10番目と12番目

 明治21(1888)年8月15日。それは確かにプロローグの日付だった。

 きょうこの日、全てが始まるのだとしたら、確かめなければならないことがある。


「ごめんなさい。気が戻りました、わたしは玲那れいなです!」


 適当な返事を寄越して、階段を駆け下りる。


「おっ、おい!」


 靴をつっかけて正面の門を飛び出した。


「『主人公』が降り立つのは……あそこ!」


 記憶なら、あの場所でプロローグが起こる。

 諮問会議がなされている枢密院本庁。休憩の時間、幼き皇太子は政府要人たちと共に庭園を歩いていた。そこへ、まだ幼い主人公がたまたま迷い出る。慌てる政府要人たちを尻目に、何の縁か、皇太子に声を掛けられて――。


「あっ」


 言葉を失ったのは、茂みをかきわけて、その庭に出たときだった。

 空中に光の玉がある。


「な……ぁっ」


 自分のものではない驚嘆が聞こえた。玲那は思わず身を隠す。ゲーム通り、そこでは皇太子一行が庭園を歩いていた。


「で、殿下!」


 皇太子を庇うように慌てだす、スーツ姿の壮年紳士たち。あのシーンではモブ扱いの政府要人たちであろう。

 燦然と庭を照らし上げる光の玉は、静かに地面に降りたかと思えば、みるみる人の形をかたどっていく。


「あれ」


 光の中から声がする。

 次の瞬間、目を疑う。


「ここは……?」


 いつか見た、プロローグシーンそっくりの光景だ。


「誰だ…!」


 壮年モブ紳士が問いかけた先。そこに、貧相な装いながらも、透き通る瞳に白い肌、目を引くほどに顔立ちの整った――そう、見紛うことなき『主人公』が立っていた。


「あの。すみません、ここは」

「いっ…、一体何者だ、どこから出て来た!?」


 皇太子を護るように構える紳士たち。


「ひ、ひぃっ」

「どこから来たと聞いておる!」


 びくりとして、『主人公』は答える。


「さ、さっきまでは札幌に」


 息を呑む。耳を疑う。


「札幌だと、開拓民か?」

「開拓って、いつの時代ですか。ただの中学生ですよ」

「中學? 北海道に中學校なんてあったか?」


 玲那と閑院宮のやりとりそっくりの会話だった。にわかに『主人公』はきょろきょろと周囲を見回す。


「それより……ここは、もしかして」


 その瞬間、玲那は見つけた。

 主人公の片手に握られた板状のもの――スマホだ、間違いなく。

 なぜそれが、ここにある。


「質問に答えんか!」


 壮年モブ紳士の一人がカッ、と怒鳴る。

 主人公は当惑して後ずさり、そのさいにスマホの画面が点いた。


「ぎゃぁぁぁ、光った、光ったぞ!?」


 響く悲鳴。主人公は笑う。


「やっぱりだ。ここは、明治時代なんだ」

「な、何者だ!」

「――つまり、俺は”召喚者”か」


 まったく状況が見えない。主人公の一人称は「俺」だったか?


「私は136年先のこの国から来たのです」


 スマホを見せながら、そう語る主人公。


「なん……だと」


 紳士の一人が恐る恐るといったふうに、切り出した。


「……伊藤博文の名を、聞いたことがあるか」

「はっ、もちろん!」

「私のことだ」


 しん、と場が鎮まる。

 玲那も息を呑んだ。あのクソゲーの序盤のモブ、伊藤博文なのかよ。


「やはり……にわかには信じ難い。黒田、どう見る」


 黒田と呼ばれたもう一人のモブ紳士は、険しい顔つきを崩さない。主人公のほうへと一歩進み出ると、しゃがみこんで、ぐっと顔を近づけて問うた。


「黒田清隆だ。今年が何年かは、知っているか」

「いえ、それは」


 主人公が首を横に振ると、試すように彼は言った。


「明治21年。今年は、1888年だ」

「ふむ……憲法発布の前年か」

「「ッ……!」」


 主人公のその言葉に、壮年モブ紳士改め、明治の重鎮たちは今度こそ言葉を失う。


「ふふ、くくっ…。俺は”選ばれた”、のか」


 その言葉に思い出す。玲那がホームから落ちた日の朝、電車は遅れていた。どうやら人身事故があったらしいのだ――まさにあの駅の、あのホームで。

 もしかしたら、この主人公は。


「ッ」


 茂みから一歩、バレないように引き下がる。

 それから身をひるがえして逃げ出した。


(つたない……笑えません!)


 聞いてないぞ。こいつが転生者だと。

 冗談じゃない。最悪、例の乙女ゲームのプレイヤーだ。


 だとしたら玲那は真っ先に排除されるだろう。理由はただ一つ。あのゲーム最強にして、最悪の敵キャラ――悪役令嬢こそ、この玲那だからだ。


「終わった!!」




 転生数分。


 早速、破滅の危機だった。




「瞬間で処刑されるか…!?」


 一度考えたが、すぐに頭を振る。その可能性は低い。この身分は仮にも皇族だ、いくら未来人に主張されても、政府はそこまで踏み切れまい。あるとしても辺境の御用邸に追いやるくらいだろう。


「と、とにかく。なんとかしなきゃ」


 突破口を探る。

 主人公の手に握られていたのはスマホ。現代のモノがあれば相当のアドバンテージになる。けれど幸いなことに、たしか玲那もスマホを持っている。前世の最期――東室蘭行きの普通列車に撥ねられたとき、手にしていたものだ。

 理屈はわからないけれど、握っていたものが諸共に前世からこの世界へ飛ばされてきたらしい。記憶が正しければ、片手にはスマホ。ならばもう片手には――。


 大急ぎで玲那は枢密院本庁の中へ飛び込んで、階段を下って部屋が召喚された場所に戻る。廊下に残したままの前世の遺物。その傍には青年の影があった。


「……なにやってるんですか」

「あぁいや、すまない。興味本位で」


 廊下にしゃがみこんで、閑院宮がひとり一冊の本を開いていた。

 心なしか、その本を持つその手が震えている。


「どうなさったのです?」


 近づいてみると、そこには大きなキノコ雲の写真が載っていた。


「広島……12万人。長崎、8万人」


 活字を復唱するその声は、怒りとも悲しみともつかない。


「一瞬で……たった、一発の爆弾で」


 背中にぐっしょりと冷や汗をかいて、『歴史総合』の教科書へ見入る閑院宮。


「総戦死者……310万人。太平洋戦争、終戦。帝国崩壊」


 我々宮家が護らねばならなかった国は、今から、たった60年で。焼け野原になった東京の写真を見ながら、そう呟く彼の肩を、玲那は軽く叩いた。


「ご覧ください」


 スマホの写真フォルダを開く。


戦後それから80年。前世の東京です」

「……ッ!」

「これは新宿。こっちは梅田かな?」


 地上300mに達する超高層ビルの写真を前に、閑院宮は硬直した。


「こんなものを……この国が?」

「ええ。焦土からのリスタートで、ここまでのし上がったのです」


 他にもいろんな写真を引っ張り出して見せてやった。広島の写真を見せたときには閑院宮は目を潤ませた。


「君が撮ったのか」

「玲那……と言っていいのでしょうか」


 その一言で、玲那の自意識がまだ混濁していることを察した閑院宮は、それ以上何も聞かなかった。彼はただ一言呟いた。


「いい写真だ。人々の笑顔が見える」


 カメラの腕を褒められて、舞い上がった玲那は、つい要らぬことを聞いた。


「未来を知って、閑院宮さまはどうするつもりですか?」

「……年上の皇族を呼ぶときは、親王殿下と呼びたまえ」


 その返答には、複雑な心情が垣間見えた。


「っ、すみません」

「正直、答えたくはない」


 彼は視線を伏せる。


「予はもともと伏見宮家の王子だった。だが、家督争いから遠ざけられて、断絶寸前だった閑院宮家の養子となり、この若さで当主を継いだ。ゆえに、12宮家では最も弱い」


 閑院宮家――あの乙女ゲームでも出てきたな。ゲーム内では学園に左遷された不遇の貧乏宮家として描かれており、日比谷焼き討ちでは主人公ら学園生徒を守り抜く確かな強さと義理堅さ、大人の包容力が多くのユーザーの乙女心を射抜いた。


 しかしなにせ本当に不遇で、7つにして閑院宮家を背負わされ、宮廷政争には滅法弱く、学園教壇に左遷されたと思えば日露戦争直前に皇族軍人枠を押し付けられ最前線へ。多くのルートで戦死するその儚さと、没落途上の宮家を背負うその物憂げな視線や佇まいが、一層人気に拍車をかけたと攻略ウィキにあった。


「宮家の末席に、出来ることは限られている」


 歴史をいくら知ったところで、それは重石にしかならないと。


「……ならば、組みません?」

「??」


 首を傾げる立派な髭に、玲那は提案する。


「いろいろあって玲那も歴史に手を突っ込んで引っ掻き回すつもりなのです。親王殿下に意思がおありでしたら、一緒にやったほうがよろしいかと」

「冗談を。有栖川宮家とて、当主こそ強いものの嫡男もおらず断絶確定」


 閑院宮は笑う。確かに有栖川宮家は弱い。ゲームでも皇太子との婚約だけで虚勢を張っていた宮家で、ゆえに破滅の時には手痛いしっぺ返しを食らう。


「12宮家では10番目の力しかない。10番目と12番目が組んで、何が出来よう?」

「家の力関係あります?」

「は?」


 玲那は立ち上がる。


「ここには未来の知識があります。それを全力で投げうてば、一財築くのも無理はありません。鉱山や油田に投資して、新技術をポンポン生み出して、この島国の国力を蹴り上げてさっさと列強にぶち込んでやるのです」

「ふはは! それは愉快な冒険譚だ」


 やれやれと閑院宮は首を振る。


「……夢物語にしか聞こえんよ」


 そうですか、と玲那は顔を沈めた。


「第一、そこまで君の言う"未来"を信用できはしない。それに、予にはそれをやり切る気概も、その結果を背負う覚悟もない」


 このいかつい髭、小心者みたいなことを言うな。

 青年期の閑院宮――ゲームと印象が全然違う。


「今日見た話、聞いた話は、狐に見せられたものとでも思っておこう。予のごとき弱小宮家が背負うには、重すぎる」


 ふと、枢密院のホールに鐘が鳴った。

 諮問会議が終わったことを告げる鐘だ。


「時が来たようだな。……君との邂逅もこれきりだ」


 どうやら、本当に彼は面倒ごとを背負うつもりはないらしい。


「……そうですか」

「あぁ。あと、頼るなら皇族以外にするといい」

「と、言いますと?」

「宮家は大なり小なりお飾りだ、宮廷の外ではあまり力がない。逆に言えば宮廷の内で下手に動こうものなら……予とて、君の敵に回らねばならん」


 その瞳が、射抜くように玲那を見据えた。


「それは……忠告ですか」

「外でなら存分にやってくれ」


 いいや、むしろ関わりたくない本心か。片手をあげて閑院宮は踵を返す。


「では、予はそろそろ戻る。達者でな」




 ・・・・・・

 ・・・・

 ・・




 眼下に広がるは未開の原野。

 氷雪が、視界の限りを一面に覆っている。


(???)


 明治24(1891)年3月。

 何故か、氷点下40度の中に立たされていた。


「ひっ、くしゅ……!」


 往路の馬車は片道切符。帝都に戻る方途なし。

 ここは地の果て――北海道庁・忠別チュプペッ


 翌年、旭川の名を頂くこととなるこの地の人口は、わずか13名。


「あはははは」


 から笑いしか出ない。なんだよ、ここ。




「ようこそ上川離宮かみかわりきゅうへ。玲那れいなくん」




 青年が立っていた。


「とはいっても、予もここに来たばかりなのだけどな」


 立派な髭を一撫でして、彼は続ける。


「予は閑院宮家かんいんのみやけ第6代当主、閑院宮載仁かんいんのみやことひと。屯田兵第三大隊のおさたる陸軍中尉だ」

「ええ、存じ上げております。よくよく、覚えておりましてよ」

「あぁ。予も、二度と会うことはないと思っていた。正直、もう会いたくなかった」


 そう抜かす閑院宮に、玲那は最大限のエールを贈る。


「屯田兵第三大隊大隊長への栄進おめでとうございますわ!」

「叩き潰すぞメスガキ」


 中尉にして、屯田兵とはいえ大隊長の拝命。外から見たら栄進だというのに酷いことを言う。


「どう見たって左遷だ、いや追放とさえ言っていいかも知れぬ。予も、君も」


 閑院宮にはもう洗いざらい話してある。玲那が悪役令嬢であることも、全部だ。

 ゆえに二人とも察してはいる。これは、ゲームストーリーを知る者による追放だ。


「……北京ほくきょう


 彼は言う。


「この神楽岡に離宮を開いて、京、東京に次ぐ第三の都を置くんだと」


 北海道の中央に位置して、北方鎮守の要にあるこの上川盆地に都を開く――史実でも、明治時代に検討された話だ。しかし真剣に取り合われることはなく、権力闘争の口実に散々使われた末に放棄されたという。


「あぁ。予も思うところはある。なんで予がそんなバカげた計画に!」

「それは玲那だって同じです!」


 乙女ゲームに始まるこの転生譚。

 辺境への唐突な追放、不条理への咆哮。

 以上を経過報告あらすじとして。


「「どーして、こーなったァァアッ!!!」」


 のちに伝説となる、悪役令嬢の壮大な悪あがきは――この北の大地に始まった。

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