第23話 華族学修院

 明治30(1897)年4月1日 上野駅


『上野〜、上野ォ〜!』


 列車の扉が開くと同時に、プラットホームへ降り立った。

 ひと仕事終えたとばかりに、汽車は黒煙を吹き上げる。


『長らくのご乗車お疲れさまでした、終着の上野に到着です。車内に落とし物お忘れ物なさいませんよう――…』


「ふぅう…っ」


 差し込む朝日とともに、連絡船から青森で乗り継いだ東北本線の長旅をようやく終え、玲那はプラットホームに降り立った。


「ようやく、戻って来れましたのね」


 口に出しては見るが、実感はない。6歳で追放されて6年間、上川離宮で過ごしたのだ。むしろ、上京したという感覚である。


「あぁ、帰ってきたのだ」


 一方の閑院宮は、深々とため息をつく。

 今年32になる彼にとっては、本当に長い赴任だったのだろう――北鎮第26連隊の長に任じられて以来、先の北方戦役、そして釜山防衛戦からの北京占領という一連の英雄的な戦歴が評価されて、閑院宮は大佐へと昇進した。


「……まさか、次は近衛師団の参謀とはな」


 連隊長から栄進した彼の新しい席は近衛司令部。帝都の宮城を衛戍したる近衛兵団の、その参謀であるのだ。彼は当然、戦後も復員叶わず現役武官となってしまった玲那ともども陸軍人事部には逆らえない――第一種動員以来、止まったままの北京計画も中断せざるを得ないだろう。


「軍属など、ロクでもないものだな」

「お察し申し上げます」


 玲那が言うと、閑院宮はこう告げた。


「玲那くん。もう二度と、戦場になど来てはならないよ」


 その言葉は、ただひたすらに重かった。


「……ですよね。敵前逃亡の罪は、復員しても許されません」

「そうではない!」


 びくりと震えるが、その口調は叱責ではなさそうだ。


「狂った場所だからだ、戦場は」


 それは、どちらかといえば自責のようにも聞こえる。


「予は、無力だった」


 あるいは懺悔なのかもしれない。


「まだいたいけな少女に人殺しをさせるなど……、正気の沙汰ではない」


 いたいけ、か。彼の目に玲那はどう映っているのだろう。

 少なくとも、玲那に言わせてみれば――閑院宮の瞳に映る藍色の眼の少女は、血にまみれて屍の上に立っている、あくまでも悪役令嬢であった。


「けれど、予に出来ることはなかった。いくら前線で勝利を掴もうとも……やはり、宮家の末席。何の力もない、弱小宮家だよ」

「そんなことは」

「大佐だの近衛参謀だの、名誉さえ周りの意向のままだ」


 その胸元に輝く北極星が、虚しく揺れる。


「功四等の銀杖章」


 玲那は思わず指摘する。


「佐官が授章しうる最高級の戦功を成しても、にございますか」

「はっ。"先鋒"持ちが、何を言うか」


 君が一番わかっているだろう、と彼は首を振った。


「武人の最たる誉れ……それを以て、思い通りになったか?」


 押し黙ってしまう。まさに真逆だ、全てが想定の斜め後ろを突き進んでいく。

 10番目と12番目の弱小宮家。けれどそんなパワーバランスを戦争一発で――そんな甘い発想が通るほど、乙女ゲームは優しい世界じゃなかったということか。


「中央は……巻き込んでおいて、無責任なことだ」


 その沈痛な表情は、自分もその陸軍の紛うことなき一員であることから来るものか。


「玲那くんに贈るのなら、そんなものより、まず謝罪だろうに」


 徽章を、少しばかり強く握りしめる。

 これでもう、あの紛争を忘れたりは絶対にしないだろう。


 長いプラットホームを歩いて、帝都の玄関口たる正面改札を抜ける。そうして見えた景色は、転生当初に見た街並みそのままであった。

 ここぞ皇國の中枢、帝都である。


「学修館までは送ろう。そこで別れることになる」


 閑院宮も近衛兵団の本部、宮城へと出向かなければならないわけで。


「……なにもしてやれず、すまなかった」





 ・・・・・・

 ・・・・

 ・・





「わぁ……っ」


 馬車を降りた玲那は、口を開けて感嘆を漏らす。


「これが、華族学修院」


 黒瓦と煉瓦建築が混じりあってひしめく帝都のなかに、悠然と茂る大庭苑。荘厳な石造りの門を潜れば、まっすぐ伸びる並木坂。


「玲那の……約束された破滅の地」


 ――パァーパーパパパパァーッ!


 舞い散る桜のうちに、遠くから鳴り響く喇叭。

 それに幾つもの軍靴が地を踏みしめる音が続く。


「おお」


 見事な兵列の真ん中には馬車が見えて――あしらわれた菊の紋章。馬車が止まると同時に狂いなく一斉に儀仗が回り、軍刀が抜かれて旭光を反射する。

 喇叭の破声と共に扉が開いて、皇太子殿下が降りてきた。


「……さすが」


 やがて婚約を破棄し、主人公と共に玲那を破滅へ追いやるその御方。

 実に不敬なゲーム設定だけれど、よく考えれば一線だけは超えていない。街並みや文化が似通っているだけで、どこにも明治時代なんて書いていない。"皇國"と呼ばれてこそいるが、実のところ国号なんてそもそも言及されていないのだから、あくまで清朝やロシアと戦うだけの極東の島国だ。フィクションです但し書きもあるしいくらでも言い逃れができるな、とかメタ読みをしていたところ、こつんと肩越しに人とぶつかった。


「わわっ、ごめんなさいね。わざとではありませんのよ」


 慌てて口をついて謝る。相手もちらりとこちらを伺うと、ふと呟いた。


「あら、存じ上げない御顔。内部生ではなくって?」

「あ。中等部からです」

「そ、だから不躾なのね」


 玲那はきょとんとして、まもなく理解した。


(はぁぁあ~~!?)


 なんだこの不遜な令嬢は。睨むようにその顔を観察すると、どこか見覚えがある。

 興味もなさそうに踏み出す彼女の姿を、流れるように靡くその金髪を。見ていれば見るほどに記憶へ蘇る、その面影。


「……上洞院かみのとういん茶路ちゃろ


 ぽつりと零したその一言が、彼女の足を止める。


「なぜ、その名を?」


 外には"別子"と名乗っておりますのに、そう言うまで読めた。知ってるよ、だって何度も聞いたもの――あのゲームの中で。

 大商人・上洞院伯爵家の長女にして唯一の子。ゲーム序盤ではただの冷淡なモブキャラだけれど、成績優秀にて中等部と高等部にて生徒会を務め、特に終盤では生徒会長となるためストーリー攻略の鍵となる。


(たしか……校則を変えなきゃいけないみたいなイベント、ありましたものね)


 平民の主人公にとって、既得権益ばかりの華族学修院では悪役令嬢と綱引きするうえで不利な局面が多すぎる。華族も平民も平等に扱われるように校則を変えるために主人公は奮闘するのだ。校則を定めるのは学修院生徒会。このとき、生徒会長たる彼女を引き入れなければ主人公に勝ち目はない。


(けれどその性格がなかなかに捻じ曲がっていてね……)


 何重にも策を巡らして退路を作ってくるタイプ。いくら距離を詰めようとしても逃げられる――ルートによっては嵌め手を用いて主人公に牙を剥く。

 誰に対しても見下したみたいな一線を引くから、信頼関係を築くのは非常に難しい。


「生い立ち……に、起因するのよね」


 上洞院家当主と正妻のあいだに子供は生まれず。茶路ちゃろは海外の愛人との子にも拘らず、上洞院伯爵家の将来を一手に引き受けることとなった。

 正妻に冷遇される日々。実の父親のほうも家の将来にしか興味がない。愛を知らぬ少女は自分はこんなに役に立つ、自分を見て、と訴えるみたいに成績優秀、容姿端麗、生徒会もこなしつつ、上洞院家のライバル華族諸家の子女へ策謀を回して蹴落としてゆく。

 その詭謀は用意周到にして狡猾。理路整然としたその落とし穴は外交官とか大蔵官吏とかになれば一転、歴史を変えるほどの力を持つだろう。


 そんな彼女のもとに、高等部になると主人公が現れる。

 校則是正を求める綱引き。生徒会長の彼女は主人公と悪役令嬢との間で揺れる――こともなく、ただ両者を冷淡に見下す。なぜなら校則がどう転ぼうとも、家の役に立ちはしないから。

 主人公は粘り強く訴えかける。その過程で、彼女と共に過ごす時間も増える。主人公は彼女へ親愛を向けるようになる。生まれて初めて愛を向けられて、やがて彼女は――そんなストーリーだけれど。


(めちゃくちゃ難しいんだ、そのルートが)


 前述の通り、策謀はアホみたいに用意してあるから近づいても逃げられるし、その高慢かつ冷淡な一線を踏み越えるためには、主人公の側も何十と布石を打って策を張る必要がある。ほとんどの場合彼女と完全に打ち解けることは叶わず、校則は変えられたけどというエンドのほうになる。攻略対象とは結ばれるのでそれでもハッピーエンドではあるのだが。

 つまり何が言いたいかって、完全信頼ルートは極めて難しい。とはいえ万一、主人公に取り込まれたらそのスペックの高さから厄介な敵になりかねないというのもある。さて、どうしたものか。


「よし」


 玲那は諦めた。玲那は皇太子との婚約もないし、校則を変えられても現状困るビジョンは見えない。なら、彼女を取り込む必要性はないだろう。


「では、ごきげんよう」


 割り切って、玲那は一歩と踏み出した。


「お待ちくださいまし」

「?」


 袖口を引かれて、止められた。胸元の勲章がチャリ、と鳴る。


「……その勲章」


 ひとこと、上洞院は言った。


「どの華族がたにも、見たことのないもの」


 まじまじと彼女は玲那の胸元を見つめる。そうだろうな。華族で戦功勲章持ちなんて聞いたことがない。玲那は息をついて答える。


「先鋒銀杖章」

「――銀杖章!?」


 息を呑んで後ずさる上洞院。一拍おいて、もしや、とその口から零れる。


「噂の……紫禁城の」


 そこまできて言葉に詰まると、すすっと彼女は引き下がって目を伏せた。


「失礼いたしました。それでは」


 駆け足で去ってゆく彼女の背を見送る。

 玲那は目を丸くしていた。


 もしかして、貴女なら。

 言葉に詰まった刹那。確かに、そんなふうに彼女は唇を動かしたのだ。そしてそのセリフは、本来主人公へ向けられる一言だ。

 他の令嬢たちとは違って、真摯な友愛を以て接してくれるようになった主人公へ、彼女が覗かせた淡い希望。今の自分を変えてくれるかもしれない、そんな思い。


 なぜ玲那なのか。いまの一瞬に友愛の要素なんてなかった。いいや、そうではなく彼女はこの胸元の勲章を見て呟いたのだ。それはなぜだ?


 他の令嬢たちとは違うものに、彼女が希望を見出すのだとするのなら。

 友愛とこの陸軍徽章に共通すること――他の令嬢たちとは違うもの、それを持っていること。ならば、彼女が玲那に見てしまった希望とは?

 やがて、玲那はニヤリと笑った。


 なるほど。方針転換だ。





 ・・・・・・

 ・・・・

 ・・





「上洞院さま!」


 授業が終わり次第、彼女の机のほうへ行く。


「……またでございますか、お姫さま」

「もちろん。今日も行きましょう?」


 否応なしに彼女の手を引いて、教室を飛び出す。背後の同級生たちは唖然としているし、廊下を歩めば視線が突き刺さる。

 カランコロンと鳴るこの杖もそうだけれど、なにより宝冠と、そして胸元に輝く翠星の先鋒徽章。


 "うわ、あれが噂の……"

 "あぁ。前線帰りの皇女さまだと"


 ずんずん進む玲那と、嫌そうについてゆく上洞院。


 "プリンセスといいますのに、血なまぐさいこと"

 "あの尻軽女と組んで……何をしようってのかしら"


 尻軽女、ねぇ。上洞院に付された不名誉のレッテルだ。

 学修院で出来る家への貢献など、たかが知れている――それこそ有力華族の次男以下と婚約して家に入ってくれる婿を獲得するくらいだ。初等部から決死の求婚に失敗し続け、尻軽とあだ名されてしまった上洞院は学修院での生活に冷淡な態度を取るようになった。そんなあらすじだったか。


(早くこんな学修院とりかごを出て、もっと上の世界で家の役に……そう望みながらライバル家の子女たちをあしらうみたいに片手間で蹴落としていくのですよね。恐ろしい……)


 ストーリーでは手ごわい壁として立ちはだかる上洞院茶路だけれど、家が大商人たることも鑑みれば。玲那は確信していた――その策謀の力を、皇國に資するべし。


「ねえ上洞院さま。前回のはまとめてくださった?」


 図書室へ向かう階段を上がりながら、玲那は問う。しぶしぶと言った風に、彼女はノートを見せてくれた。




『開戦前までに整備される陸軍戦力』


 ・正規師団

 東京鎮台 仙台鎮台 名古屋鎮台 大阪鎮台 広島鎮台 熊本鎮台 北海鎮台

 第八師団 第九師団 第十師団 第十一師団 第十二師団 第十三師団


 ・予備師団

 第十四師団 第十五師団 第十六師団 第十七師団


 ・特別部隊

 焼撃連隊 鉄道連隊

 以下未定




「ここで上洞院さまに問題。予備師団とはなんでございましょう」

「即席の肉の盾」

「……歯に衣を召されませんこと」


 玲那は苦笑する。


「そう。対露戦の前面に立つ戦力を完全状態で整備すると、開戦までに精々13個師団が限界です。ですがそれをすべて動員するとなると本土の駐留師団が0になってしまいますもの」


 ロシアや諸列強への牽制も兼ねて、支援諸科を取っ払った防衛歩兵を駐屯させる。


「さて上洞院さま。戦力的にはどうでしたでしょう?」

「通常より1個少ない、3個歩兵連隊構成の師団です」


 防衛戦が万一起こったとしても、地の利のある本土。水際で留められよう。


「押し返すとなれば大陸から正規師団を引き上げてくるしかありませんが、そうなればすでに負け戦ですね」

「あの」


 玲那がべらべらと喋っていると、上洞院は顔を上げた。


「……本当に、ロシア帝国と戦争になるとお考えで?」

「ええ。だから上洞院家に商機があると、お誘い申し上げましたのよ」

「っ……」


 彼女は黙りこくると、しばらくして首を振る。


「俄かには信じられません。相手は……列強国ですよ。それも、世界最大の」


 玲那は頷く。

 この軍拡が達成されたとしても、皇國陸軍はせいぜい二十万。対する相手の最

 大動員兵力は、二百万に達する。国力差に至ってはそれ以上に開いている。


「ええ。誰も信じませんとも。ゆえに商売の先陣を切るならば相応の利益がございましょう?」

「その御自信の根拠を訊いているのですよ」


 ふっと息をついて、数枚の紙を手提から出す。

 今こそ無名の地方商人であるが――のちに阪神間に跨る複数の中小財閥とカルテルを組織、ついにはあの"鈴木商店"へと発展してゆく――上洞院商会という、強大な武器を手に入れるために。


「大陸の現況を見れば歴然ですわ。それも併せて、お勉強会と致しましょう?」


 やがて来たるべき破滅の日に、玲那を裏切らない強大な金融資本を確保するために。


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