第26話 お金の使い道

「工業力だけ偏って伸ばしても、そこで働く人が飢えるようでは意味がございません。労働人口自体の増加のためにも、安定的な食料の供給が求められています」


皇國の総人口は4500万強。史実より若干多い。枢密院による史実知識を踏まえた経済政策により民生が安定しているのと、新田開発が早めに進んでいることが挙げられる。


「それでも現状はかなり拙いものです。東北で冷害が起きれば他地方との食糧融通もマトモに利かず、東北全土が食糧不足に直面する……最悪は餓死者もでる始末です」

「さようにございますか」

「幕府期よりかは幾分マシにしても、お世辞でも褒められたものではなく」

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない――そんなこともぼちぼち申していられませんわね」


言われなくとも、地方の食糧事情は痛いほど知っている。この身はどこに追放されたと思っているのですか。そんな玲那のささやかな嫌味も、松方は涼しい顔で受け流した。


「ゆえに、食糧管理制度を実行しようと思っております」


食糧管理制度。

政府による食糧流通の管制のことあり、食料価格の急変動を抑えるために、政府が食料の買入・売渡・交換・加工・貯蔵の管理を行う。戦時下の昭和17年に始まり、高度経済成長を経て農村の近代化とともにその役割を終え、自主流通米制度へ変革していく。


「技術の未発達による、豊作凶作が激しいこの時代。年によって食糧価格は激しく変動するために、経済、そして民生を揺さぶっております」

「そこを政府が管轄することで、豊作なれば備蓄、凶作なれば解放する……さすれば食糧価格は鎮まる、と仰るのですね」


食糧供給の安定は民生の安寧を意味し、投資の活発化を促す。貨幣の流通を増幅させて経済と人口増を安定させることは、高度成長への欠かせない基盤だという。たしかに、飯が年ごとに約束されない、と言うのはかなりの不安材料である。飢えが窮まれば革命へと昇華する。ロシア革命も、ドイツ革命だって飢饉が背景にある。この国とて例外ではない――二・二六事件の起点は東北の大冷害だ。


「理解いたしましたわ。それで1000万圓、と」

「はい。これらコメの買い付けの元手といたします」

「では、残りの2500万圓は……」

「ご安心ください、今度こそ工業投資です。鉄鋼に不可欠の炭鉱開発へ大部分を投ずるとして、軍需工場、造船所と、財閥への投資もこの内でやり繰りします」


なるほど、これが産業基金の全貌かと玲那は頷いた。

製鉄所、技術研究費、金本位制と食糧管理制度。残ったカネは炭鉱と工場へ全注入。文字通りの傾斜生産か――そこまで考えたところで、ふと思いとどまる。


松方の言った産業の核を成すかたわれ、農業の項目は食糧管理制度のみ。額は1000万圓とくれば、産業基金が7000万圓とある中で、工業に振りすぎてはいないか。

農業の軽視ではなかろうか、玲那は呟いた。


「非効率な農業にメスを入れると仰せの割には……小さくなくって?」

「ふふ。姫宮ならそう仰ると思っておりました」


松方はもう一度、賠償金の用途表を広げる。



7000万圓 産業資金

6000万圓 台湾・大陸開発資金

3000万圓 災害・教育基金

4000万圓 鉄道・港湾建設資金

 総額2億圓也



「米プランテーション。姫宮の御発案と、記憶しておりますが」


彼のその一言で、玲那は概ねを察した。農業への投資のカネの出どころは産業基金に非ずというわけだ。


「……大陸開発資金でございますか」

「はい」


松方はそう頷いたものの、少しだけ考え直すしぐさをする。


「いや、正確にはやはり台湾・大陸開発となりますかね」

「台湾? 大陸のみならず、と仰いますの?」


姫宮の仰る長江デルタもそうではございますが、と松方は地図を広げて、指を長江下流から南のほうへと滑らせた。

その指先が留まったのは華南の沖合に浮かぶ島。


「台湾。ここには100年後、台湾随一の穀倉地帯と呼ばれることとなる"嘉南平原"が存在します」


玲那はほっと息を吐く。


「長江デルタのみならず、そこでも行うわけなのね」

「ところが嘉南平原、明治281895年現在は干ばつの荒野です」

「はい?」


なんとこの平原、夏は洪水で一面海と化し、冬は雨がふらず一面砂漠と化すらしい。水田とかの前に人住めないじゃん。


「穀倉地帯? どのへんが? 教えてくださる?」

「答えは簡単。昭和の初め頃に巨大なダムが作られ、嘉南平原に量を調節された水が行き渡るようになったゆえです」

「すると?」

「話が見えてきますでしょう?」


彼は笑った。


「史実ではたった1200万圓しか予算が振り分けられなかった台湾に、大陸も合わせてだが6000万圓。もう何をするかは薄々お察しでは?」

「ダムの早期建設、でございますか」

「史実、大正の終わり頃……1920年にようやく着工したダムを、今度は即座に作り始めるのです」


なにせこちらには大量の資金と労働力が用意できますゆえ、と彼は続ける。


「のちに台湾人口2000万の食料を賄うこととなる嘉南平原を潤す烏山頭ダム。欧州から技術者を招き、国主導で建設するとなると、工期は大幅に短縮できる。なんせ史実の烏山頭ダムは、ほぼ個人主導での建設だったのですから」


そこに、技術の格差の問題を差し引いても、精々3,4年で完成に至るだろう、ということらしい。


「ということは食糧供給問題は解決、と?」


台湾の人口は現在260万人。台湾全土に食料を供給させるには数は間に合っている。余剰分を全て本土に回すとしても1000万人は軽く賄える。


「いや、それだけではありません」

「他にも?」

「災害・教育基金、というのがあったのを覚えておられます?」


たしかにそう言えばそういうのがあったな。史実では非常時資金として扱われていて、その額も1000万圓とたかが知れていた。


「災害、には『冷害』も含まれます。災害・教育基金は今回3000万圓。それと、今までの話を結びつけると――」

「冷害……品種改良ですかね?」


すると、嬉しそうに松方はうなずき、言う。


「はい。目標は道東佐呂間原野でも生産可能な稲の作成です」

「道東……。現代でも稲作が普及してない地域ですよ……?」

「ま、30年計画になりましょう。国内の広範囲に渡って農業試験場を設立、一年ごとに品種改良を強力に推し進めて行くのです。そのための農村への投資も含めた、品種改良費がこの3000万圓の中に含まれております」


びゅうと吹き込む海風が、玲那の髪を揺らす。


「これが工業と農業へ行う産業投資の全貌となります。史実と比れば数十倍に達する投資――経済成長はもはや、約束されたも同然」


その物言いには、さすがの玲那も頷けなかった。

楽観的過ぎやしないか、そんな思考がストップをかけた。


「……経済成長には一定の生産人口が必要でしょう」


玲那は疑念を呈する。


食糧問題が解決したとして、人口が増えたとする。

ならその増えた人口は即戦力となるのか?


否である。

誰が生後数日の赤ん坊を労働に駆り出すものか。いま食糧問題を解決したとしても、それが労働力となるのは、早くても15年後だ。日露戦争にはどうあがいても間に合わない。


「無理だ。」


松方はあっけなくそう返した。


「5000万圓という大金の産業への投資は、身の丈に合ったものでしょうか。働く人が居なければ、いくら精度良く、より多く軍需物資を作る工場だってただのハリボテに過ぎませんわ」


ふむ。では、と彼は玲那へ問い返す。


「姫宮は皇國が今、どれほどの過剰労働力を抱えているかご存知ですか?」

「過剰……なんですって?」

「姫宮がたが旅順におられた時の、国内の戦時経済から話しましょうか」


曰く、開戦当初、戦争経済はかなり悲観的な見通しであったものの、3つの要因によって不景気どころか、戦争経済下であるにも関わらず、どこもかしこも好景気だったということらしい。

理由の一つは、日清戦争が比較的短期かつ小規模であったことが挙げられる。徴兵動員率が5.7%にとどまった故、労働力の戦争動員による生産力への影響がほぼ無かった。

二つ目。当時最も懸念されていた、兵器や弾薬など軍需品の英国からの輸入増による国際収支の赤字化とその増大が、自然な輸出の伸びと、占領地で圓が滑らかに流通したこともあり、赤字は小規模なもので留まり、正貨準備額も激減しなかったこと。

さいごの三つ目、これが主題であるが――皇國は現在、過剰労働力がかなり多く、とくに主要産業の農業でその傾向が強い。しかも、農村や農山村などで過剰労働力が滞留する中(東京で車夫が余るなど都市も働き口が少なかった)出征兵士留守宅への農作業支援もあった。


「それにより、結局のところ……過剰労働力の減少に伴う、作業の効率化によって、戦時下にも関わらず農業生産額が増加したのです」

「ということは、皇國は現在労働力が過剰状態で、働き口を民は求めていると?」


松方が頷いた。


「産業基金による傾斜生産によって鉱工業が拡大。

 鉱工業従事者のための、市街地拡大。

 更に工業地帯完成後の過剰労働力の吸収。

 その工業地帯を使って、2.6億円――国家予算の四倍規模の軍備拡張。

……もう、何が起こるかお判りでしょう?」


そのほぼ全てが、国家予算六倍分もの金によって行われる。


「ものすごい額の金が、都市に流通しますね」


金が動けば景気が良くなる。


「さらに、政府による食料の安定管理とくるのです」


農村にも金が周り、列島全土において金が流動する。


「経済の起爆剤にございますか」


そう言うと、松方が不敵に笑った。


「しかもまだ戦時好景気の余韻が十分国内には残っております。金も動きやすい――ここから予想される推定経済成長率は7〜8%です」


百数十年後の、お隣の超大国並みの成長率。

その恐ろしさに、寒気が走った。


「このチャンスを、逃すわけにはいきません。………”戦勝特需”、とでも称されるであろう、これから始まる国史はじまって以来の爆発的経済成長には、史実の『大戦景気』の役割も担ってもらおうと考えております」


大戦景気――。それがこの国にもたらしたものは大きかった。


近代資本主義然り。

重化学工業の発展然り。

財閥の出現然り。

労働闘争然り。


自衛できる力を持つ国家――大国になるために、避けられない道筋。

それを経験し、基盤とすることができれば。


「第一次大戦において、皇國は高度成長に匹敵する経済成長を迎えることも、可能になるのです」


大戦はたった4年しか続かない、という問題もある。

欧米との圧倒的技術格差は、大戦後皇國を恐慌に突き落とす、という問題もある。


だが。

米英と共同での満州開発の、列島の後方基地化による経済活発化といったような火葬戦記のテンプレやらでも使って、経済成長期をなんとか4年以上に延ばせたら。


技術力をこの時代に伸ばし、経済成長を経験しておくことで、大戦景気において技術革新を成し遂げ、大戦後も欧米に対する輸出が滞らなければ。


「皇國は、大英帝国に匹敵する国力を保持することも……可能と?」


皇國には潜在的な力がある――それは、勤勉な国民性。

事実、戦後日本はそれで、焦土から世界第二位の経済大国にまでのし上がった。

その力を、未だ敗戦を経験していない、この皇國が行使したら。

玲那は、頬を引きつらせた。


「――皇國は、強くなりましょう」

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帝國黙示録 占冠 愁 @toyoashi

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