閑話 中央ヨーロッパにて

 ある独裁者の物語です。飛ばしても構いません。

―――――――――




 赤軍機がおもむろに急上昇したかと思うと、左から雲を突き抜けてHe162がこれを追撃せんと現れるが、練度もないに等しいドイツ機では赤軍機の挙動についていけず、反転してきたそれに捉えられたかと思うと黒鉛を吹き、華を咲かす。


 突然風切り音が聞こえ、国際法で攻撃に晒されないはずの、負傷兵を収容した病院で大規模な爆発が起こり、掲げられていた赤十字旗が吹っ飛ぶ。戦時国際法の基礎的な教育も受けていない農民主体のソ連軍はそのようなことを知るすべもなく闇雲に目立つベルリン市内の目標を砲撃する。


 だが、ベルリンは廃墟と化して、もうすでに攻撃の的となる目立つ目標はまばらとなっており、それが祟ってそれらは赤軍の集中砲火の的となる。所々国防軍や親衛隊の反撃と見られる発砲炎が吹くが、それは今やもうまばら。彼我の戦力差は隔絶、歩兵と航空機だけでも2倍、戦車に至っては4倍もの差があった。挙句我が方の辞書には練度という言葉はない。思えばベルリン防衛計画は最初から破綻していた。


 赤軍が前進してくる。ベルリン市民は大混乱、我先にと逃走を始める。親衛隊の制止はもうすでに効かないようだ。赤軍爆撃機も盛んに爆弾を投下し、いたるところで爆発が起こる。市民軍民関係なく無差別にベルリンは崩れていく。これが「世界首都ゲルマニア」になるはずだった街の末路か、と思いつつ私は妻に語りかける。


「エヴァ、君は私が戦争がはじまる前の、私の言葉を覚えているか?」


 妻は微笑みながら、そして奥にどこか強い覚悟を感じさせるような目つきで言った。


「えぇ、覚えているわ。たしか【ドイツが世界最強の国家となるか、それともドイツが消滅するかだ】でしょう?あの頃のあなたは、とても若々しくて希望があった。」


 これで見るのは最期となるであろう”地上”を目に焼き付けてから地下壕に入る。突如爆音が響き、壕がグラグラと揺れる。この直上付近で着弾したようだった。その音にかき消されないように半ば怒鳴るように妻に返す。


「そうだ。私はたしかにそう言った。本気でこのドイツを、ゲルマン民族を世界最強にするつもりだった…。しかし、計画は破綻した。何故だと思う?」


 妻は少々考え込み、そしてこう私に言った。


「あなたは過信しすぎてしまったんじゃないかしら?このドイツの力を、そして私達ゲルマン民族の”優位性”とやらを。」


 そとで一般市民が口にすれば親衛隊による銃殺も免れかねないようなことを平然と妻は言った。しかし、この戦争での失敗の原因の結論について、私の考えはすでに妻と同じだった。


「あぁ…。私もそのとおりだと思うよ、エヴァ。戦争の前にもっと真面目に計画を練るべきだった。私は自身の主義主張については捨てる気はないよ。だがあまりにも私の描くゲルマン民族の”優位性”に頼りすぎた、後先を考えない無謀なものだったよ、この戦争は。」


 私は、自身の持ってきた信念を揺るがすようなことを初めて言った。それは自分自身を否定するようで、心にくるものがある。しかし、今臨んでいる戦いにおいて我が民族は他の人種と変わらないということを痛感させられた。ここで従来の民族至上主義を語ったところで何の説得力もない。


「私は今までの矜持と信念を捨て、この現実を受け入れなければならない。」


 だが――、と彼は続ける。


「…受け入れて前向きになったところで待っているのは処刑台だ。私はそうなるくらいなら、最期まで貫いてやる。そして、自ら命を絶つ。私が守るべきだったドイツの文化、価値観、そして何よりもかけがえのない国民9000万を道連れにしてな。」


 私は自嘲する。もう自暴自棄だ。負けて全てを道連れにしようとする、私のことを愚かなクソ野郎とでも何とでも呼べば良いだろう。実際そうなのだから。


「そうね…、あなたはたしかに取り返しの付かないことをした。このヨーロッパで数千万を殺し、それより多くの人を傷つけた。だけれどもそれは協力した私も同じ。どっちにしろ私たちは地獄行きよ。」


 ほら、見えてきたわ。とエヴァは続ける。


「――私達の断頭台が。」


 すでに拳銃が置いてある地下壕広間に出た。多くの党員が控えていた。


「エヴァは本当にいいのか、もう戻れないぞ?」


 私は妻の意思確認をした。


「あなた、私にそれを聞くのは何回目?私はもう覚悟しているわ。生き残ったところであなたが言っていたことと同じく、連合の戦犯処刑台が待っているだけだもの。」


 決意は固いようだ。


「そうか…。」


 再び爆音と振動。外ではもうすでに赤軍が市街侵入を果たしているだろう。


 私は、党幹部が差し出した錠剤を手に取り部屋に入り、そしてエヴァと同時にそれを飲み込んだ。エヴァが苦しみだした。青酸カリが回り始めたのだろう。私も、走馬灯のように今までの記憶が蘇ってきた。薄れ行く意識の中、拳銃を手に取り、その銃口を右のこめかみに当て、叫びながら引き金を引いた。



「アーリア人に栄光あれ!!!」



 数百万の犠牲を伴った民族浄化、数千万の犠牲を伴った戦火。

 これを主導し、そして最期は自国のすべてを道連れにした狂気の、ドイツ国初代にして最後の”総統”アドルフ・ヒトラーは、1945年4月30日、ドイツ国・首都ベルリンにおいて自決した……―――









 ―――かに思われた。


「あ、目を覚ましたわ!おしめを替えなきゃ…」


 私は困惑した。


(ここはどこだ…!?私はたしか頭を自ら撃ったはず…!何故生きている?)


 そして覗き込んだ人を、私は知っていた。


(この人は…、母さま!?なぜここに!何かの手違いで天国にでも行ったのか!?)


 益々わけがわからぬ。とりあえず母に何が起こっているか聞いてみよう。


「オギャー!オギャー!!」


 話せなかった。ドイツ語を喋ることができなかった。

 泣き叫ぶことしかできない、どうなっているのだ。


「はいはい、すぐにしますから、アドルフ。」


 そうして、ひょいと体を持ち上げられた。ありえない、私の足を母が片手で簡単に持ち上げたのだ。私の体重はそれなりにある。それがどうしてこうも軽く持ち上げられたのだろうか。とりあえず状況把握だ。首を回して周りを見る。


(…………!)


 かくして私は絶句した。なぜなら――

 ここが私の生家のアパートの一室だったからだ。


 間違いなく私はここで生まれ育った。

 そして、ようやくどうなっているのかわかってきた。


(ここ天国でも地獄でもない、つまり私はかつての私に転生させられたのか。)


 悪の独裁者、虐殺者と化した人生を、やり直してみろという神のお導きかもしれない。しかし、もしもそう思って私を転生させたのならば。

 それは”神”とやらの大きな過ちだ。


 私がやり直すのは、「私の人生」などという酷く醜く矮小なものなのではなく――

 我が民族の、大陸にまたがる安息の新世界建設なのだから。


(面白い…!今度こそ祖国を、世界最強の国家に、私が導いてやる――!!)



 1889年4月20日午後6時30分。

 旅館ガストホーフ・ツー・ボンマーにて、狂いし独裁者が、恐ろしき野望を持ってこの世に産み落とされた。

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