第12話 死守命令

「第1第2分隊は迫撃砲設営」


 弾薬箱を開放し、一気に迫撃砲の組み立てを始める。迫撃砲に関しては白兵戦よりも訓練の時間を取っていたから手惑う兵士も少なく、着々と進んでいく。


「第3分隊は機関銃座を築陣」


 切り通しを狙い撃つように両側の茂みへと銃座を置く。機関銃手たちは面識がある。上川離宮近辺の少年少女だ。いつしか玲那がリヤカーなり機関銃なりの扱い方を教えたことがある。


「玲那お姫さまのことなんて、みんな……わかってないくせに」


 ぽつりと呟くひとりの少女。玲那は力なく首を振った。


「けれど仰ることは正しい。確かに、玲那は逃げたのです」

「それでも白夜びゃくやは、お姫さまを知っています。ねっ、リューリ?」

「……うん」


 頷く少年少女に、玲那にもあったらしい良心がほんの少し痛む。ほかの兵士たちのほうへと目をやれば、やっぱり厳しい視線が返ってきた。


「何にせよ、あとで軍法会議送りです。責任はそこで取ります」


 本当は責任なんか取れない。軍法会議になんかさらさら出るつもりもない。どんな汚い手を使っても逃げおおせる決意だけはあって、だからこうして戦果で敵前逃亡の疑惑を揉み消そうとしている。


「けれどその前に玲那を裁いてくれるお国がなくなれば、困ってしまいましょう?」


 詭弁だとわかっていて、小隊兵士に語りかける。これは、悪役令嬢なりの保身の仕方だ。けれど不思議と自己嫌悪は沸かなかった。


「ですから……やるしかないのです」


 ゲームや皇國枢密院が望んだとおりに破滅してやるものか。血塗れの道に堕ちても這い上がってやる――闘志を宿した翠の瞳で、眼下に迫る敵の戦列を睨めつけた。


「規模一個中隊。距離400で迎撃すること」


 一個中隊、即ち三個小隊180名。彼我は約三倍の兵力差。迎え撃つのはこの迫撃砲6門と、重機関銃3基ぽっち。


「っ、なんでこんな小娘に従わなくちゃ……」

「抑えろ。どっちみち作戦要項には従わなくちゃいけねんだ」


 数だけ見れば心細いが、勝算はある。


「こんな。こんなお嬢様が持ち込ませた、オモチャが……役に立つわけが」


 別海伍長が小さく漏らした。


「そもそも、重砲が森林戦で使えるわけがない……!」


 そう。それが、この時代の常識だ。


「砲弾装填!」


 計算された角度で空を睨む砲口に、弾が込められる。


「戦場を何も知らないくせに。こんなので列強になんか敵う……わけ」


 別海の語尾が、段々と力を失っていく。


「友軍本隊の援護、どなたかご存知ですか?」

「はっ。第7砲兵連隊が6時間後に到着します」

「増援まで……最低6時間、孤軍奮闘ですか」


 空を仰ぐ。両側にそびえる切り通しの間から、曇天が覗く。


「……闕杖官けつじょうかんどの、距離400です」

「斥候伏せ。弾着観測は、灯火信号を以てこれを行う」


 どんよりとした、重くて、湿った、息苦しい大気。この運命にはもってこいの空模様だ――さぁ、薙ぎ払って見せましょう。


「拝啓、ロシア軍のかたがた。近代戦の洗礼へようこそ」


 これが玲那のやり方だ。


「そして、ごきげんよう」


 風がおもむろに高地を馳せた。

 ザァァァ、とモミの木々が揺れて、この泥だらけの長髪が靡く。


「撃ち方――始めなさい」


 轟、と二門の迫撃砲が唸る。計器が導いた弾道に沿って、その弧を大きく、どこまでも高く描いて空へと消えていく。


「はっ、やっぱり重砲なんて妄想――……」


 別海の声を切り裂く、キィィィイーンという音。

 高度500まで打ち上げられた榴弾は重力加速度に従って、地に堕ちる箒星のように、茂る木々の枝や葉を引き裂いて敵中隊へと突き刺さる。




 ドォッ、ドォオォォン!




 炸裂、爆散。火球が森林を呑み込む。


「ッ!?」


 絶句する別海。玲那はそれでも攻撃の手を緩めない。観測手の灯火信号に目を凝らして電卓を弾き飛ばす。ソーラー電卓、前世のリュックに入っていた人畜無害そうな機器も、この世界では化け物だ。


「次弾装填、弾着修正。仰角を5度下げて砲撃続行」


 瞬きもしないうちに10桁に達する精密な値を叩き出して、次々と迫撃砲弾を導いてゆく。前線には絶え間なく灯火が点滅して、玲那の手元に情報を与える。


『敵増援。規模およそ1個中隊』

「追加のお客様がご入場です。高高度から歓迎なさい」


 地に伏せれば、爆音が森林を引き裂く。何度も、何度も踏みにじるように。


「……な…なんで…、こんな――」


 立ち尽くす別海の隣で、迫撃砲手たちは忙しなく榴弾を打ち上げる。


「射撃続行、怯むな、止まるな!」

「てぇーっ!」

「着弾! 続けて右修正6度っ!」


 逃げ場のない切り通しで、迷走する敵兵たち。


「一発一発、装填して、見つけては……撃ってきたのに」


 彼女は呆然とする。こちらの何倍もの戦列が、一方的な潰走状態に陥っている。


「この速射力、破壊力。比較にすら……!」


 統制を失って、次々と銃器を投げ棄てていく。これではもう暴徒同然だ。


「傾斜角保てぇっ」

「次弾装填、続け!」

「左3度、斉射!」


 虐殺とも称すべきかの光景を前に、ぎりり、と別海睦葉は奥歯を噛み締めた。


「何なの――これはっ……!?」




 ・・・・・・

 ・・・・

 ・・




 おもむろに轟く爆音。

 振り返れば、噴きあがった火柱が、そこにいた小隊ごと区画を飲み込んだ。


 ドガァアアン!


「なぁ……ッ」

「こんな鬱蒼と茂った針林の中に、じゅ、重砲隊だと!?」

「なぜだ、ここは前線ではないのだぞ!」


 超高空から弾に降られるロシア軍の兵士達は、そう叫ぶことしかできない。


「こんな兵器を、なぜ蛮族がぁっ……!」


 ここはあくまでも戦場。中隊が独断で撤退したとなれば、敵前逃亡を咎められて文字通り首が跳ぶ。


 準備不足の敵の本隊に奇襲をかけて、真縫マヌイ平地を奪ったまではよかった。敵が体制を立て直すまでに周囲の高地を制圧し、追撃に移るつもりであった。

 されど我々の退路を遮断するかのように、背後の山地に待ち伏せをされていた。直ちに掃討を命じたが、こうして未知の新兵器を前に手こずっている。あまりまごまごしていると――退けたはずの敵の本隊が反転して、こちらに向かってくるだろう。


「……っ」


 ぞくりと寒気がする。まるで包囲されているかのようだ。見回す限りのあちこちに上がる悲鳴の中で、きっと、誰もがその嫌な予感を共有している。


「少佐!」

「――っ!」


 少佐は息を呑んだ。向こうの小隊で白旗が上がったのだ。


「まさか独断降伏か!?」

「敵襲、敵襲! 新たな敵――ぐわぁっ!?」


 その瞬間、怒声が後ろから響いた。


 ワァアァァァァ――!


「敵兵!?」


 少佐は察する。この兵数、間違いなく真縫平地で奇襲した敵の本隊に違いない。


「ふざけんなよォっ!」


 退路を塞がれたまま、前方から大兵力の突進を受ける。見事な包囲殲滅戦だ。その結果は、破滅以外の何物でもなくて。


「もう嫌だァ!」

「助けてくれ、オイラは田舎に妻だって子供だって置いてきてんだっ!」

「死にたくねえ! 戦場なんてまっぴらだ!」


 物理的にも精神的にも損耗しきっていた敗残兵。その統制が崩壊するのは、時間の問題であった。


「ヤポンスキーなんか一撃で叩きのめせるなんて、大嘘を!」

「そんなこと抜かしやがった司令部なんかに付き合う必要なんざねえ!」


 完全に敗走状態になるまでに数分も要さず、部隊は切通しから南側へと逆戻り。

 渓谷の内では、ロシア兵とその味方が出会うたびに渓谷内に悲鳴が木霊する。


「切通しには悪魔がいるっ! 重砲を持ち込んでやがる!」

「先行した中隊は一人残らず全滅だッ!」

「遅くねぇから引き返せ!まだ間に合う!」

「早く逃げろッ、逃げろぉっ!」


 敗走で充足率一割を切った彼らは、瞬く間に恐慌を起こす。


「そんなっ! 包囲されてるってことじゃないか!」

「まさか退路を断たれたのか!?」

「お、終わっ……た」


 そして、当然その結論にたどり着く。


……!」




 ・・・・・・

 ・・・・

 ・・




『敵影見えず』




「ぎりぎり……ですね」


 息つく暇もなく、手提信号を点けて眼下へと発信する。


『状況送れ』

『1名即死、2名重傷、4名軽傷』


「……っ!」


 指揮下で初の戦死者。言い訳など出来るはずがない。俯いて唇を噛みしめる。きっと玲那が『主人公』であれば、序盤で仲間や部下を死なせることはなかろうに。突きつけられた報告は、ここがゲームの世界ではなく、冷酷な現実であることを証明する。


「せ、斥候より報告」


 ばっ、と玲那は振り返る。


「敵影新たに切通こちらへ反転。大隊規模です……!」

「大隊……!?」


 最後の最後でそれか。震える唇で、言葉を継いだ。


「砲兵連隊の到着までは?」

「……120分です」

「各員……迎撃配置につきなさい」


 きっ、と別海が目を見開いてこちらへ詰め寄る。


闕杖官けつじょうかんどの、相手は敗残兵とはいえ五百以上です」

「ええ」

「1個小隊二十数名で相手できる規模ではありません!」


 それでも。そうだとわかっていても。

 玲那は銃座を載せたリヤカーを牽き上げた。


「ですから、命令の責任は取りましょう」

「……まさか、御自ら出るおつもりですか」


 別海の問いに、少し振り返って答える。


「足を引っ張っても困りましょう?」


 そう言うと、伍長は歯を食いしばった。

 そうしてゆっくりと言葉を紡ぐ。


「姫殿下のことを誤解していました。殿下は決して――」

「いいえ?」


 その告白を玲那は遮る。そんなものは不要だし、意味がない。


「軍規違反、敵前逃亡。これに比べれば、贖罪にすらなりません」

「そうではなく!」


 語気を強く、別海伍長は目を伏せた。


「やはり、殿下あなたは無責任です」

「……」

「軍人としては認めます。けれど上官としては……持ちたくありませんでした」


 本心を一切隠すことなく、彼女は言葉を継いだ。


「小隊の指揮はどうするのですか」

「別海伍長に任じます。残弾尽き次第着剣、120経過まで投降は認めません」

「っ、全滅覚悟になりますよ」


 それでも、そうだとわかっていても。ここで降りては皇國が滅ぶのだ。

 あぁ、別海の感想は実に的を射ていよう。


「ごめんなさい――死守です」


 上官としてこれ以上ない恥の命令を、吐き捨てた。




 ・・・・・・




「あなた正気!?」

「はい。あくまでも」


 頭を下げる玲那に、少女は戸惑いを隠さない。


「もう小隊には人手が……ないのです」

「あ、あたし和人ですらないのよ」


 少女は首をぶんぶんと振った。たしかに当然だ、何の義理があって先住民が皇國へ貢献するだろうか。


「……ごめんなさい、そうですよね。その脚だってまだ痛みましょう」

「それはだめ」


 玲那の袖を掴んで、リヤカーに座り込んだままの少女は動けぬ右脚を指す。


「こうして、命を拾ってもらったもの。見捨てるなんてもっと無理よ」

「それは違います。玲那があなたを銃弾に晒したのです」


 助けるのは贖罪だ。そんなものに恩義を感じるべきじゃない。


「でも。まだあなた、12歳なんでしょう」

「それは貴女もです」

「あたしは戦い慣れてる。あなたは和人よ。しかも一等若いわ」


 違う。玲那は身を挺して戦地に沈みに行くわけじゃない。今からやるのは二度目の敵前逃亡だ。


「……怪我もありましょう」

「衛生兵さんのおかげで大丈夫よ。動かないけど、それでもできることがあるんでしょ」


 その脚に巻き付けた包帯は、なお痛々しい。


「それでも、貴女は」

「名前で呼んで。あたしは咲来さっくる裲花りょうか

「……咲来さっくる


 そう言うと、少女は頷いた。


「ん。ついていくわ、玲那れいな」 

「いえ。これは、玲那の義務です。あなたをこれ以上、戦火に巻き込めません」

「……じゃぁ言い方を変える」


 少し気が引ける様子で目をそらし、けれど、きっ、と向き直ったかと思えば口調を強くこう言った。


「責任取ってよ」


 載せられてきたリヤカーを指差して、咲来は言うのだ。


「ここまで連れまわしておいて、捨てるつもり?」

「……ずるいです、その言い方は」


 玲那はむむと唸って、ため息をつく。


「わかりました」


 リヤカーに再び少女を載せて、梶棒を牽き上げる。

 天幕を出てまもなく見えた光景に少女は凍り付く。


「な……!?」


 地に横たわる巨影。いいや、すこし浮いている。


「オ、オジョウサマ。本気なのデスカ!?」

「もう日も沈みます。今宵は新月。的になるリスクはほぼございません」

「無茶ですヨ、無茶デス!」


 あのとき大蔵省の役人に駄々をこねて、はるばるロシアから忠別に呼びつけた技師は、首を振って拒んだ。


「これは命令です」

「……ッ」


 押し黙る技師と、唖然とする少女。


「なに……あれ」


 北鎮、第26連隊直掩飛行隊。

 閑院宮に名義を借りて立ち上げた、世界初の航空部隊。


「『飛行船』といいます」


 玲那が微笑めば、震える声で少女は問う。


「何する……つもりなの?」

「上空からの弾着観測及び、機銃掃射」

「じょ、上空……?」

「ええ。空を飛ぶのです」


 少女は頬をひきつらせた。


「冗談……、よね?」

「いいえ。これは航空支援です」


 リヤカーの梶棒を持つ。解放された飛行船のハッチに、足をかけた。


「夜目は効きますか」

「いちおう狩猟民族よ。舐めないで」

「よかったです。では弾着の観測をお願いします」

「弾、ちゃく……?」


 玲那に引き込まれるがままに、咲来は飛行船に乗せられる。

 その瞬間、ハッチが閉まってふわりと身体が浮き上がった。


「うっ、浮いたわ!」

「窓。窓から地面、見えますか」

「み、見えるっ。飛んでるわ、あたし!」


 年相応にはしゃぐ少女に、これから人殺しを手伝わせるのだ。なんて残酷な大空なのだろう。なんて残酷な皇女なのだろう。


「敵の場所および、地上の部隊が投射した砲弾の弾着のズレを教えてください。玲那が手提灯てさげとうで地上部隊に伝えます」


 少女のよく効く目に全部任せて、索敵も弾着観測も、玲那は中継の役割に徹することにする。それに、玲那がすべきはそれだけじゃない。

 敵の直上に至って、数発の火炎瓶を投げ落とした。ぽつぽつと火が燃え広がって、新月でもわずかに敵の姿を炙り出す。

 ガチャリ、機関銃を固定してハッチを少し開けた。少女が目を見張る。


「……まさか」


 今世で初めて飛んだ空も、すべては命を摘むために。

 銃口を下に向ければ、眼下一面が射程範囲だ。


「対地掃射。蹂躙します」

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