第20話 世界、震撼。
第一軍司令・大山巌に乃木希典。続くは北京を占領した実働部隊たる閑院宮親王。
そんな彼らに対面するは、清朝皇帝の光緒帝と、李鴻章。西太后の姿が見えないのは、せめてでもの抵抗か。
「……っ」
震えた手つきで、光緒帝はサインをする。
「ここに、朕の勅を以て……休戦協定は成立した」
大山巌の顔が一瞬緩み、李鴻章の顔が雪辱に歪むが、もうどうしようもない。絞り出された声が宮殿に響く。
「大清帝国は皇國に対し、降伏する」
元代以来、千年に渡って保たれてきた東洋の秩序。
天子が全ての軸にあって、周辺諸国は従属しつつ朝貢する。
それが
皇國。清朝にしてみれば、かつて華南沿岸を荒らした海賊どもの、成り上がりの夷狄国家としか見ていなかった存在。されど西洋列強という異物が、この国家に衝撃を与え、たった30年にして東洋の秩序をぶち壊した。
中華思想が間違っていたのか、否か。そんなものは誰にもわからない。
はっきりとした事実はただ一つ。
冊封体制に終止符が打たれたのだ。
千年秩序は終焉を迎えたのである。
・・・・・・
・・・・
・・
「………もう一度申せ。」
「は、はっ!
「余を愚弄しておるのかね…?」
「いっ、いえ!これは事実です、北京の大使館から報告を受けております!」
「…たかが黄色人種が、空を飛んだ……??」
「は、はい。空飛ぶ船から飛び降りて、傘のようなものを空中で開いて減速し、衝撃を極限まで押し殺して着地したようです…。」
「意味がわからぬ…。東洋人が、新兵器だとぉ!?」
ヴィルヘルム2世はしばらく黙ったが、突如、何かを思い出したような顔をした。
「……っ」
そして、妙に納得したような表情をして、ため息を付き、立ち上がった。そしてゆっくりと窓際まで歩いて、外に広がる大ベルリンの栄えある市街を眺めながら呟いた。
「――神聖ローマ時代のバイエルンの学者、シーボルトを知っているかね?」
「はぁ、シーボルト、でございますか…?……申し訳ありません、存じませぬ。」
「今から70年ほど前、あの島国へ向けて彼は旅立った。そして、彼の地の環境を研究して、バイエルンに向けて帰る出国時、彼は密かに入手していた列島の地図を役人に発見され、国外追放処分を受けた。」
「そうなのですか……」
「彼が持ち出そうとしていた地図は、無論当時のやつらの技術で制作されたものだった。その地図は保護されて、彼の国の国立美術館に展示されている」
「彼らが文明国になる前……。つまり、完全に未開だったの頃の地図ですね? しかし、そんな、開国前の彼らの技術で作成された地図など使えないでしょう……。シーボルト氏は何をなさりかったのでしょう?」
「違うのだよ君。その地図”伊能図”は、今の公式発行の列島の地図と、ほとんど変わらないのだ」
「……彼らは、未だその程度の技術なのでしょうか?」
「無論西洋式の測量で公式の地図は発行されている。この意味がわかるか、君。」
「……っ!?」
「和算と言われる数学分野においてもあの国は、西欧の数学に、退けを全く取っていない。あの列島の在来文化は、西洋文明に並ぶものがある」
今、ちょうど思い出したものだが、とヴィルヘルム2世は補足する。
「連中は今や、我々白人によって占有されてきた領土拡大ゲームに参加し始めた。西欧に並ぶ文明を保有する未知の民族……。白人諸国の脅威になるかもしれぬ、か」
侍従はそれを聞いて溜飲を下す。
「これは――、荒れますね…。」
ヴィルヘルム2世は振り返って言った。
「……本日は晩餐会だ。君も準備に入り給え。」
「はっ、仰せのままに!」
一人になった部屋の中で、再びヴィルヘルム2世は窓から晴れ渡る空を見上げた。碧天に太陽が高く上がっていた。
「連中を帝国主義世界に招き入れたのは、我ら西洋人の間違いだったかもしれぬな」
日英の連名で来たる、大陸分割への招待状を手に。
―――――――――
「バカなぁ!どういうことだ!!?」
大英帝国の宰相、フリムローズは叫んだ。
「は、はい! 北京が落ちました!」
「大使館は何をしている! あの国にこれ以上の進撃は控えるよう釘を刺しておけ、との命令はどうしたのだ!?」
「い、いえっ、警告はしたのですが、どうもその日に北京に降下したようで!」
「……クソっ、通告中に発動された作戦はたしかに……どうしようもない」
悔い気味に爪を噛む宰相。
「しかし、我々も空挺降下とやら呼ぶ新戦術に対抗する戦術を開発しなければ厳しいのでは?」
「それなのですが、これからは空挺戦術は、彼らも安易に使用できない、というのが戦争省の見解です」
「どういうことだ?」
「彼らは、チャイナの皇帝を捉えるためにこの戦術を発動しました。しかし、もしも拘束出来なければ、降下地点は敵地。速やかに包囲殲滅を受けるでしょう」
「それで?」
「要人を確保されなければいいんですよ。例えば軍の指揮官や国王陛下など。そうしたら後は、のこのこ空からやってきた敵部隊を殲滅すればいいのです」
「……そういうことか、首都や司令部の防衛兵力を強化すれば問題なし、ということか。今回の北京攻撃の成功には、空挺戦術をチャイナ側が予想できず、紫禁城の防衛兵力を手薄にしていた、という要因があったわけだ」
「お察しのとおりです、閣下。恐らくこの見解は各列強の共通認識となるでしょう。もう二度と、何処の国も空挺戦術は使えません」
「それはよかった」
紅茶をすすって首相は一息ついた。それからううんと唸る。
「しかし、狡猾な根回しなことだ。しょせん新興国と思っていたが、外交までも侮れぬとは」
机上に置かれた一枚の紙。それにはすでに認可の印が押されている。
「中国分割とは、考えますね。それに我が国が獰猛な熊を相手に手こずっていることも……よく理解している」
長江下流域の南岸に塗られた連中の桜色。それを北へ覆うように広がる、長江流域のイングリッシュレッド。その上の黄河流域にはライヒスグレー。
それらを脅かすようにモンゴルから満州へ、北から降りてくるロシアンブルー。
「矢面には立ちたくない……我々の願いを、よく慮った提案です」
戦争大臣の言葉通り、この勢力図ならば南下してくるロシア人と相対するのは山東半島のドイツ人になる。その南にイギリス人が隠れる格好だ。
「しかし、面白くないことです。熟すれば天下足る江浙のみならず、湖広までもを取られるとは」
長江デルタ、そして武漢の南へ広がる両湖平原を染める桜色。それを憎々しげに彼はなぞった。
「一番旨いところを切り取っていったものだ……しかし、それを承認して余りある利益も、こちらにはある」
「……大陸進出の足掛かりですか」
「ああ。やつらは南通半島を無償でくれると言う。拠点となる港を、清国人から無理に奪わずとも手に入れられるのだ……現地の反発を躱せることの、どれほどありがたいか」
しかし、と戦争大臣は言う。
「やつらはドイツ人にも威海衛を渡すと言います。大陸では競争になりましょう」
「いいや。ドイツ人には黄河、我らには長江。棲み分けて互いに独占しろと促しておるのだよ、あの島国は」
戦争大臣は目を丸くした。
「やつらは……我らに、ドイツ人と手を組めと。そう言うのですか」
「ああ。そして実際――我らはそれを望んでいる」
望んでしまっている、と宰相は言う。
「米独の急成長で、大英帝国の覇権は揺らいで久しい。一国で他の列強すべてを抑え込めるほど往年のような勢いは、わが国にはない」
その手前、中央アジアや極東で南下するロシア帝国を相手にグレートゲームを展開し、他方では北欧の制海権を失うまいとドイツ帝国と建艦競争を繰り広げている。昨今の世界政策は、明らかに大英帝国の体力を超過しているのだ。
「それでも我らは覇権国の地位を維持しなければならない……そうなったとき、どうすべきか」
答えはひとつ、と宰相は言う。
「わが大英帝国の覇権に挑戦してくる妖怪どもを、互いに向かい合わせることだ」
「……ロシア人の正面に、ドイツ人を立たせる。そういうことですか」
「ああ。そしてそれを理解しているからこそ、英独と大陸を共同で運営するという発想が降りてくる。東洋人のくせに、透き通った大局観だ」
ほんとうに、よくできた連中だよと笑った。
「ゆえに、長江デルタや湖広平原を失えども……その誘いを我らは断れないのだ。現状維持のために。パクス・ブリタニカのために」
黄昏の覇権国、その首府の苦悩が尽きることはない。
―――――――――
「眠い……。」
5歳児の肉体はすぐ昼寝を要求してくる、とぶつぶつ愚痴を漏らしながら、彼は演説内容を書き始める。
「しかし、書かなければ…。思想内容はしっかり固めなければならん。」
全ては、目標のために。と、彼は付け足した。
「今度こそ実現する。そのためには今から動いたって遅いくらいに時間がない…。後24年でこの第二帝国は滅んでしまう……、今できることは全てこなしておこう。」
誰にも聞こえないように言ったが、彼の父親が少し聞き取ってしまったようだった。
「ん?アドルフ、なにをこなすんだ?」
慌てて彼は今まで書き綴っていた紙を隠し、取り繕った。
「いいや、なんでもないよ父さん。それより最近何か起こっていない?」
すると、彼の父親は暫し考え言った。
「父さんの周りには変わったことはないな。…でも、アドルフにはまだ難しいかもしれないけれど、世界で凄いことがあったんだよ?」
「へぇ〜、なになに?教えて〜。」
確か今年は1895年だから、恐らく”眠れる獅子”と恐れられていた中華を、極東の島国だった日本が、いともたやすく蹴破ったことだろう。
「世界の東の果てには、このヨーロッパとおなじくらい古い文明を持つ、大きな国と、未開で文明がない地域だったけれど、最近ヨーロッパの支援を受けて文明化し始めた小さく弱い島国があるんだ。」
清朝と日本だね、知ってるよ。彼はそう口に出さずに突っ込んだ。
「それで、その我々欧米のモノマネをし始めた小さな島国が、その大きな国を散々に打ち破ったんだ。」
(たしかにそうだな…。清朝はさんざんに負けてたな。)
彼は”史実”と呼ばれる世界線での出来事をを思い返す。
「昨日、大きな国の首都に、島国の軍隊が入城したんだ。各国の人々を招いてね。」
彼の頭のなかに疑問符が浮かぶ。
(確か史実の日本軍はこの時じゃ、遼東半島までしか行っていないハズ…。清朝の帝都は何処だったか…?まさか旅順や大連ってわけじゃなかろう。どういうことだ?)
「そうだ、今日の新聞に写真が載っていたから見せてあげよう。」
そういって新聞を見せられた。
デカイ見出しだ。だが、その見出しに書かれたことが彼は理解できなかった。
5歳児だからじゃない。彼だってもう文字は読める。そこに並んだ見出しがあり得なかったのだ。
”日本陸軍、北京・紫禁城を空挺制圧!”
”空に舞うサムライ 日が昇る如く”
”中華皇帝 捕虜へ”
”
”数千年の東洋冊封秩序崩壊”
「バカな…、嘘だろ…?」
思わずそう漏らしてしまう。
(連中単独での北京制圧は、1937年のことだったんじゃ…!!?)
「ん?なんだい?」
固まった彼の姿を見て彼の父親の投げかけた言葉に、彼は何も言い返せなかった。
(何が起こっている…!私という存在によるバタフライ効果で歴史が曲がったか?だがおかしい、私のやったことなど精々思想の文章化だけだ…。どうして!?)
もしもこの世界が史実と同じ道を辿らないで動くのなら、計画はパーになる。
(ベルリン会議だって独露再保障条約だって、ロンドン切り裂きジャック事件だって起こっている…。ヨーロッパは史実通りに動いているのに、何処で狂った…!)
瞬間。
「………ッ!!」
彼の存在という概念が、彼の脳裏を過ぎた。それで、彼は納得した。
(そうだ、そうなんだよ…。私という存在が居るんだ、極東に転生者が居たっておかしくはない。それも、同じ悲劇の敗戦国日本に…!!)
自身の死の一ヶ月前のことだったか、45年3月、在日ドイツ大使館から、ベルリンにかかってきた緊急電報を思い出す。
『東京が、燃えている…ッ!世界三大都市、栄華の帝都が…!!』
恐らく、彼の国は大ドイツと同じ運命を辿ったのだろう。栄華も、誇りも、後悔も、贖罪も、全て燃え尽き、瓦礫に帰した我が祖国と。
(居ても全く変じゃない。私と同じ復讐者が…。)
前世、破壊を欧州に撒き散らし、そして最後には祖国さえ滅ぼした男―――
第三帝国の皇帝は笑った。
(面白い、面白すぎるぞこの世界線は……!!)
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