第一章 極北の宮廷

第1話 ようこそ上川離宮へ!

「親王さま!」


 満面の笑顔で駆け寄る玲那を、閑院宮はうなだれた目で迎える。


「……こんどは何だね、玲那くん」

「これを実用化してほしいのです!」


 玲那の手にあったのは、マキシム銃器会社の広告であった。


「毎度だが、そんなものどこから拾ってくるのだ……」

「帝都で集めて参りました!」


 上川移宮ついほうの話を知らされたのは直前のことだった。2日後に出発の北海道への片道切符を渡された玲那は、メイドに駄々を捏ねて帝都じゅうを駆けずり回り、必要な資料と情報を手に入れた。


 突きつけられた悪役令嬢という運命。玲那に何ができるだろう。

 上川宮廷に追放されたとはいえ、中央に残った『主人公』たちはそれきり何も手は出してこない。出せないのだろう。なにせこの身は皇族だ。

 このまま無害を演じ続けて『主人公』たちと関わらなくて済むのなら楽だけれど、そう甘くはないだろう。様々な策略を巡らして生き残らねばならない。


 その上で、最大の懸念を挙げるとすれば「ゲームストーリー」の存在だ。

 イケメン青年士官たちの攻略の進捗次第で戦争に負けることがある。つまり、ゲームストーリーが絡めば、どんな理屈も捻じ曲がって、ゲームの用意した「エンド」へと行きつく可能性がある――玲那の手ではどうしようもない理不尽が存在するのだ。

 ともすれば、玲那の手次第でなんとかなる『主人公』を相手にするより厄介だ。対策すべきをゲームストーリーに見定めて、玲那は頭を捻った。


 この世界にふたつだけ持ち込めた武器は、教科書とスマホ。教科書は、前世でゲーム攻略のために用いた。そのおかげで近代史にはとても詳しくなった。歴史の知識という点では気後れしない。問題はスマホだ。

 電波もなければ充電もない――猶予がないことを悟った玲那は、死ぬ気で乙女ゲームをこなした。充電の許す限りルートを解き明かした。その結果、とんでもないことが判明したのだ。


 現在は1891年、玲那こと有栖川宮玲那は7歳。時系列はプロローグのシーン。


 玲那が通うことになる華族学修館は、初等部6年、中等部5年、高等部3年という旧制の学校制度に基づいたものになっていて、ゲームストーリーが本格的に動き出すのは高等部からになる。

 メインパートへ突入する高等部への進級は1902年4月。ここから主人公の編入とともに学園を舞台に日夜、攻略対象たちを巡る争いが始まる。涙あり笑いありイジメあり婚約破棄ありのめくるめく有栖川宮玲那の学園生活は、3年間のロングストーリーを経て様々なルートへ分岐する。1905年3月の卒業を以てそれらは一旦ゲームエンドという形へ収束するものの、各々にアフターストリーが用意されている。


 "それに悪役ライバルは破滅しない。和解ルートのほうがずっと人気なの"


 前世で聞かされた乙女ゲーイメージ歪曲論が脳裏をよぎる。

 確かにあのゲームはその通りだった、というのはいくらか救済ルートが用意されていた。けれど。



(ゲームエンドじゃ――終わらないのです!)



 それは最大の誤算だった。


 主人公と和解するルート。玲那は今までの意地悪を詫びて改心する。悪事のツケは皇太子との婚約破棄、そして皇籍離脱という形で回ってくる。玲那は臣籍降下することとなるが、主人公と築いた新たな絆を支えに前を向く。多くのプレイヤーに人気の理想的なシチュエーションらしい。

 しかし、問題はアフターストリーだ。「あれから40年」という題目で、幸せに過ごす主人公とともに――改心して国の中枢で活躍する玲那の姿が描かれている。女性初の帝国宰相に咲いた玲那は、身分を顧みず自分を変えてくれた主人公に感謝する。そんなハッピーストーリー。だが、そこに巨大な落とし穴がある。


「ゲームエンドは1905年。それから40年って……1905タス40、1945年」


 このアフターストリーは1945年3月の話。

 教科書いわく東京大空襲、硫黄島玉砕、沖縄戦。

 そんな時期にこの国の首班をしていたらどうなるか。


「極東国際軍事裁判モノですよ!!」


 公職追放。戦犯訴追。下手したら巣鴨で絞首刑だ。

 ゲームに用意されているどの破滅エンドよりなお悪い。処刑なんてエンド、本家にすらなかったのに。


 当然玲那はそれ以外のアフターストリーやルートを探した。けれど玲那が幸せになるルートはどれも表舞台に出るエンド。あるあるスローライフエンドがなかなか出てこない。主人公にはあるのに。

 悪戦苦闘しているうちについにスマホの充電が切れて、使い物にならなくなった。ここに進退窮まれり。主人公との和解ルートはもはや、玲那の知る限り――「アフターストリー:あれから40年」のみ。


(何が"救済エンド"なのですかああああ!!)


 せっかく見つけた和解ルートは、ゲームなら救済なのだろう。そこだけ切り取って描けばよいし何年後でも良くて、たまたま40年後なのだろう。けれど、こうして生きている玲那にとってはアフターストリーの先がある。敗戦という運命が。


「歴史へ介入しなければ……ならないのですか」


 玲那に用意された運命は救済か破滅。けれどその救済が実質的な破滅を意味するならば、やるしかあるまい。

 1945年の破滅の回避。


「つまり――世界大戦の回避ないしは勝利」


 保身のために玲那はどうやら、この島国を救わなければならないらしかった。






「やはり……歴史を改変するつもりなのかね」


 黙って聞いていた閑院宮が、そう呟く。


「天の運命さだめに刃向かう所業だぞ。予は決してやろうと思わぬが……」

「けれど親王殿下。こうして追放された以上、歴史はすでに歪んでおりますわ」

「……っ」


 上川宮廷など、史実には存在しなかったのだから。


「帝都にすら戻れないのです。玲那たちの退路は、とうに断たれているのですよ」


 ならば足掻くほかないだろう。

 玲那はくるりと一回転。スカーフを靡かせて、机上に地図を広げた。



「というわけで。いたいけな恋する乙女、わたくし有栖川宮玲那を取り巻く世界を紹介するわ!」



 時は19世紀。文明華やぐ世界の中心、ヨーロッパの真反対。地図の端くれ、極東の辺境に小さな島国が浮かんでいた――『皇國』というその新興国は、たった30年前に開国し、20年前に封建制を捨てたばかりの途上国。近代化のすべてをヨーロッパの諸大国に頼る、弱小赤字国家である。


「現状を確認しますと、帝都には転生者たる主人公、そしてそれを知る伊藤博文はじめとした明治重鎮が複数。現在、彼らが歴史改変を試みているように見えます」

「歴史改変、だと」

「親王殿下はご存じでしょう。いま、この国の名前は皇國です」

「……どういうことだ」

「史実と異なり、帝国ではないのです」


 2年前、この国始まって初めての憲法が発布された。

 皇國憲法。現代知識を基に史実に比して再編されており、軍部の権限の縮小、基本的人権の尊重と民本主義の採用に加え、天皇大権の大部分を人民へ委譲している。

 非常に先進的であるがゆえに、各方面で軋轢を生んでいるようだ。


「正直、急進的すぎると思いますけどね。……まぁそれは別の機会に」


 さて、と玲那は机の上に世界地図を広げる。


「皇國が初動で為すべきことは史実と変わりません――まずは、本土の外縁を抑えること」

「外縁……朝鮮と台湾、北方に南洋諸島か」


 四方を取り巻く大海は、海洋国家たるこの島国の命綱。これを握らないことには始まらないが――東洋に君臨する老大国・清朝の衰弱は窮まり、列強諸国はその白き魔の手をアジアに伸ばしつつある。


「ロシアは南下政策を推し進め朝鮮に迫り、英国もインドやマラッカを抑え、独仏と共に中国を狙っております。皇國は脅かされているのです」

「アメリカも本土の開拓を終えて太平洋を伺っておるしな」

「ええ。時間はあまり残されておりません」


 史実では、まず朝鮮へと目を向けた。

 朝鮮を巡り清朝、つづいてロシアと戦った。前者で台湾を、後者で樺太を手に入れて、朝鮮を併合することによって大陸側の外郭線を描いた。それから第一次大戦で南洋諸島を得て、海側に外郭線を描いた。そうしてようやく列強国になれたのだ。


「そのための対清戦争、ということか」

「それだけではございません」


 玲那は笑った。


「来たるべき『世界大戦』への布石でもあります」

「世界大戦、か」

「はい。この国の運命も懸ってございます」

「……続けたまえ」


 けふ、と一息ついて玲那は目を瞑る。


「対清戦争の勝利は確実です。しかし、対ロシアはそうではない。奇跡的に負けなかった史実とて、辛勝でございました」


 賠償金を取れなかった大戦争の爪痕は深く、戦後十年にわたり莫大な戦債の返済に苦しんだ。けれど、と玲那は瞳を開く。


「逆に言えば――ここが運命の分岐点でしょう」

「どういうことだ」

「ロシア帝国を、短期決戦で完封する」


 史実のような消耗戦を避けることができれば、歴史は大きく変わる。


「賠償金の獲得……ロマノフ帝室の財宝に裏打ちされたそれで、もぎ取った大陸利権への投資に全振りする。あるいは――内地への投資が十分にできたのなら、第一次大戦期に高度経済成長とて夢ではございません」

「高度成長、だと?」

「ええ。この国は独力で内需主導の高度成長が可能です。戦後史がそれを証明しております」


 この国は、資本蓄積が一定の水準に達すれば、技術革新と生産消費のサイクルによって自力で先進国へ脱皮が可能になる。史実では、戦後になって国際通貨基金とアメリカの資金援助の下にそれを実現した。


「対露戦争の賠償金を用いて、それを戦前期に起こすことができれば――戦後のように世界第二位の経済大国となり、一時はアメリカを抜かさんほどだった勢いを、大正時代のうちに再現できれば」


 閑院宮が目を見開く。


「合衆国と対峙する昭和初期までに、対米七割の国力を得ることができる」


 対米七割。1990年におけるGDPの日米比だ。

 この構図を半世紀前倒しで、この世界に持ち込めたら文句はない。


「史実では開戦直前ごろでさえ80倍の国力差があり、短期決戦が失敗すれば破滅だと誰もが理解していました。当事者以外は、ね」

「悲しいかな、だな」

「しかしその国力比が1対80から56対80にまで、ぐっと迫る。合衆国とて、安易に太平洋戦争へ踏み切ることはできなくなりましょう」


 合衆国と仲良くするのが一番良いが、それは理想論だ。あの破滅を繰り返さぬように、そう願うなら外交だけに頼るべきではない。確かな国力が必要だ。


「……世界第二の大国、か」


 閑院宮は少しだけ笑った。


「そのために必要なのが、対露戦争の完封と」

「玲那の保身のためでもございます」


 忘れてはならないが、あの乙女ゲームは煌びやかな学園行事だけがメインイベントではない。初等部4年にて対清戦争が、中等部2年には列強の中国分割が、同4年に義和団事件、高等部3年で対露戦争が発生する。

 特に高等部3年の対露戦争はストーリーを揺るがす大イベントだ。万単位の戦死者を出す激しい戦争で、士官として動員された攻略対象が全員もろとも二百三高地で戦死してゲームオーバーとか普通にある。この場合強制的に皇國の敗戦となって、ロシアにより登場人物全員シベリア行きとかいうろくでもないエンドまで用意してある。なんでそんなルート作ったんだよ。


 戦争の回避が最善の選択肢だが、まぁ無理だろう。この御令嬢にロシアの南下政策を阻止するほどの力はない。戦争するにしろ万一でも攻略対象が全死することがあってはならない(強制で敗戦になる)ので、史実のような大損害の辛勝パターンもダメだ。すると、破滅回避のためには短期決戦による完封しかなくなる。


「ロシア相手に短期決戦。夢のようだな」

「夢……ですか」

「相手は瀕死の清朝とは違う。欧州最大の陸軍を擁する列強国なのだぞ」


 このような辺境の赤字国家があと10年で渡り合えるような相手ではない、と彼は言葉を継いだ。


「確かに難しいかもしれませんね」

「難しいどころか不可能にほど近い。『史実』とやらの辛勝とて、正直なところ予は信じられん。それほどまでに列強国との格差は開いておる」

「けれど、それを詰めることはできましょう」


 玲那自身は戦力にならないだろうし、お嬢様らしく後方で手筈を整え尽くしたら、内地でお茶でも啜って果報を待つしかない。となれば徹底すべきは手筈を整えること。お膳立てだ。玲那は悪役なんかやっている場合ではない。攻略対象のイケメン士官に媚びではなく機関銃を売りつけ、旅順要塞へ叩き込む必要がある。

 日露戦争はまだ騎兵コサックが活躍する技術レベル。こちらには未来知識というアドバンテージがある。飛行機や戦車を繰り出して一方的に叩き潰すなんて発想もできるのだ――実現性は置いておいて。

 何をするにもまずは、対清戦争で得るべきものを得ることだ。


 ゆえに、より良い下関条約を。


「すべてはやり方次第でございます」

「ふっ。英雄譚の論理だな」

「お忘れですか、親王殿下。この国は東洋で唯一、近代化に成功した国家です」

「っ」

「英雄譚と言うならば、既に始まっていましてよ?」


 ちょろっと舌を出してウインクを飛ばせば、閑院宮は長いため息をつく。


「……具体案はあるのかね」

「より良い下関条約のためには、より良い作戦と兵器を」


 眼下に建設されつつある、屯田兵第三大隊の兵営を見下ろした。


「して……何を作ろうというのだ」

「まずは重機関銃。ついで迫撃砲、そして戦術爆撃機」

「アホか」


 ぴしゃりと閑院宮が言う。


「前の2つはいいとしても、おま、ば、爆撃機だと。いま何時代だと思っとる!」

「明治時代です」

「まだ騎兵が現役の時代だぞ。人間が空を飛ぶのは20年以上先の話だ」


 玲那は肩をすくめた。


「まぁ……今はまだ本気になさらなくても結構です。当面は重機関銃と迫撃砲を用意したくて」

「向こう20年は本気にするつもりなど……。で、重機関銃と迫撃砲か。なぜだ?」

「直接的には清朝との戦争のため。そして対露戦争に向けてのノウハウ蓄積です」


 ふむ、と彼は頷く。


「史実通りいけば、3年後の夏には開戦か」

「はい。何かしようと思えば、意外と時間はございません。早めに重機関銃と戦術爆撃機が欲しいのです」

「だから爆撃機は無理だと。機関銃に関しては……考えてやろう」

「ここで開発となれば殿下の第三大隊が配備先になります。するとこの地には研究施設と、そこでできた新兵器を配備できる砲兵工廠、整備工場が要りますね」

「はっ、夢見事を。ここをどこだと心得るか」

「屯田兵第三大隊本陣、忠別です」

「屯田兵の大隊程度に砲兵工廠など付かん。ばかばかしい……」


 目を覆う閑院宮の向こうに見える、わずか13名の集落と原野。


「まぁ、そうですよね」


 ここに屯田兵一個大隊500名の兵営が加わろうと、せいぜい中規模な村だ。町にすらなりやしない。

 こんな未開の地に工場が来るだろうか、答えは否だ。


「となれば、玲那たちで工場を作って経営するしかないでしょう」

「な、なにを言うかと思えば……。あのな、それが出来れば苦労は」

「できます」


 固まる閑院宮に一枚の紙を示す。


「北京計画。離宮都市の計画に工場の建設が盛り込まれているのです」

「……なんだと」

「むしろ玲那たちに任されている計画なのです。やる必要すらございます」

「はっ。北京計画自体、中央ではだれも本気にしとらん。追放の口実にすぎぬ」

「だったらなおのことです」


 玲那は笑う。


「馬鹿にしている中央の連中に目に物見せて差し上げません?」

「……まさか」

「北京計画を完遂し、ここに北都・旭川を造営する」


 この地にはのちに第七師団が置かれ、道内最大の軍都となる。

 その歴史を知っているから、いいや、それ以前に前世で地縁もあったことだし。


「10番目と12番目で手を組んで、やってやろうじゃありませんか」

「……ッ!」


 辺境追放上等だ。ここ自体を辺境じゃなくしてしまえばいい。


「工場建設は計画第三過程とあります。ここに駒を進めるには、そこまでの計画をクリアしなければならない――曰く、農地開拓、続く穀倉地域の建設と、人口の確保」


 未来の知識でこの地を開発し尽くす。領地経営ではないけれど、異世界モノの内政芸当くらい、この乙女ゲームの世界でやってのけてやる。いいや、この内政芸当を異世界と呼ばわすには、いささか壮大すぎるか――悪役令嬢は不敵に笑った。

 この島国の農業工業すべてを底から蹴り上げて、高度成長へ繋ぐ。これは皇國ごと玲那わたしを救済する物語。この北の辺境を軸に、列島全土を巻き込む革命を始めるのだ。


「玲那たちで、産業革命いたしましょう?」

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