第37話
電車で一時間ほどかけて、実家へ向かった。向かう途中、何度も両親に電話をしたが、電話に両親が出ることはなかった。
地元の最寄駅に到着し、バスを待った。時計とバスの時刻表を比較すると、待ち時間が三十分もあることに気づく。待つか迷ったが、ふと、地元を散歩したいと思いたった。
仮に昨日から今日にかけての出来事が夢であるなら、僕がこの街に来たのは、大学生の時以来になる。
駅から家までの時間も、歩いて三十分ほどかかる。だが歩けない距離ではなかったので、歩いて家へと向かった。
実家へ向かう途中の道には、久しぶりに見るものがたくさんあった。昨晩の体験で見た時には無かったものだ。それでもやっぱり、地元に帰ってきたと自覚できるのは何故だろう。
幼い頃にあった建物が淘汰され、新しいものが出来上がっても、何も変わらないように感じてしまう。
昨晩の体験では、人は町や建物にそこまで興味関心が持てない故に、それらが変わっていることに気づけないと思っていたが、どうやらそういうことではないようだ。この場所にずっと存在している空気や佇まいのような、町の根幹が変わっていないから、何も変わっていないように見えるんだろう。
昨晩起こった体験のおかげで、地元に久しぶりに訪れたという感覚は発生していない。
実家に行く前に、僕は寄り道をした。その場所は、町なんかよりも何も変わっていなかった。
校庭は広々としていて、桜の木がその周りを囲んでいる。六月にもなると、もちろん花は咲いていない。校外学習で美来がスケッチをした絵にそっくりだった。
校門の前で、哀愁に浸り全体を見渡す。最後に記憶を失った場所も校門から五〇メートル先のところだ。
ここに来ると一層、昨晩の出来事が、『一日の夢』として考えることはできなかった。僕の中では一年の記憶として鮮明に刻まれてしまっている。
土曜日の学校に生徒はなく、校門も開いていなかった。雨が降っていたせいか、校庭には所々に水たまりが作り出されていて、休日に行われるはずの野球やサッカーなどのクラブの活動も今日は中止のようだった。
そんな人気のない学校の前で、立ち止まっていると、校舎の裏側から、荷車を押したおじさんがやってきた。
「どうかしましたか?」
おじさんは僕に話しかけてくる。見覚えのあるおじさんだった。
「卒業した母校でして…」
「そうですか。私も今年でこの学校にきて十五年になるんですよ」
十五年。僕の夢の記憶が頭の中を駆けていく。
「おじさん…」
「どうしましたか?」
「今って何年でしたっけ?」
気づけば、昨日の夢の最初の出会いと同じように聞いていた。
「二〇二〇年ですけど…」
「そうですか」
そう言っておじさんに笑いかけた。
おじさんは不思議そうな顔をして、僕のことを見ていた。
そのままおじさんに挨拶をし、学校から去ろうと振り返ったその時だった。
「君、春休みの時の…」
夢なんかじゃなかったんだ。あの一年間で起きた出来事は。実際に僕が触れて感じたものは、なかったことになんてならない。
おじさんの方に再び振り返り、校門越しにおじさんの手を握った。
「お久しぶりです…」
僕は本当に泣き虫になった。
おじさんは僕のことを覚えていてくれた。あの後、車で家まで送ってくれたことも、僕がものすごく戸惑っていたことも、懐かしそうに語る。
「石神先生はどうなったか知っていますか?」
おじさんに亡くなる前の先生について聞いた。
「亡くなる二年前までは、ウチにいたんだよ。ただ、隣の市に転勤が決まって、そこであんなことになってしまった。だから詳しいことは知らないんですよ」
先生が亡くなったのは、ここの学校じゃない。おじさんが知らないのも無理はないだろう。
「ただ…」
おじさんは優しい顔で語ってくれた。
「ニュースやマスコミはああいう風に報道していますけどね、私にはそんな先生には見えないんですよ。確かにおっかない先生ではあったんですけど、一度先生と生徒が話しているのを聞いてしまって。いつだったかな…」
おじさんは首を斜めにし、思い出そうとしている。
「どんな内容だったんですか?」
「生徒さんがどうやらいじめにあっていて、先生はその相談に乗っていると言った感じだったと思うんですけど…」
「そうですか。それは先生らしいです」
僕は石神先生のことを思い出した。いつだって先生は、誰よりも生徒と向かい合っている。その事実が僕以外にも知られていることが単純に嬉しかった。
「僕も、先生はやっていないと信じています」
おじさんも頷き、「私もそう思います」と言った。
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