10番目と12番目
玲那の意識を覚ましたのは、聞き慣れたバイブレーションだった。
「れ、玲那くん。何か……鳴っているぞ」
立派な髭が怯えた声を出す。
振り返れば、赤絨毯の上に転がったスマホが震えていた。
駆け寄って確認すれば、通知欄にはゲームアプリからのメッセージが。
"読み込み中に致命的なエラーが発生しました。再起動しますか?"
「な、なにこれ」
この小さな手を見下ろす。致命的なエラーどころじゃないぞ。
けれど再起動すれば――あるいは。
祈り交じりに通知を承諾してみる。
パァァアッ!
またも閃光を放つスマートフォン。
まばゆさに二人ともども手をかざせば、スマホの周りに光球が集まってゆく。そのままふわりと浮き上がれば、窓を抜けて、スマホは外の庭園へ。
――『データ:player_1』をロードします――
再び脳裏へ響く声。
ほどなく庭園の上空で、それはカッと輝いた。
「……!」
そして玲那は思い出す。
見たことのあるシーンだ。それも、嫌というほど繰り返した。
ここは諮問会議がなされている枢密院本庁。休憩の時間、若き皇太子は政府要人たちと共に庭園を歩いていた。そこへ召喚される未来人。慌てる政府要人たちを尻目に、何の縁か、皇太子に声を掛けられて――。
「っ」
思わず駆けだす。閑院宮を振り切って階下へ。
それは間違いなくプロローグのシーンだ。
言葉を失ったのは、茂みをかきわけて、その庭に出たときだった。
「な……ぁっ」
玲那のものではない驚嘆が聞こえた。玲那は思わず身を隠す。ゲーム通り、そこでは皇太子一行が庭園を歩いていた。
「で、殿下!」
皇太子を庇うように慌てだす、スーツ姿の壮年紳士たち。あのシーンではモブ扱いの政府要人たちであろう。
燦然と庭を照らし上げる光の玉は、刹那、閃光を解き放つ。同時にぱらぱらと何かがあたりへ散らばった。玲那の頭上にも何かが落ちてきて――。
「いっ……」
頭を抑えて目を開ければ、そこには『中学地理』と書かれた一冊の教科書。なぜこんなものが――そう呟く隙もなく。
「ここは?」
まばゆい方から声がして、玲那は顔を上げた。地上へ降りた光球はみるみると人の形をつくってゆく。
「いっ…、一体何者だ、どこから出て来た!?」
皇太子を護るように構えるモブ紳士たち。
「ひ、ひぃっ」
「どこから来たと聞いておる!」
びくりとして、光の人影は答える。
「さ、さっきまでは札幌に」
息を呑む。耳を疑った。
「札幌だと、開拓民か?」
「開拓って、いつの時代ですか。ただの中学生ですよ」
「中學? 北海道に中學校なんてあったか?」
玲那と閑院宮のやりとりそっくりの会話だった。にわかに『主人公』はきょろきょろと周囲を見回す。
「それより……ここは、もしかして」
その瞬間、玲那は見つけた。
主人公の片手に握られた板状のもの――スマホだ、間違いなく。
「質問に答えんか!」
壮年モブ紳士の一人がカッ、と怒鳴る。
主人公は当惑して後ずさり、そのさいにスマホの画面が点いた。
「ぎゃぁぁぁ、光った、光ったぞ!?」
響く悲鳴。主人公は笑う。
「やっぱりだ。ここは、明治時代なんだ」
「な、何者だ!」
「――つまり、俺は”召喚者”か」
まったく状況が見えない。主人公の一人称は「俺」だったか?
「私は136年先のこの国から来たのです」
スマホを見せながら、そう語る主人公。
「なん……だと」
紳士の一人が恐る恐るといったふうに、切り出した。
「……伊藤博文の名を、聞いたことがあるか」
「はっ、もちろん!」
「私のことだ」
しん、と場が鎮まる。
玲那も息を呑んだ。あのクソゲーの序盤のモブ、伊藤博文なのかよ。
「やはり……にわかには信じ難い。黒田、どう見る」
黒田と呼ばれたもう一人のモブ紳士は、険しい顔つきを崩さない。主人公のほうへと一歩進み出ると、しゃがみこんで、ぐっと顔を近づけて問うた。
「黒田清隆だ。今年が何年かは、知っているか」
「いえ、それは」
主人公が首を横に振ると、試すように彼は言った。
「明治21年。今年は、1888年だ」
「ふむ……憲法発布の前年か」
「「ッ……!」」
主人公のその言葉に、壮年モブ紳士改め、明治の重鎮たちは今度こそ言葉を失う。
「ふふ、くくっ…。俺は”選ばれた”、のか」
その言葉に思い出す。玲那がホームから落ちた日の朝、電車は遅れていた。どうやら人身事故があったらしいのだ――まさにあの駅の、あのホームで。
(……まさか)
玲那は足下に落ちた『中学地理』の教科書を見る。そして、主人公の背負う開けっ放しのリュック――召喚の衝撃で飛散したか。玲那はぎゅっと拳をつくる。
「もしや」
ゲームストーリーの『主人公』とは口調も雰囲気も違う。それに、不自然なほど冷静すぎる。もしや――召喚を想定していた?
「なるほど、ね」
備えて来たる逆行者。
なんら不思議じゃない。玲那だってあのゲームの「はじめから」を押してここに来た。その経緯が、この『主人公』も同じだとしたら。
「ッ」
茂みから一歩、バレないように引き下がる。
それから身をひるがえして逃げ出した。
(つたない……笑えません!)
玲那と同じ経緯なら、あの逆行者もあのゲームのプレイヤーだ。
だとしたら玲那は真っ先に排除されるだろう。理由はただ一つ。ストーリー内最強にして、最悪の敵キャラ――黒幕の皇女様こそ、この玲那だからだ。
「終わった!!」
転生数分。
早速、破滅の危機だった。
「瞬間で処刑されるか……!?」
一度考えたが、すぐに頭を振る。その可能性は低い。
ストーリーでは真っ先に主人公は皇族に保護され、華族学園に入学するまでは政府に直轄される。そこで主人公が玲那の危険性を主張したとして、この身分は仮にも皇族だ。政府はそこまで踏み切れまい。
「と、とにかく。なんとかしなきゃ」
生き残るための手がかりを探して、玲那は枢密院本庁の中へ飛び込んで、階段を上って鏡の前へ戻る。
「……」
誰もいない。あの髭の青年はどこへ?
玲那はしょんぼりと階段を下る。考えてみれば、あの主人公は「召喚」であってスマホだの『中学地理』とか未来の本だのを持っているのに対して、玲那は前世の記憶を取り戻しただけ。唯一のスマホは光球となって消えた。あまりに非力すぎる。
項垂れながら庭園のほうへ戻れば、玄関のすぐ先に丸い背中が覗いた。
「……なにをしてるんですか」
「あぁいや、すまない。興味本位で」
しゃがみこんで、閑院宮がひとり一冊の本を開いていた。
心なしか、その本を持つその手が震えている。
「どうなさったのです」
近づいてみると、そこには大きなキノコ雲の写真が載っていた。
「広島……12万人。長崎、8万人」
活字を復唱するその声は、怒りとも悲しみともつかない。
「一瞬で……たった、一発の爆弾で」
背中にぐっしょりと冷や汗をかいて、『中学歴史』の教科書へ見入る閑院宮。
「総戦死者……310万人。太平洋戦争、終戦。帝国崩壊」
我々宮家が護らねばならなかった国は、今から、たった60年で。焼け野原になった東京の写真を見ながら、そう呟く彼の肩を、玲那は軽く叩いた。
「その本。すぐに皇太子殿下の御一行が拾いに来られましょう」
逃げますよ、と耳元に囁いて玲那は閑院宮の手を引く。飛び散った転生者のリュックの中身なんて、読んだのがバレたら面倒だろう。
彼は黙って立ち上がり、とぼとぼと玲那の後ろをついてくる。
「……」
建物の隅の茂みまで来て、玲那はふと立ち止まる。
さっき玲那が身を隠した場所。足先に転がる『中学地理』の本。おもむろに拾い上げて、玲那は背中の閑院宮に振り返った。
「ご覧ください」
地誌のページを開く。
「
「……ッ!」
「これは新宿。こっちは梅田かな?」
地上300mに達する超高層ビルの写真を前に、閑院宮は硬直した。
「こんなものを……この国が?」
「ええ。焦土からのリスタートで、ここまでのし上がったのです」
他にもいろんな地方のページを見せてやった。広島の写真を見せたときには閑院宮は目を潤ませた。
「これが君の時代か」
「玲那……と言っていいのでしょうか」
その一言で、玲那の自意識がまだ混濁していることを察した閑院宮は、それ以上何も聞かなかった。彼はただ一言呟いた。
「いい時代なのだろう。きっとな」
すぐには頷けなかった。上手く答えられなくて、つい玲那はこう返してしまう。
「未来を知って、閑院宮さまはどうするつもりですか?」
「……年上の皇族を呼ぶときは、親王殿下と呼びたまえ」
その返答には、複雑な心情が垣間見えた。
「っ、すみません」
「正直、答えたくはない」
彼は視線を伏せる。
「予はもともと伏見宮家の王子だった。だが、家督争いから遠ざけられて、断絶寸前だった閑院宮家の養子となり、この若さで当主を継いだ。ゆえに、12宮家では最も弱い」
閑院宮家――ストーリーにも出てきたな。ゲーム内では学園に左遷された不遇の貧乏宮家として描かれており、日比谷焼き討ちでは主人公ら学園生徒を守り抜く確かな強さと義理堅さ、大人の包容力が多くのユーザーの乙女心を射抜いた。
しかしなにせ本当に不遇で、7つにして閑院宮家を背負わされ、宮廷政争には滅法弱く、学園教壇に左遷されたと思えば日露戦争直前に皇族軍人枠を押し付けられ最前線へ。多くのルートで戦死するその儚さと、没落途上の宮家を背負うその物憂げな視線や佇まいが、一層人気に拍車をかけたと攻略ウィキにあった。
「宮家の末席に、出来ることは限られている」
歴史をいくら知ったところで、それは重石にしかならないと。
「……ならば、組みません?」
「??」
首を傾げる立派な髭に、玲那は提案する。
「いろいろあって、玲那も歴史を傍観しているわけにはいかないのです」
悪役皇女の運命はロクなものじゃない。
ストーリーを何度もやってきて、それだけは知っているから。
「親王殿下に意思がおありでしたら、一緒にやったほうがよろしいかと」
「冗談を。有栖川宮家とて、当主こそ強いものの嫡男もおらず断絶確定」
閑院宮は笑う。確かに有栖川宮家は弱い。ゲームでも皇太子との婚約だけで虚勢を張っていた宮家で、ゆえに破滅の時には手痛いしっぺ返しを食らう。
「12宮家では10番目の力しかない。10番目と12番目が組んで、何が出来よう?」
「家の力関係あります?」
「は?」
玲那は立ち上がる。
「ここには未来の知識があります。それを全力で投げうてば、一財築くのも無理はありません。鉱山や油田に投資して、新技術をポンポン生み出して、この島国の国力を蹴り上げてさっさと列強にぶち込んでやるのです」
「ふはは! それは愉快な冒険譚だ」
やれやれと閑院宮は首を振る。
「……夢物語にしか聞こえんよ」
そうですか、と玲那は顔を沈めた。
「第一、そこまで君の言う"未来"を信用できはしない。それに、予にはそれをやり切る気概も、その結果を背負う覚悟もない」
このいかつい髭、小心者みたいなことを言うな。
青年期の閑院宮――ゲームと印象が全然違う。
「今日見た話、聞いた話は、狐に見せられたものとでも思っておこう。予のごとき弱小宮家が背負うには、重すぎる」
ふと、枢密院のホールに鐘が鳴った。
諮問会議が終わったことを告げる鐘だ。
「時が来たようだな。……君との邂逅もこれきりだ」
どうやら、本当に彼は面倒ごとを背負うつもりはないらしい。
「……そうですか」
「あぁ。あと、頼るなら皇族以外にするといい」
「と、言いますと?」
「宮家は大なり小なりお飾りだ、宮廷の外ではあまり力がない。逆に言えば宮廷の内で下手に動こうものなら……予とて、君の敵に回らねばならん」
その瞳が、射抜くように玲那を見据えた。
「それは……忠告ですか」
「外でなら存分にやってくれ」
いいや、むしろ関わりたくない本心か。片手をあげて閑院宮は踵を返す。
「では、予はそろそろ戻る。達者でな」
・・・・・・
・・・・
・・
眼下に広がるは未開の原野。
氷雪が、視界の限りを一面に覆っている。
(???)
明治24年3月。
何故か、氷点下40度の中に立たされていた。
「ひっ、くしゅ……!」
往路の馬車は片道切符。帝都に戻る方途なし。
ここは地の果て――北海道庁・
のちに旭川の名を頂くこととなるこの地の人口は、わずか13名。
「あはははは」
から笑いしか出ない。なんだよ、ここ。
「ようこそ
青年が立っていた。
「とはいっても、予もここに来たばかりなのだけどな」
立派な髭を一撫でして、彼は続ける。
「予は
「ええ、存じ上げております。よくよく、覚えておりましてよ」
「あぁ。予も、二度と会うことはないと思っていた。正直、もう会いたくなかった」
そう抜かす閑院宮に、玲那は最大限のエールを贈る。
「屯田兵第三大隊大隊長への栄進おめでとうございますわ!」
「叩き潰すぞメスガキ」
中尉にして、屯田兵とはいえ大隊長の拝命。外から見たら栄進だというのに酷いことを言う。
「どう見たって左遷だ、いや追放とさえ言っていいかも知れぬ。予も、君も」
玲那だって察していないわけがない。ピンポイントに悪役皇女を狙い撃ち――これは、ゲームストーリーを知る者による追放だ。
「……
彼は言う。
「この神楽岡に離宮を開いて、京、東京に次ぐ第三の都を置くんだと」
北海道の中央に位置して、北方鎮守の要にあるこの上川盆地に都を開く――史実でも、明治時代に検討された話だ。しかし真剣に取り合われることはなく、権力闘争の口実に散々使われた末に放棄されたという。
「あぁ。予も思うところはある。なんで予がそんなバカげた計画に!」
「それは玲那だって同じです!」
乙女ゲームに始まるこの転生譚。
辺境への唐突な追放、不条理への咆哮。
以上を
「「どーして、こーなったァァアッ!!!」」
のちに伝説となる、悪役皇女の壮大な悪あがきは――この北の大地に始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます