第2話 機動戦
第一段階 開拓
上川離宮の造営
農地の開墾・・・現状の十倍
第二段階 穀倉地帯の建設
収量の増大・・・五倍以上
人口の増加・・・5000名以上
第三段階 軍事的注力
北海鎮台(仮称)の本営開設
各種工廠の建設
第四段階 鉱工業の強化
鉱工業と鉄道の誘致
各種学校の整備
最終段階
市制の施行・・・人口5万以上
――――――――――
明治25(1892)年4月
「ぐぉぉお…ぉ、なぜ予たる者が、こんな目にぃ……!」
腰をさすって閑院宮が呻く。
宮様の両手にはクワが一本。膝まで半分泥に浸かって、なんと不憫なことか。でも頑張ってほしい、北京計画のまだ第一段階だ。
「やっぱりきついですよね」
「あぁきついとも。玲那くんも休んでいないで働きなさい」
「7歳なので疲れてしまいました」
「……」
「てかまだ使われてるんですね、備中鍬」
江戸時代から農業の主役が交代していない件。
「江戸農法に従ってクワを振り回す単純労働って……、文明開化からもう30年経っていますよね?」
で、旧開拓使はこの農法そのままで北海道を合衆国式に開拓しようとしたわけだ。
うん、そりゃ開拓遅れますよ。数ヘクタールも田植踊りなんてやってられようか。
「はぁ……。」
鬱蒼と溜息をつく。前世のおかげで北海道の開拓鉄道に関連して農業史の知識があったはいいが、この時代、想像以上に農業技術が遅れている。とりあえず江戸農法からの脱却、明治農法の導入を急がねばならない。
「殿下、殿下」
「なんだ」
「やっぱりその湿田、使うのやめません?」
玲那はひとつ提案をしてみる。
「そろそろ陸上で作業しましょうよ。どうして律儀に腰まで水に浸かって田植えしなければいけないのです」
「と言われても、稲を育てるとはこういうことだ」
わかってないな、とやれやれ顔の彼を手で招き寄せる。玲那は一枚の紙を用意した。
「皇國、いえコメを主食とする世界では現在、確かに、ここのような低湿地に田んぼを開いていつも水を張っておく『湿田』が一般的です」
しかしこの通り、湿田は効率も衛生環境も悪い。
「……水を抜け、とでもいうのか?」
「おっしゃる通りでございます」
手元の紙に玲那は簡単な図を描く。
┌→排水路→
家↑田↑田↑田
→→用水路→→
田↓田↓田↓田
└→排水路→
「これが、田んぼの陸上化……『乾田』です」
従来の湿田に対して、用水路の仕切り板一枚で水量調節が出来るようになる。耕起や収穫のときに水を抜くことができるのだ。
「いや、まぁ確かに理論上は」
「これだけではございません。馬っていましたよね?」
馬小屋裏に回る。ここ数日そのへんに転がっていた材木を使って作ってみた馬鍬が――そこには横たわっているわけだ。
「なんだそれは」
「まぁご覧下さいませ。そこの荒れ地を乾田に見立てて、今から耕しましょう」
それを馬と接続した。さらば、クワで土をぶん殴る江戸時代の近世農法よ。時代は明治農法――乾田馬耕である。馬の一引きで6列耕せるようにした「馬鍬」を、玲那は作り上げたのだった。
「あアあアあアあアあアあア」
馬鍬を地面に押さえつけつつ、馬に引かせた振動に任せ声を適当に震わせる。扇風機を前にした小学生だ。
「なッ!?」
絶句する閑院宮。
(いやほんとうに楽ですこと、感動……)
脳内で涙を吐きつつ馬耕する。馬に鍬を引かせるだけなど誰でもできることなのに、これだけでも十分農業革命だという事実に感涙だ。
『乾田馬耕』
以前は湿地にしか開けなかった田んぼを乾燥地に開き、馬が田に入れるようにし、馬に耕耘器を牽かせて一列一気に耕す。明治末期に確立され、従来の人海戦術を一掃した革命的手段だった。
「なぜこれを今まで思いつかなかったのでしょう先祖様は。戦国時代じゃ馬なんてそこらじゅうにいたでしょうに」
発想なくして千年以上ずっと
「ま、待てっ」
「待ちませんとも。膝まで浸かるのがお好きな殿下よりずっと早く、耕し終えてしまいますよぉぉ」
「わかった。あぁ、乾田への移行の必要性は十二分に!」
その言葉に満足げに頷いた玲那だが、閑院宮の顔つきは険しいままだった。
「……だが、それを遂行するだけの労働力はどうする」
「?」
「玲那くんの説明通りなら、用水路や排水路の整備が必要だ。湿田なら低湿地に開けば済む話だが、乾田は水回りの建設が新たにのしかかる」
「確かに」
「建設機材や土砂の運搬が絶望的だ。道路などほぼ整備されておらんから、大八車すら使えるか怪しい……」
「げ、大八車」
玲那は顔をしかめる。
大八車など、江戸時代の遺物。しかしそれがまだ平然と世にのさばっているのだ。
「加速が重いし、振動が激しいから積載物は限られます。列挙すればきりがない」
「よくわかっておるではないか」
ここには予と君、そして屯田兵500名しかおらんのだぞと彼は言う。
「そうですね。自転車ってありますか?」
「は?」
「先日頼んだではありませんか。廃品自転車をありったけくださるって」
「言っておくが、自転車には何百キロという重量は積めぬぞ」
当たり前だ。明治時代の自転車は皆さんご存知、ハイカラクソデカ前輪である。どこに荷物を積もうってんだ。
「わかっております。そこまで玲那は脳筋じゃありません」
ならなぜ、と怪訝そうな顔ながらも、閑院宮は玲那を資材置き場に案内する。
「10年前に華族の間で流行った自転車ブームも今や下火だ。それに近年では欧州で新型の安全自転車とやらが出たらしくてな、従来型の前輪の大きな、バランスの悪い自転車が廃棄ラッシュだ。集めるのに苦労はなかったが……」
今更遅れて自転車に乗ろうとする貧乏宮家だと馬鹿にはされたがな、と閑院宮は嘆いた。お気の毒に。いや、集めさせたのは玲那なんだけどね。
「で、自転車がどう関係するというんだ」
屯田兵の工務部から取り寄せた工具を拾い上げ、悪役令嬢は腕を捲る。
「玲那、いまから図工やります。手伝ってください」
「えぇ……」
さて、自転車は
工具をトンカンやってフレームと軸機を自転車から取り外す。
鋼管を加熱機で熱し折り曲げて、牽引用の梶棒部まで荷台のフレーム全体を組み上げていく。大八車と同様の容量にするため、それなりに大きく、だ。
底にトタン板を嵌め込み、両輪はボールベアリングで左右独立した支持を保たせる。
両輪の間に荷台床が落とし込まれる形になるように、空気入りゴム外輪の車輪を接続する。
「これで重心が下がる、な。」
大八車より遥かに下がることで、安定度が大幅に上昇する。
あとは鋼管の整形と枠組みの工程。試行錯誤を延々と数時間。
華族学園に左遷されるはずだった不遇なる12番目の宮様と、華族学園に行くはずだった10番目の宮家の皇女は、なぜか極北の大地にて金槌を振り下ろす。
あれ?
いまゲームより悲惨じゃね?
「でーきたぁぁっ!」
翌昼、完成。
「で、これはなんだ」
閑院宮は、初めて見るそれに当惑する。
「リヤカー、と言います」
「……大八車みたいだな」
「似ても似つきませんよ。まぁ曳いてみてくださいまし」
史実、大正10年に開発され、輸送手段を従来の大八車から一気に刷新した代物。戦後のオート三輪の普及まで40年に渡って第一線を走り、21世紀に入ってなお軽車両として牽引され続ける荷車である。
「な、なら曳かせてもらうが……」
「あ。ちょっと待ってください。荷台一杯にします」
「は?」
玲那は、余った鋼鉄の残骸へ手を伸ばす。
「嘘だろ。そんな重いもの、大八車でも運べんぞ」
「全部積んでください」
「おい」
それからついでにそのへんの土嚢を片っ端から荷台に突っ込む。
「オイオイオイ」
「死ぬぞアイツ、ってとこですか」
「死なせるつもりか、予を。いや本当に」
20分かけて積み込んだ。全部合わせて200kgといったとこか。
「知ってるか玲那くん。大八車の最大積載量は30貫、つまりは100kgだ。それも人じゃなく、牛が二匹がかりで曳くものだ。それを、君は、予に曳かせようとしている」
「はい」
「玲那くん。じつは、予は牛ではない」
閑院宮家の当主様が真顔でそんなことを言うので、玲那は笑ってしまう。
「とりあえず曳いてみましょう。無理なら無理って言ってください」
「わかったぞ。さては玲那くん、馬鹿だな。近年稀にみる馬鹿だ」
「腰抜け大隊長。屯田兵の長たる宮様のくせに」
「ッ……!」
渋々と彼は進み出て、鋼管の梶棒をくぐってどうにか持つ。
「牽くからな…っ!」
「いやそんな力まなくても大丈夫ですよ」
「っ……んっ!…――な?」
最初から全力で全身を使って牽引しようとした閑院宮は、あまりに簡単に前に進んだリヤカーに対応できず、勢い余って前のめりに倒れ込んでしまう。
「大丈夫ですか!?」
「……、…!?」
閑院宮は動揺する。
「ご感想は」
「魔術か?」
「魔法があったらいいですよね。土系魔術でこんな原野、ドーンでございます」
「信じられぬ……」
その様子に少し笑って、玲那はリヤカーに手を置く。
「これが鋼管の力です」
「……な、然し、ここまでの軽さとは」
「堅重な木材よりも、遥かに簡潔な構造なので軽い。また、長い車軸がないため車輪の中心より低位置に荷台床を配置できるから、重心が低くなって安定するし、旋回も自由になる。積載可能量も爆増します」
「っ!」
「更に、車輪が外せるので破損時には予備輪で取替も可能でございます。これが何を意味するでしょう?」
その立派な髭に手を添えて考える閑院宮だが、すぐにびくりと目を見開く。
「即応的な修理……。もしかして、まさか、戦場に持ち込むつもりか」
「修理に職人が要りませんから。兵站に負荷をかけない輸送手段です」
これの量産と、屯田兵への配備が意味するところは、建設力の大幅な向上に留まらない。
「マキシム銃器会社の広告を先日見せましたよね」
「……あぁ。例の新興の会社か」
「玲那は、マキシム重機関銃を日清戦争に投入するつもりです」
その言葉に、閑院宮は息を吞む。
「マキシム機関銃……。確か、『
「ええ。非常に優秀な自動給弾装置です。他の連射方式より信頼性がずっと高い」
史実、日露戦争で帝国陸軍が採用したホチキス社の保式機関砲はガス圧駆動式で、練度によってガス操作が左右されたり、戦場での弾詰まりが頻繁に発生したりと扱いに苦労したようだ。
対して、銃の反動を利用して排莢と給弾を同時に行うショートリコイルと呼ばれるこの方式はマキシム機関銃特有のものであり、機関銃は大事なときに動かないという当時の戦場での常識を覆したのだ。
二度の大戦を経て、各国は競って本方式を採用、現代の機関銃へ系譜が伸びる。
「しかし、
「……というと?」
「作動方式が銃身を機関部に固定できない構造になるから、命中精度で他方式に劣るし、銃身に大きな衝撃を加えると故障や暴発の原因となります」
玲那はそのまま言葉を継ぐ。
「そして、最大の欠点は水冷式であることです。空冷じゃ間に合わないほど加熱するんです。このため、総重量が死ぬほど重い。水タンクと合わせて50kgに達します」
「しかも、水タンクを撃ち抜かれたら一巻の終わりか」
そういうわけで
「となれば、重すぎて戦闘中に運んで回れないのだ……防衛戦で、敵の突撃を迎え撃つときにのみ強烈な効果を発揮することになるな」
待て。そう言うと、閑院宮は玲那に指を向ける。
「日清戦争は、皇國が進攻する側だ。史実も清朝は防衛しては後退を繰り返している。マキシム機関銃は活躍しにくいのではないか?」
にやりと悪役令嬢は笑った。
「その御指摘を、待っておりました」
そのしなやかな指先を、そのままリヤカーへと運ぶ。
「衝撃に弱い、そして重い。その二つを補う武器が、ありますね?」
「――!」
閑院宮の顔色が変わる。
「玲那くん……君は、まさか」
「機関銃本体、機関銃手1人、給弾ベルトと弾薬。すべてを満載してなお200kg。これが人間一人で曳けるのなら、軍馬なら時速何キロで馳せましょうか?」
口径6.5mm、連射速度毎分500発。
給弾はベルト状で、240発を列包。弾倉型より生産しやすく、量を揃えやすい。
「歩兵攻勢に随伴できる機動力です。一斉突撃の時さえも、敵の射程外から一方的に弾幕を叩き込むことができる」
宮様の手は戦慄く。
「待て……待て。さすれば、機関銃を持たぬ清軍など」
「そう。歩兵決戦にて皇國陸軍を打ち破ることなど到底不可能。」
なにせ、給弾ベルトの余る限り、絶対的な弾幕を張りながら歩兵部隊が進軍することが出来るようになるのだ。
「野戦砲でさえ、圧倒的な機動力を誇る騎兵に牽引されて動き回る少数のリヤカーを補足、ピンポイントで撃ち抜くことは難しい。」
機関銃を制する機関銃がない限り、このリヤカー牽引重機関銃という絶壁の前には、一方的に肉片を積み上げていくことしか出来ない。
「ドクトリンが、覆るぞ」
恐々と閑院宮は呟く。
「殿下の大隊にはこれを配備して頂きたく」
「予に、死神になれと?」
呆然としているところ悪いが、彼には戦果を挙げてもらわねばならない。
「連射速度毎分500発は、圧倒的です。殿下の屯田兵大隊は、攻撃力において、もはや皇國の他のどの部隊の追随をも許しません」
「……そんな暴力的な力を、どうしろと」
「宮家の末席、でしたっけ。戦功と戦績で、他の宮家どもを黙らせるんです」
宮廷政争?
10番目と12番目?
そんなもの、
「殿下。日清戦争で戦功勲章を各種フルコンプしてください」
「はは……、この
閑院宮はもはや不憫ではない。
世界最先端の攻撃力を手に入れた。
この時点で閑院宮の部隊に対抗できるのは、機関銃を有する大英陸軍、プロイセン陸軍、合衆国陸軍、フランス陸軍の4軍隊しか地上に存在しない。
もはや、陸戦の趨勢は決まったようなものだ。
「――さぁ、陸上の覇者の誕生です。」
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