言ってもよい。その男に――兵士たちは銃口を突きつけた。
「撃て」
刹那に響く炸裂音と、飛び散る血潮。呆然とする西太后を前に、赤い血だまりが広がってゆく。
「な……ぁ」
「これで、宮中における貴女の影響力も揺らぐものだな」
「わた……ワタクシの愛した宦官に、なんてこと!」
西太后が立ち上がった、その瞬間。
「構え」
一斉に銃口が上がる。西太后は目を見開いて、零したように
己が住まう西御殿の象徴たる翠星をあしらった杖が――紫禁城に君臨する絶大な権威の証が、からん、と玉間に落ちる。
「動くな」
硬直する太后のもとへ、王女は壇を上っていく。そのまま玉座の背に回り込んだかと思えばその手を、次にその足を縄で縛っていった。
「さて」
ただ立ちすくむ李鴻章の脇で、王女は息をついた。
「従わぬなら、磔にでも掛けて城下に吊るそうかの。あぁ、案ずることなかれ。殺しはせぬ。ただ、生きたまま城下に晒しだすのみ」
「……それなら」
「あぁ。貴殿が権力をもぎ取るために手段を選ばず蹴落としてきた宮中の有力者たち。その復讐心はどれぐらいの深さたるか……肌身で知るとよかろう」
「い、嫌よ! 絶対に!」
西太后が取り乱す。しかし王女は取り合わない。
「なるほど、それが貴殿の回答か――……よろしい。処分せよ」
廊下に銃声が、二、三発と響く。悲鳴と、続いて崩れ落ちる音。
「ま、まさか……」
「都察院の上級宦官2名、同龢と家鼐。および東宮の官女。これで
次々と減っていく有力な手駒。倭寇をここで退けようと、このままでは肝心の宮中権力が怪しくなる。がたがたと西太后の身体が震え出す。
「これでも頷かぬなら――その首に枷でも掛けて、北京城下を引き回そうか。妾が凱旋の見世物にでもなるが良い」
「ッ……!」
自身の醜態を想像できたのか、顔を歪める。
「なに、不道理ではあるまいに。徳なき者が、不徳を以て民の怒りに焼かれ、断罪される。貴国の四書にある通りの易姓革命ではないか」
「黙れ、黙れ!」
「実に哀れなれどもやむなし。1897年すなわち光緒23年、清朝はその300年の歴史に幕を下ろす。暴君は当然、最も残忍なる術で引き裂かれる」
「その、口を……!」
「貴様の気まぐれが数多の賤民に与えた苦痛が、そのままに跳ね返る。串刺し? 火炙り? あるいは瓶詰め? 何にせよ、民の前に転がすのが楽しみだ」
あぁ、転がす手間すら要らぬやもな、と王女は哄笑した。
「後宮のみなに
決定打であった。西太后はその表情を繕いきれず、全てが崩れていく。
「やめて……、やめてくださいっ!」
「妾に従え、西太后」
「従う……従いますから、それだけはっ」
王女の視線が李鴻章へと向くが、彼は無言で両手を上げる。もはや抵抗する気力も沸かなかった。
「案ずるな、難きに非ず。ただ一文の勅を発すのみ」
王女はその口角を、残酷なまでに持ち上げた。
「――『戦争は終結した』、とね」
手短に、かつはっきりと屈辱が走る。西太后も李鴻章も経験したことのないまでに、鮮烈な屈辱が。
「この……悪女め……!」
西太后の憎悪を、王女はするりと受け流す。
「えぇ、悪女にございます」
そう言いながら翠星の王笏を拾い上げて、その手に収める。並ぶものなき権勢を示す西御宮の翠星は、たった12の少女の手のもとに燦然と輝いた。
簒奪の杖をつき、髪を梳き流して――……それはまるでいつか肖像に見た、周代の則天武后のようだったと。そう、李鴻章の手記には残っている。
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