第4話 ようこそ上川離宮へ!

 お嬢様に面会です、とメイドに言われたのは少し前。大蔵官僚さまだと言う。父上や姉上(どちらも会ったことがない)とは離れて別邸で暮らす玲那には使用人もメイドと執事の2人しかおらず、代行の面会者を用意できない。


「……」


 それで直接相対した結果がこれである。胸元に光る枢密院徽章。逃げられるわけもないかと観念して、この正体不明の男へと答える。


「生憎、存じ上げませんわ」

「ほう?」


 相対するこの男は、しがない大蔵官僚を名乗りながらも、少なくとも史実を知る人間だ。それだけ『主人公』や明治の重鎮たちと近しい存在――枢密院徽章から察するに、玲那が、ゲーム内最大の敵となる悪役令嬢であることさえ知っているかもしれない。であれば、その正体が転生者であることは知られてはいけない。玲那は少なくともストーリー上では、『主人公』陣営にとって敵なのだから。


「お靴はお脱ぎになって結構ですのよ。お茶でもお出しいたしましょうか?」


 どこから湧いたか知れぬ衛兵たちを横目に、玲那は問い返した。別邸とはいえ土足で押し入られるほど有栖川宮家も弱っているらしい。


「メイド。この方々にお茶を」

「……はっ」


 唇を噛みしめてメイドは去る。衛兵全員分、これは譲れぬ最後のプライドだ。


「私は大蔵省の人間ですが、学修館の客員教授もしております。任期は短いですがね」

「さようでございますか」

「それで、です。『枢密院はいずれ、皇國に仇をなす』」


 頭の中で因果が繋がる。そういうことか、自分の失態を悟る。


「して、その真意を問いに来たというわけでございます」

「……」


 黙りこくる玲那を前に、大蔵官僚は訊ねる。


「殿下は、枢密院をご存知であせられますか」

「ええ。存じております。皇國枢密院、この国の新たなる権威ですね」


 枢密院。その本庁に二人の転生者が降り立ったのは、たった3年前の夏。まもなく転生者たる『主人公』と、そしてそれを知る政府重鎮たちは歴史を動かし始めた。


「権威……と、仰いますか」

「ええ。藩閥政治が突然に終焉したと思えば、薩長の枠を超えて組織された国政の指導機関。二年前は、民草の誰もが訝しんでおりましたもの」


 そんな彼らの拠点こそ枢密院。その有様は、帝都に君臨する歴史介入機関と言ってもいいかもしれない。今や人々はこう呼ぶ――維新の英傑の奥座敷、『英雄機関』と。


「二年間で、よく市井しせいの信頼を築いたものです」


 口ではそう言ってみる。

 強い違和感を嚙み殺して、感嘆してみせるのだ。


「……そうですね。確かに、皇國枢密院は強力な権限を掌握しております」


 歴史を知っている彼らは、そのアドバンテージを活かしてこの国の様々な場所に介入した。その目的は皇國の繁栄か、はたまた彼ら自身の利益のためか。それは見えないながらも、史実と比べて若干だが確かに皇國の国力は上昇している。


「ですが、それは確かな実績に裏打ちされたものであることを忘れてはなりません。成果を出したのは内政のみならず、対外戦略においてもです」

「と、仰せませば?」

「例えば、『北洋開拓団』は一定の成功を収めつつありましょう」


 玲那はやっと息をつく。


「本当に……そうでございましょうか」

「?」


 壁に貼られた世界地図に目を遣った。


「北洋開拓団。果たして勝算のある博打でしょうか」


 北海道より宗谷海峡を隔てて向こう側。面積7万平方km――北海道より一回り小さい、氷雪に閉ざされた極寒の島。


「そうですか? 良い布石だと思いますが」


 16年前に交換条約によって失った、列島の最北端。

 名を、樺太という。


「殿下。移住の担い手は急進主義者や旧藩閥など、反体制派です。ロシアの緩慢な統治下で、皇國の干渉を受けることなく四苦八苦しながらも自給自足、彼らなりの自治領が出来上がりつつあります」


 大蔵官僚はそう言う。


「北洋開拓団は本年5万を超えました。対するロシア帝国はシベリア鉄道の建設に流刑者を取られ、これ以上の移民を送れません。交換条約で確立したロシアの統治権は尊重しながらも、民族構成は覆りつつあります――旧領回復の大いなる布石となり得ましょう?」


 こくりと玲那は頷く。それ自体は否定しない。


「ええ。クリミア戦争で英仏軍に大敗を喫したロシアは産業革命の只中にあるものの、巨大な社会不安が燻っています。ゆえに今の時期に戦争は望んでおりません」

「仰せの通りです、殿下」

「併合にでも動かぬ限り、あのような辺境のパワーバランスが多少変わろうとも動かない。『北洋開拓団』の送り込みは、そこを狙った高度な布石でございましょうか」


 人々は、枢密院をこんな風に称賛するのだろうか。


「そこが……」

「枢密院の突いたロシアの弱点、ですね」


 大蔵官僚は笑った。


「いいえ?」


 微笑って柔に返しつつ、されどはっきり首を振る。


「正しくは―― 。」


 彼の表情から笑みが消えていく。


「認識を誤ってはいないでしょうか」


 玲那は確信していた。


「未だ近代化20年強、極東の辺境にある有色人種の小さな島国。そんな皇國を、世界に蔓延る帝国主義の下、果たしてロシアはどう捉えます?」

「というと?」

「ロシア帝国は『戦争』のつもりで来るのでしょうか?」

「……来なければ?」

「帝国が皇國との戦争を大規模だと思わなければ、容易く戦争へ突入する」


 20年前に中央アジアで起きたことと同じく、蛮族征伐の構えで南進してもおかしくない。


「言い切れるのですか、お嬢様?」

「ならば逆に質問させていただきましょう」


 玲那は、大蔵官僚の瞳の奥をのぞき込む。


「枢密院は、受け入れることができますか?」


 風が凪ぐ。


「……何を」

「ロシアの最後通牒が来たとき、枢密院は素直に退けますか?」

「……」

「あの帝国が有色人種の辺境国相手に退くとは思えません。予期されるロシアの要求は、良くて移民中止……悪ければ、移民の完全撤退。それを、枢密院は呑めましょうか」


 天を仰いで、大蔵官僚は呟く。


「――無理でしょうな」


 藩閥政治という枠組みを突然に廃して、この二年間で急速に築き上げた権力体制。そんな突貫工事の政治的土台は、『維新の英傑』という精神的支柱に支えられているだけの、脆く危なっかしいものだ。

 皇國枢密院とは言うが、その実は現代知識を共有する少数の者だけの政治同盟。その外側には藩閥政治時代の権力から排除された無数の敵対分子がいる。


「枢密院は、自分の過ちを認めるには……敵を作りすぎています」


 『維新の英傑』の威光は、現状は敵対分子を黙らせている。それはここ二年間の枢密院の政策が成功しているからだ。ロシアの最後通牒を呑むという大失態に追い込まれてしまえば、皇國枢密院は支持を失いかねない。そうなれば、旧藩閥勢力に権力を奪回されて、現代知識を持つ者たちが国政に復帰するのは絶望的となる。

 それは彼らにとって絶対に避けねばならないことだ。


「皇國枢密院は、失敗を無理やり『成功』に塗り替える――つまり国境紛争の勝利――そんな藁に縋るしかありません」


 立ち上がって、玲那は壁に貼られた世界地図の傍に立つ。


「その果てに、何一つ準備出来ていない状態で、かの超大国相手に、絶望的な戦争の戦端を開く羽目になり……」


 地図の端の列島。

 そこに、小さな手を添えて言った。


「皇國は、死に至る。」






「……宮家ともあらば、子女の教育はこれほどなのですか」


 大蔵官僚は目を伏せて、言葉を継ぐ。


「つまり皇女殿下におかれては、皇國の余命はどう足掻いても長くない、と?」


 玲那は首を振る。


「とは限りません。これはあくまで全面戦争になったときの結末です。枢密院に樺太を捨てて下野する覚悟があれば、皇國は生き長らえるでしょう」


 大蔵官僚は立ち上がり、窓に向かって歩み出した。


「質問が悪かったですね。国境紛争において、皇國の『敗北』は避けられないと?」


 その問いに、少しばかり口角が上げる。


「逆に、皇國が勝利したとならばどうなりましょう?」

「ほう……」


 ばっ、と大蔵官僚が振り返る。窓から差し込む光に、彼の顔が翳る。そうなって初めて感じた既視感は何だろうか、その顔形は、どこか教科書で見たことがあるような――あぁ、松方正義か。


「有栖川宮玲那内親王殿下。齢は、おいくつでしたかな」

「6歳です」


 国立銀行を設立し、金本位制を確立した伝説的な財政家――松方正義であろう男は興味深そうに、しげしげと玲那を見探る。かと思えば、今度はニヤァと笑った。ロリコンか?


「お嬢ちゃん。なんでも好きなもの買ってあげるからおじちゃんと」

「ブザー鳴らしますわよ」

「……というのは冗談でございます。けれどもしひとつ、何でも手に入るのだとしたら。殿下は何をご所望されますか?」


 玲那は顔をしかめる。一番嫌なタイプの試問が来た。思惑を探るのも面倒なので、正直に答えることにする。


「おかね」

「……皇女さまとは思えぬお答えですね」


 松方は肩を竦める。


「何に使うおつもりか、伺ってよろしいですか」


 まぁそれが知りたいでしょうよ。はぐらかしは意味がなかったか。


「これです」


 玲那はこのあたりで仕入れた一枚の新聞紙を取り出した。ロシアの片田舎の地方紙の端くれに載っていたのは、小さなだった。


「『詐欺師、空を飛びたがる』……こう書いてあるらしいですが、きっとこれ、ものすごい発明ですよ」

「飛行、船……ですと。いや、しかし失敗だと書いてあるように見えますが」

「今の段階では、ですね」


 この兵器は世界大戦への布石となる。相手はたいへんな無礼者だが大蔵省の主。宮家のプライドよりも玲那の破滅回避が優先だ。靴を舐めることになろうとも、このコネクションを使わない手はない。


「皇國に呼べません?」

「……は?」

「開発者のユダヤ人です。向こうではいま詐欺師だと迫害されてるみたいですが……こちらのほうがロシアの片田舎よりは揃っていましょう。工廠もありますし」


 飛行船。兵器。この二つの言葉の並列に、何を感づいたか、彼は目を見張る。


「殿下……、何をなさるおつもりですか」


 含みを持たせて首を傾げる玲那に、食い気味に問う松方正義。

 けれどあえて、今はまだ答えまい。玲那は無邪気に笑う。


「空を飛んでみたくはありません?」

「かなわんな」


 松方は、深く息をついた。


「学修館の職員として、殿下に伝えることがございます」

「……と、いうと?」


 玲那が振り向けば、彼は笑った。


「殿下。学修館の入学試験は合格です」


 玲那も笑い返す、あくまで謙遜気味に。


「合格に値することは、何もしておりませんよ」

「なぜですか」

「受験者は原則全入でしょう?」


 平民ですら誰もが知っている。華族学修館の入試は、華族ならば落とされることのない出来レースだ。


「いいえ?」


 しかしなんと、松方は首を横に振ったのである。


「それは初等部の入学審査の話ですよ」

「はい?」


 玲那は困惑する。


「ですから、玲那が受けたのは、まさにその」

「殿下が受けられたのは、中等部の編入試験です」


 言葉を失った。


「え?」

「国算理社4科目。未就学児に解かせるわけがないでしょう、あれは一般的な12歳をふるいにかける試験です。平民も受験可能で、平民は落第しうるのです」


 どうやら、中等部の編入試験を解かされていたらしい。処理が追い付かない。玲那は問題を取り違えた……ってこと?


「おめでとうございます。殿下は学修館中等部に合格されました」

「……か、通えと?」

「中等部の入学条件は満12歳であることです。申し訳ございませんが、今すぐというわけには……」


 疑問符が増える。ならどうしろと。


「もしや……12歳まで、待てと?」

「そういうことになりますね」


 彼は鞄から『入学者名簿』と題された台帳を取り出し、空白を6ページも捲った。6年も先のことである明治30年度合格者の欄を開いて、おもむろに彼は万年筆を執る。唖然とする玲那をよそに、そこへ有栖川宮玲那の名を書き込んだのだ。


「ともかく、合格おめでとうございます」


 そう言って、松方から渡されたのは一枚の切符だった。


「飛行船の件は取り計らいましょう。6年後、帝都にてお待ちしております。どうぞ、よい旅を」


 一枚重ねの片道券。青森経由、小樽行き。

 衛兵の構えた銃口を前に、玲那はぽかんと口を開けた。


「——は?」






 ・・・・・・

 ・・・・

 ・・






 眼下に広がるは未開の原野。

 氷雪が、視界の限りを一面に覆っている。


(???)


 なぜか氷点下20度の中に立たされていた。


「ひっ、くしゅ……!」


 往路の馬車は片道切符。帝都に戻る方途なし。

 ここは地の果て――北海道庁・忠別チュプペッ


 翌年、旭川の名を頂くこととなるこの地の人口は、わずか13名。


「あはははは」


 から笑いしか出ない。なんだよ、ここ。




「ようこそ上川離宮かみかわりきゅうへ。玲那れいなくん」


 青年が立っていた。


「とはいっても、予もここに来たばかりなのだけどな」


 立派な髭を一撫でして、彼は続ける。


「予は閑院宮家かんいんのみやけ第6代当主、閑院宮載仁かんいんのみやことひと。屯田兵第三大隊のおさたる陸軍中尉だ」

「ええ、存じ上げております。よくよく、覚えておりましてよ」

「あぁ。予も、二度と会うことはないと思っていた。正直、もう会いたくなかった」


 そう抜かす閑院宮に、玲那は最大限のエールを贈る。


「屯田兵第三大隊大隊長への栄進おめでとうございますわ!」

「叩き潰すぞメスガキ」


 中尉にして、屯田兵とはいえ大隊長の拝命。外から見たら栄進だというのに酷いことを言う。


「どう見たって左遷だ、いや追放とさえ言っていいかも知れぬ。予も、君も」


 閑院宮は転生に立ち会った当事者だ。事情の大体を把握している。そして彼の言う通りおそらくこれは追放だ。


「……北京ほくきょう


 彼は言う。


「この神楽岡に離宮を開いて、京、東京に次ぐ第三の都を置くんだと」


 北海道の中央に位置して、北方鎮守の要にあるこの上川盆地に都を開く――史実でも、明治時代に検討された話だ。しかし真剣に取り合われることはなく、権力闘争の口実に散々使われた末に放棄されたという。


「あぁ。予も思うところはある。なんで予がそんなバカげた計画に!」

「玲那だって同じです!」


 明治24年(1891)年4月。

 果たして、悪役令嬢は華族学修館への入学に失敗した。

 初等部で構築する御令嬢がたとの人間関係は、のちのち主人公と相対するときに武器となる――はずだった。それがどうしてか、学校ひとつない未開の原野にて初等部時代を過ごすことになりそうで。

 これがゲームストーリーのクラッシュを意味するのかはわからない。けれどひとつだけ言えることがある。


「「どーして、こーなったァァアッ!!!」」


 悪役令嬢による歴史への壮大な悪あがきは、この北の大地に始まった――と。

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