第8話 悪役令嬢
「ぐぅ……っ」
少女をリヤカーの荷台に載せながら、冷帯の岩地を越えていく。
遠くからは銃撃が聞こえる。きっと渓谷では戦闘も佳境に入っているのだろう。荷台に積んだ少女は意識を失って、まるで眠り込んでいるようだった。
「ん……」
うたた寝から覚めるかのように、ゆっくりと瞼を上げる少女。梶棒を懸命に曳きながら、振り向くことなく玲那は声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
少女は目をぱちくりとさせる。
「……ここは?」
「原隊に合流しているところです。さっきは本当にごめんなさい」
頷く少女は、しばし周りを見回したかと思えば、後方の一点を睨めつける。
「どうしたのです?」
「しっ」
玲那に向けて人差し指を向けたかと思えば、背の長槍を差し抜いて飛び立つ。
「し――ッ」
速い。
血が飛び散る。少女の血かと思えば、途端に飛沫が上がる。
「ぐはっ……!」
小銃が地面に落ちる。少女の槍に首を貫かれたロシア兵が、身体を泥に横たえた。思わず玲那が駆け寄れば、少女も脚から血を流して座り込んでいた。
「たはっ、駄目ね……」
脚元を見ながら呟く少女。銃声一つなかったから、いま撃たれたわけじゃない。となればその傷は、さっき玲那が負わせたものだろう。
「ダメですよっ、そんな傷で動いては!」
玲那は自分の軍服の袖を引きちぎって、その布切れで、少女の脚をきつく縛る。とりあえずありったけの力で締めたが、せいぜい非力な皇女の腕力、止血できたかどうかはわからない。
少女を背負うも、力及ばずに足を引きずる格好になる。
「なぜ、庇ってくれるのですか」
絶え絶えの息で、玲那は問う。
「玲那はあなたを突き飛ばして、銃口の前に差し出してしまいましたのに」
「そりゃ、戦い慣れてない女の子をひとり、こんなとこで、ほっとけないでしょ」
少女も息を切らしながら、そう返す。
「……あなたは、戦い慣れているのですか」
玲那の問いに、少女は首肯した。
「あたしは、
「そう……なのですね」
「ええ。だからヒグマやシカの相手なら日常よ」
「人に対しては、どうなのですか」
今度は、すぐには頷かない。
「それなり、には」
歯切れの悪い答えには、たぶん相応の理由があるのだろう。引きずりながらもそのままリヤカーに運び戻すと、よく見れば古傷らしきものがある。
「おいくつですか」
「12よ」
「……玲那と、おんなじ」
拳を握り締める。同い年ながら勇敢に戦う少女に照らして、絶賛敵前逃亡中の自分の身は一層みじめに思えた。
「まだ、敵の兵士がいるわ」
「動かないでください。あなたは怪我をしてるのですから」
「でも」
周囲を見渡す。ここは渓谷状をした丘陵地帯、切り立った崖がいくつかある。そこにひとつだけ登れそうな斜面を見つけた。
「……名前は何と言うのですか」
「
「
リヤカーに少女と機関銃を載せて、全力で牽く。ゆっくりと進まないが、どうにか斜面の中腹まで来ることができた。
「尾行されているわ」
「……わかっています」
ずっと、気配はしていた。何人かにつけられている。いいや、原隊へご案内していると言ったほうが正しいか。無視して登り切れば、正面には見知った顔があった。
「小隊、長……?」
想定以上にこの身は泥でぐちゃぐちゃになったらしい。おくれて伍長は、玲那だと認識した。ちょっとだけ口角を上げる。
「いいえ。闕杖官、ですよ」
「っ。どの口で」
「どの面下げて戻ってこられたのですか」
「……」
「血筋だけでふんぞり返って。敵前逃亡の果てに、のうのうと帰ってきて何を拾ってきたかと思いきや、手負いの先住民と来た」
下手な同情で小隊の抱える負傷者を増やして、と玲那を睨めつける。
「お飾りならそれらしく、引っ込んでいてくださいよッ!」
勢いをつけてその右手を広げ、後ろのほうを指し示す。飛行船から搬出したもののまだ整わない兵装に、四苦八苦する小隊が遠くに見えた。
「どれも、これもっ、あなたがわがままで積ませたガラクタばかり。要らないことばかりして、敵を前にしたら逃亡ですか」
それから玲那のリヤカーの荷台を指差す。
「あげくに、鈍重な役立たずの骨董品まで持ち込んで。戦場は、あんたらいい御身分どもの娯楽なんかじゃないんですよっ!」
「……でも、もう」
玲那は振り返る。
同時にひとつ、ふたつと藪の中から影が現れる。
「っ、遅かった!」
そう少女が舌を打つより早く、隠れていた敵が揃う。
「ぁ――」
憤りのあまり気づけなかった伍長は、ただ硬直する。三歩後ろの小銃を取りに背を向けるわけにもいかないし、遠く後方の小隊では間に合わない。
敵影は6つか。みな銃口をこちらに向けて、じりじりと距離を詰めてくる。すぐに玲那はリヤカーを旋回して、少女を降ろしつつ機関銃を構えた。
「お下がりください」
「はぁっ?」
伏せる玲那に、後ろから少女は正気を問う。
「こんなところで抗戦する気!?」
「はい」
「無理よ! だいたいあなたのその銃、固定式じゃない!」
重機関銃を指して叫ぶ少女を遮って、ロシア兵の声が通る。
『おい!』
仲間に呼びかけたみたいだ。
一人が銃口を下げると、他の兵士たちも銃を下げる。
『よく見たら、子どもだぜ』
『しかも、みんな女だ!』
にへら、と笑う兵士たち。背筋にぞわりと寒気が走る。玲那の後ろに伏せる少女も長槍を手繰り寄せた。
『待て。相手はガキだ、まず撃たせよう』
『そうか。それで、弾を込めている間に制圧ってわけだ』
撃鉄に指をかける。
『ああ。あとは煮るなり犯すなり、好きにしろ』
その下卑た笑いを、照星の先に捉える。
この手で人を撃つことに、もう恐れはない。
タァン!
引金を絞る。
弾丸は敵を貫けるわけもなく、明後日の方向に飛んでいく。
「あ……、ぁ……」
少女の絶望の声。
ダッ、と地を蹴る伍長の足。
至近距離で外れる銃弾。次の装填まで――いや、間に合うまい。
だから少女は終わりを悟ったのだろう。だから伍長は退こうとするのだろう。
『……は?』
拍子抜けしたのは、敵の兵士たちもらしい。
『ひ……ひひっ、こ、この距離で、外しやがった!』
『黄色人種どもは、まともな銃も持ってないのか!』
ひとしきり笑ってから、兵士たちは地面を蹴る。こちらに向かって銃すら構えず飛び込んだ。
『さあ、暴れんなよ――!』
すぅ、と玲那は息を吸う。
(従来の歩兵銃だと弾の装填には5秒から7秒もかかる。撃たせてから、強襲すれば勝てる。それがこの時代の常識……)
だから、あえて玲那はこの銃を単発で射撃した。後ろの少女も、伍長も、自動給弾と言ったところで理解してはくれないだろう。
この兵器が秘める、理不尽なまでの暴力を。
静かにレバーをカチリと、単發から連發へ切り替える。
先に撃った弾の空薬莢がチャリィン、地面にあたって音を奏でると同時に、バネ仕掛でスライドが押し戻され、次の弾を銃腔に装填した。
(
殺戮の悪魔と呼ばれた、この兵器の名は。
さぁ来い。
曇天を背に迫る兵士たち。
機構動作確認。
装填完了。
目標捕捉。
安全装置、解除。
「ご刮目ください」
玲那は微笑んだ。
「機関銃―――掃射」
撃鉄を押し込んで刹那、弾が吐き出される。
淀むことなく、弾倉をカラにするまで。
ズガガガガガッ!!!
世界に未知の音が響く。
交戦距離、銃口僅か10メートル。
射撃速度―――毎秒8発。
戦列歩兵と騎兵の織りなす華麗なる戦場を、血と肉の泥沼に沈めた悪魔。
物量攻勢、大量生産。戦争を総力戦へと変貌させ、果ては――大量消費社会へ続く革命を起こした、現代の原点。
その力を人は、『速射力』と呼んだ。
『な――?』
困惑の表情を浮かべたまま、兵士が爆散した。
襲いかかる強烈な反動を肩でどうにか押し殺しつつ、リヤカーを旋回させる。
『…な、な……?』
『何が起こっ――?』
その言葉は射撃音にかき消され、泥へと崩れ落ちる。
面制圧射撃。
命中精度の悪い銃弾が何十発も同時に襲い掛かれば、正面全てが玲那の射線と化す。
「きゃっ!?」
少女の肩に、撒き散らされた空薬莢が当たる。
それで初めて正面を見た少女は、目を見張る。
「ぁ――、な…っ―――」
伍長はゆっくりと後ずさり、ぺたんと地面に腰を下ろした。
「今の…な、なんだ――…?」
「銃弾がっ――連続し、て……!?」
始終を遠く見ていた小隊の空気も凍る。
カランカランカランッ、と淀みなく地面を打ち鳴らす空薬莢。
機関部が唸り終えたころには、敵影は跡形もなくなっていた。
ただそこには返り血まみれの御令嬢が佇んでいるだけで。
「な……に、これ……?」
立ち上がれば、血が滴り落ちる。
「機関銃、といいます」
伍長が声を震わせる。
「なんなんですか、その射撃……!」
「連射性能、毎分500発」
「ご、500っ!?」
言葉を一旦切って、彼女は唇を噛んだ。
「
ゆっくりと、言葉を絞り出す。
「そんなの――戦争が、ひっくり返ります」
そう零す彼女に、玲那は向かい立った。
「お好きなだけ憎んで、
遠く呆然とこちらを見つめる小隊へも、顔を上げて。
「玲那のしたことは、間違いなく敵前逃亡です。あとで軍法会議に突き出しても構いません。いえ――本来、そうあるべきです」
こつ、こつと軍靴の音を聴く。
「けれど。もう少し、憲兵に突き出すのは待っていただけません?」
遠くからだけれど着実に聞こえる。敵の一群が着実にここに迫っている。この集団さえ潰せば、続く敗残兵への威圧になりうる。
作戦の骨子が迫っているのだ。
「ですから――…」
佳境に差し掛かっているのは、今なんだ。
「上官命令。小隊は指揮系統に復帰せよ。これより本官が一切の指揮を執る」
「!?」
伍長は顔を大きくしかめた。
「言い訳としては最低の部類です。でも、殺らなきゃ殺られます。玲那たちだけではなく――今、『皇國』という国家自体が、間違いなく生死の境地に立たされているのですから」
傲慢不遜に向き直る。無責任で不誠実な命令、まさに悪役に相応しい。
「……ねぇ」
こちらを睨み上げる別海伍長を横目に、アイヌの少女が口を開く。
「あなた、天使?」
少し乱れたその銀髪をかき上げて、問うのだ。
「それとも、悪魔?」
少女の赤銅色の瞳に映るお嬢様は、血まみれだ。
悪魔に見えないこともない。下手な悪役よりよほど惨い。玲那が踏み出してしまったのは、乙女ゲームなけなしの優雅さすらも失った、泥と血だらけの道だ。
ゆえにもはや足掻くほかはない。この身に降りかかる運命の火の粉を振り払い、薙ぎ払って進むこと。ならば別に、なってしまっても構わない――、
「いいえ?」
玲那は毅然と言い放つ。
「『悪役令嬢』です」
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