第1話 10番目と12番目
玲那の意識を引き戻したのは、聞き慣れたスマホのバイブ音だった。
「れ、玲那くん。何か……震えているぞ」
立派な髭が怯えるように言った。
振り返ると、
「……困るのですけど」
もしここが本当に明治時代だとしたら、充電も通信もできなかろう。全身を探ってみるが、現代から転移してきたものは手に握っていたこのスマホだけらしい。玲那にとって唯一の
「そういえば……その光る板。どこかで見た覚えがある」
閑院宮がふと呟いた。その一言に玲那は素早く反応する。
「と、申されますと?」
「皇太子殿下の周囲に、奇妙な装束の童がおってな。その者が、それに似たものを手にしていたような……」
「そういえば……その光の板。どこかで見たような気もする」
ふと、閑院宮は呟いた。さすがに聞き捨てならなくて、つい尋ねる。
「と、仰いますと?」
「あ、ああ。皇太子御一行のうちに、奇妙な格好をした子供を最近見かけるのだ。その童が手にしていた、ような」
「お待ちくださいませ」
転生者か?
自分以外にもいるというのだろうか?
(――あ、そりゃそうか)
まもなく納得する。この身はあくまで悪役皇女で、主人公は別に存在するのだ。
そしてこの世界がゲームストーリーの通りなら、主人公は未来人。電車に轢かれて令和の世から転移してくる。そしてその日付は、悪役皇女の初登場よりすこし前だ。
「……すでに未来人のいる世界、ということ?」
「み、未来人だと?」
閑院宮が首をかしげた。
「しかし……政府のうちに、予言者がいるという噂はある」
「!」
「限られた重鎮のみがそれを知っていて、彼らが結託して政治を回しているとな」
まことしやかな噂話だがな、と彼は首を振る。けれど玲那には、ただの流言飛語には思えないのだ。
「詳しく教えてくださいませ」
「いや、予とて多くは存ぜぬのだが。ただ、確かに政府の施策はこの一年間、まるで失敗がない。なにせ予測が緻密で、外れない。未来を知っているかのような手腕だ」
「……それは、いつからそうなったのですか」
「ここ一年だ。政治体制は大きく変わったし、このあいだ召された憲法も、その内容が発布直前に大きく変えられたとも聞く」
「なる、ほど」
思わずスカートの裾を握り締める。
「……つたない、ですね」
ゲームとは違う動き。政府に関わるなんてシナリオはなかったはず。
もしかして、主人公は“別人”なのかもしれない。自分と同じように、ゲームそのものを知っている……?
「だとすれば──」
玲那は立ち上がり、走り出した。
「お、おい!」
閑院宮の声も振り切り、向かったのは中庭。
ゲームでは今日、この枢密院本庁の中庭で、主人公と悪役皇女は初めて出会う。
けれど、目的地の中庭には誰もいない。
「……ストーリー通りなら、会えるはずなのに」
待っても誰も現れない。つまり、もうストーリーから外れている。
「笑えませんよ……」
もしも主人公があのゲームを知る者だったなら、玲那は真っ先に排除されるだろう。理由はただ一つ。ストーリー内最強にして、最悪の敵キャラ――黒幕の皇女様こそ、この玲那だからだ。
(終わったかも!!)
転生数分。
早速、破滅の危機だった。
「即詰みとか……ある……!?」
一瞬よぎったが、すぐに否定する。皇族という身分は簡単には動かせない。少なくとも今すぐに命を狙われることはないだろう。
「と、とにかく。なんとかしなきゃ」
たしかあの主人公は「転移」によって通学カバンを提げたままこの世界に転移する。つまり、電子機器だの現代の教科書とか、膨大な未来知識を持っているのだ。これに対して、玲那のスマホはまもなく電池切れ。それ以外には何も持っていない。
ほかの手がかりを探してあの鏡の前に戻れば、置いていったスマホの傍に、青年の影があった。
「……なにをしてるんですか」
「あぁいや、すまない。興味本位で」
廊下にしゃがみこんで、閑院宮がひとりスマホをいじっていた。
心なしか、スマホを持つその手が震えている。
「どうなさったのです」
近づいてみると、そこには大きなキノコ雲の写真が載っていた。
「広島……12万人。長崎、8万人」
活字を復唱するその声は、怒りとも悲しみともつかない。
「一瞬で。たった、一発の爆弾で」
背中にぐっしょりと冷や汗をかいて、デジタル教科書へ見入る閑院宮。
「総戦死者……310万人。太平洋戦争、終戦。帝国崩壊」
我々宮家が護らねばならなかった国は、今から、たった60年で。焼け野原になった東京の写真を見ながら、そう呟く彼の肩を、玲那は軽く叩いた。
「ご覧ください」
スマホの写真フォルダを開く。
「
「……ッ!」
「これは新宿。こっちは梅田かな?」
地上300mに達する超高層ビルの写真を前に、閑院宮は硬直した。
「こんなものを……この国が?」
「ええ。焦土からのリスタートで、ここまでのし上がったのです」
他にもいろんな写真を引っ張り出して見せてやった。広島の写真を見せたときには閑院宮は目を潤ませた。
「これが君の時代か」
「玲那……と言っていいのでしょうか」
その一言で、玲那の自意識がまだ混濁していることを察した閑院宮は、それ以上何も聞かなかった。彼はただ一言呟いた。
「いい時代なのだろう。きっとな」
すぐには頷けなかった。上手く答えられなくて、つい玲那はこう返してしまう。
「未来を知って、閑院宮さまはどうするつもりですか?」
「……年上の皇族を呼ぶときは、親王殿下と呼びたまえ」
その返答には、複雑な心情が垣間見えた。
「っ、すみません」
「正直、答えたくはない」
彼は視線を伏せる。
「予は……12宮家のうちでは最も弱い」
閑院宮家――ストーリーにも出てきたな。ゲーム内では学園に左遷された不遇の貧乏宮家として描かれており、日比谷焼き討ちでは主人公ら学園生徒を守り抜く確かな強さと義理堅さ、大人の包容力が多くのユーザーの乙女心を射抜いた。
しかしなにせ本当に不遇で、7つにして閑院宮家を背負わされ、宮廷政争には滅法弱く、学園教壇に左遷されたと思えば開戦直前に皇族軍人の枠を押し付けられ最前線へ。多くのルートで戦死するその儚さと、没落途上の宮家を背負うその物憂げな視線や佇まいが、一層人気に拍車をかけたと攻略ウィキにあった。
「宮家の末席に、出来ることは限られている」
歴史をいくら知ったところで、それは重石にしかならないと。
「……ならば、組みません?」
「??」
首を傾げる立派な髭に、玲那は提案する。
「玲那も、黙って滅びを待つ気はありません」
悪役皇女としての末路は、知っている。だからこそ動く。
「親王殿下に意思がおありでしたら、一緒にやったほうがよろしいかと」
「冗談を。有栖川宮家とて、当主こそ強いものの嫡男もおらず断絶確定」
閑院宮は笑う。確かに有栖川宮家は弱い。ゲームでも皇太子との婚約だけで虚勢を張っていた宮家で、ゆえに破滅の時には手痛いしっぺ返しを食らう。
「12宮家では10番目の力しかない。10番目と12番目が組んで、何が出来よう?」
「家の力関係あります?」
「は?」
玲那は立ち上がる。
「
「ふはは! 愉快な冒険譚だ」
やれやれと閑院宮は首を振る。
「……夢物語にしか聞こえんよ」
そうですか、と玲那は顔を沈めた。
「第一、そこまで君の言う"未来"を信用できはしない。それに、予にはそれをやり切る気概も、その結果を背負う覚悟もない」
このいかつい髭、小心者みたいなことを言うな。
青年期の閑院宮――ゲームと印象が全然違う。
「今日見た話、聞いた話は、狐に見せられたものとでも思っておこう。予のごとき弱小宮家が背負うには、重すぎる」
ふと、枢密院のホールに鐘が鳴った。
諮問会議が終わったことを告げる鐘だ。
「時が来たようだな。君との邂逅もこれきりだ」
「……さようですか」
どうやら、本当に面倒ごとを背負うつもりはないらしい。
片手をあげて閑院宮は踵を返す。
「では、達者でな」
・・・・・・
・・・・
・・
眼下に広がるは未開の原野。
氷雪が、視界の限りを一面に覆っている。
(???)
翌年2月。
何故か、氷点下40度の中に立たされていた。
「ひっ、くしゅ……!」
往路の馬車は片道切符。帝都に戻る方途なし。
ここは地の果て――北海道庁・
のちに旭川の名を頂くこととなるこの地の人口は、わずか13名。
「あはははは」
から笑いしか出ない。なんだよ、ここ。
「ようこそ
青年が立っていた。
「とはいっても、予もここに来たばかりなのだけどな」
立派な髭を一撫でして、彼は続ける。
「予は
「ええ、存じ上げております。よくよく、覚えておりましてよ」
「あぁ。予も、二度と会うことはないと思っていた。正直、もう会いたくなかった」
そう抜かす閑院宮に、玲那は最大限のエールを贈る。
「屯田兵第三大隊大隊長への栄進おめでとうございますわ!」
「叩き潰すぞメスガキ」
中尉にして、屯田兵とはいえ大隊長の拝命。外から見たら栄進だというのに酷いことを言う。
「どう見たって左遷だ、いや追放とさえ言っていいかも知れぬ。予も、君も」
玲那だって察していないわけがない。ピンポイントに悪役皇女を狙い撃ち――これは、ゲームストーリーを知る者による追放だ。
「……
彼は言う。
「この神楽岡に離宮を開いて、京、東京に次ぐ第三の都を置くんだと」
北海道の中央に位置して、北方鎮守の要にあるこの上川盆地に都を開く――史実でも、明治時代に検討された話だ。しかし真剣に取り合われることはなく、権力闘争のタネに使われた末に放棄されたという。
「あぁ。予も思うところはある。なんで予がそんなバカげた計画に!」
「それは玲那だって同じです!」
乙女ゲームに始まるこの転生譚。
辺境への唐突な追放、不条理への咆哮。
以上を
「「どーして、こーなったァァアッ!!!」」
のちに伝説となる、悪役皇女の壮大な悪あがきは――この北の大地に始まった。
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