第7話 制空権

「屯田兵制度とっても偉大です。泣きそう」


 一個大隊500名がせこせこと原野を開墾している。

 それに感嘆していると、閑院宮がため息で返す。


「当然だろう。この北海道開拓の礎なのだから」


 入植から五年が経ち、玲那は12歳になった。

 農業改革はつつがなく進行中である。乾田の導入により低湿地以外の開墾が可能になったため、農地面積は第三大隊の入植当初より十二倍に拡大し、北京計画の第一段階が達成された。まさか何も進むまいと考えていた中央は驚愕したらしく、閑院宮への皇族年金を拡大する形で予算が配当された。


「リヤカーの導入による開墾進度の劇的な改善は認める。が、屯田兵制下では開拓面積の増大自体は当然の結果だ。第一段階の達成自体には誰も驚いておらぬだろうよ」


 しかし、閑院宮はこう言う。


「一人あたりの収量の増加を要求している第二段階は、短期間での達成が非常に困難だ。中央はそれを見越しておる。予算の配当とて、追放を継続するための口実に過ぎぬ」


 髭の屯田兵長は立派な面持ちで後ろ向きなことをあげつらうので、玲那は脳筋になることにした。


「なら短期間で達成すればいいのです、その第二段階を」

「困難だって言ったよね?」


 明治29年の春。

 上川盆地を覆っていた雪は融けつつあり、今年もまた稲作が始まった。

 玲那は離宮という名の粗末な小屋を飛び出し、眼下の農地へ降りていく。


「っ、……軽い」


 少年が唖然としながらリヤカーを引っ張っていた。いまや省力輸送に貢献し、ネコ車と合わせて輸送革命を起こしている。2人がかりでモッコをえっさほいさ運ぶ列島標準の光景が、19世紀であるはずのこの辺境の地からは一掃されていた。


「本当に……開拓が速いですね」


 乾田が続々と造成された。従来の湿田のように随時水を溜める必要はないから、川沿いでなくてもよい。用水路と排水路に高低差があればそれで十分なのだ。それさえ考慮すればどこまでも広大に無神経に土地を拓ける。こうして曲がりくねった忠別の湿田帯の横に、高規格で直線的な耕地群が出現する。


「あ、あのっ。皇女さま」


 ふと、後ろから村娘に声をかけられた。


「川沿いに広げた従来の湿田はどうしましょう」

「有効活用したいですね。アブラナを植えるのはいかがでしょう?」

「アブラナ、ですか…?」


 村娘は小首をかしげる。


「アブラナから油を採った残りかすを油粕と言いまして。肥料としての栄養価は堆肥を遥かに上回るのです」


 油粕はその成分のほとんどを窒素が占めるため、糞尿を直用した堆肥などとは比較にならない良質な肥料なのである。明治農法で採用されたが、史実では普及が遅れた。


「アブラナは雑草としても有名ですもの、生育力と繁殖力は凄いはずです」

「なるほどです……! 白夜びゃくや、探してきますね!」


 彼女は駆け出していき、ふと途中で、先程の少年の肩を軽く突く。


「ごめんねリューリっ! 白夜びゃくや、お花探してくる!」


 そのまま風のように走り去っていく村娘。


「……探す?」


 少年はすこし困惑気味に、村娘の姿を見送る。いい幼馴染だ。玲那も早く同年代のお友達を作りたいなあと思いながら、畦道を降りていく。


「玲那くんっ!」


 呼び止められて振り返る。焦燥しきった様子の閑院宮がいた。


「なんなんだ、アレは!?」

「どうされたのですか」


 来た畦道を踵を返して登る。そこから見えたのは、田んぼに向かって、一斉に進み出る屯田兵たちだった。

 彼らひとりひとりの腰にはスカート状に、たこ足のような形をした器具が装着してある。その器具の上皿に種もみをたたえて、彼らはゆっくりと腰を落とした。


「あぁ……タコアシです」


 水面に刺さるたこ足は一本一本が管になっていて、その先が土に触れると上皿から種籾が落ちる構造になっている。その数は2段8列、一回で合計16個の種を植えることができる。その作業は地味といえど、目をみはるものがあった。


「玲那と有志の村民で作ってみたのです」


 下流に残る従来の湿田では多くの屯田兵が腰を折って一苗一苗と植えていく一方、眼前では、雄大な直線乾田を屯田兵たちのたった一歩で16粒も種が播かれていく。


湛水直播たんすいじかまき。これで、しんどい田植えともおさらばです」


 玲那の言葉をよそに、閑院宮は呆然と立ち尽くしている。


「たん……すい、じかまき?」

「従来までは内地流の水苗代という植え付け法でした。いわゆる田植えを必要とする稲作法です」

「……あぁ。田植えのない稲作など、ありえん」

「ですが、この北海道では低温下で苗腐病が出やすく、水苗代では栽培が安定しません。田植えも4月末からの1週間以内に終える必要があり、まだ寒冷なこの地では適期を逸しやすいのです。そこで考えられたのが、湛水直播でした」


 田んぼに水を張って、そこに種を播く。書いて字の通りだ。


「直播の播種適期は5月中下旬の2週間と長く、移植でみられる生育停滞もありません。また、田んぼに入れてある水が保温効果を持つので、寒冷地に向いています」

「な……」

「馬耕による代掻きで、雑草の種を表土から奥深くに埋めこめるので直播特有の雑草害を抑制することも可能です」


 田植えという、苗を移植する今までの方法は現在の技術では北海道に適さない。


「ただ、湛水……水を張ってるので倒伏害が起こりやすく、稲が倒れて収穫量や品質が低下しやすいですがね」


 このような倒伏や除草を考えるとばら撒くよりは整列で植えたほうがよい。しかし丁寧に植えるとなると広い水田では手作業が大変で、今まで直播は実行されなかった。たこ足は、この悩みを解決した画期的な農具だった。なにしろ一歩で16粒も、立ったまま播種できる。これは田植えの16倍の効率であることを意味する。


「湛水直播の導入によって、たとえ倒伏が増加して一反あたりの収穫量が7割に落ちようとも、一人あたり16倍の面積を栽培できるようになる。単純計算で、一人あたりの収量は11.2倍です」

「11.2倍、だと」


 土地の狭い内地では湛水直播によって起こる収量低下の欠点が見過ごせない。しかし、この北海道はその広大さをもってその欠点をカバーすることができる。そしてこの「タコアシ」が広大な面積への作付を可能にしたのだ。


「親王殿下。これが明治農法です」


 唸りながら馬鍬を牽いて、一匹の馬が閑院宮の前を通り過ぎていく。


「明治……農法」


 ここまで、大正時代に行われた農業革新である。北京計画の第二段階など、それを20年前倒しするだけの簡単な仕事だ。


「そして続くは――緑の革命」


 玲那は向かい側の台地へと視線を滑らせる。台地の上は白くて大きな楕円形が居座っていた。


「……気球か?」

「飛行船ですよ、親王殿下」

「同じようなものだろう」

「まさか。飛行船は操縦できるのですよ、これがどれほど画期的なことか」


 首を傾げる閑院宮。玲那は地平線の先を見据える。


「この広大な農地に、種を人力で植えるのは愚かしくないですか?」

「……まさか」

「飛行船による小麦種の散布」


 米国型大農法の導入。それは、ともすれば目指すべき終着点で。


「いっ、いや玲那くん。ばらまきは無理があろう!」


 除草作業の困難が目に見えておる、と苦言する閑院宮。それはその通りだ。しかし、除草剤さえ開発できれば話は変わってくる。今でこそ明治農法だが、それを戦後農法、そして緑の革命へと繋げていく。北京計画は、農業革命でもあるのだ。


「それに、陸軍にとっても都合のよい話でございます」

「……何だね?」

ことができる」


 ぽかん、と閑院宮は言葉を失った。


「清軍は……いいえ、ロシア軍とて。世界のどの軍隊も、空を制する兵器を持っておりません」

「玲那くん。君は、まさか」

「爆弾でも積めばよいのです」


 いつの日か。閑院宮に伏線を張った戦術爆撃機という言葉。

 決して冗談ではない。嘘でもない。玲那はずっと本気であった。

 日清戦争、そして日露戦争で、皇國は制空権を一方的に確保する。


「飛行船が軍事投入されたのは1911年。飛行機は第一次大戦からでした。けれど現に、親王殿下の屯田兵部隊は航空隊を手に入れてしまわれた」


 びゅう、と一陣の風が吹く。


「いまだ二次元の戦場に、航空支援の鉄槌を叩き込むのです」

「はは、まだ……19世紀だぞ」

「ええ。ゆえに最初の爆撃目標は――清王朝」


 これは、中世と近代の衝突だ。


「日清戦争、か」


 彼の言葉に、思わず言葉が止まる。


「一体……いつ始まるのだろうな」


 明治29年。1896年たる今年は史実では日清戦争が終結して一年が経つ頃だが、終戦どころか戦争が始まる気配すらなかった。

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