第24話

 航たちが来るようになってから、全員揃って毎日のように練習していたが、気づけば合唱祭前日を迎えていた。今日は本番前のリハーサルを行う。

 

 各クラスは演奏の前に、代表がスピーチを行うことになっていた。二組では里帆が抜擢された。


 実行委員は当日、学校の運営側に回るので忙しい。それでクラスをパートリーダーとしてまとめてくれた、葵か里帆にやってもらうことを決めていた。

 今回は、葵も里帆も衝突することはなく、里帆がスピーチをすることになった。


「里帆ちゃん、練習の時はごめんね。私、話すのは苦手だから、里帆ちゃんにやってもらいたいの」

「ううん。私こそ意地悪だった。わかった、私頑張るね!」


 その会話は、ホームルームでクラスのみんなが聞いていた。まだ合唱祭まで期間があったけど、全員がしみじみとなってしまっていた。合唱祭にはこういう不思議な力がある。

 改めてこのクラスは良いクラスだと思った。


 最後の通し練習を終え、全員で明日の意気込みを言って解散した。


 そうして今日は十一月のもう一つのイベントである優香の誕生日だった。急いで支度し、まず一緒に美来の家へ向かった。


 美来の家に着くと、以前と同じように美来の家の前で待っていた。十分も経たない内に、美来が絵を額縁に入れた状態で僕のところに持ってきた。その場で美来に絵を見せてもらったのだが、そこには一枚の写真と見間違えるほどの物が額縁に収まっていた。一度しか優香に会っていないはずなのに、再現されたこの優香の表情はすごくリアルだった。


「すごいよ、美来、一度しか会ってないのにそっくりだよ」

「優香ちゃんとは何回か会ってるよ」

 美来は笑ってそう言った。

「そーなの?」

「優香ちゃんにも友達になってもらったの」

「そうか。優香と遊んでくれてありがとう」


 優香と美来が二人で会っていたことは知らなかった。美来に優香のことを伝えた時に、興味を持っていたことを思い出した。案外美来と優香は気が合うのだろう。二人で遊んでいる姿を想像すると、無邪気な妹と冷静な姉のような関係性を目に浮かぶ。


 美来が再び家に戻り、水玉模様の描かれたカラフルな箱を家から持ち出してきた。美来の手に絵はなかったので、その箱に梱包したのだろう。


「お兄ちゃんは何をあげるの?」


 不意に美来は僕に向かってそう言った。


「色鉛筆とカラーペンだよ。優香も絵を描くのが好きになったみたいなんだ。今使っているのは学校で使っているやつだから、家で描く時は一々持ち帰らないといけないし、色の数も少ないからさ…」


 美来に揶揄からかわれて、少し口数が多くなってしまった。美来は僕が焦っているのを見て笑っている。最近では美来が心を開いてくれていると思うこともたくさんあった。


 どうしてこんなにも美来と話している時は楽なんだろう。それは毎回話す時に思うことだった。美来と話していると、小学生の自分が削除され、元の姿で会話しているような気になれる。それは一度大人を経験している僕にとって何よりも癒しになった。


 この時もどうしようもないけど、可能性がゼロではない妄想をしてしまっていた。


 僕の家に着くと、家には誰も帰ってきていなかった。おそらく母は、優香の誕生会の料理の買い出しをしに行っているのだろう。優香もまだ家には帰ってきていない。


 今度は僕が美来に待っていてもらい、急いで部屋に行った。勉強机と一緒に買った収納箪笥の上から三番目の引き出しを開く。優香へプレゼントするために、ここに隠しておいたのだ。色鉛筆とカラーペンがラッピングされている袋を取り、僕は再び玄関の方へ向かった。


 玄関で靴を履いていると、外から優香の歓声が聞こえた。


 玄関を開けると、先ほど美来に見せてもらった絵を両手で空に掲げて大喜びする優香の姿があった。


「すごい。美来ちゃん。優香そっくりだね」


 美来は先に優香へプレゼントを渡したみたいだ。その絵を持ってその場で嬉しそうにクルクルと回っている。そうしてすぐに玄関の前にいる僕に気づき、こちらに絵を持った優香が近づいてくる。


「お兄ちゃん見て、美来ちゃんがくれたの。優香の誕生日、お兄ちゃんが教えてくれたの?」

「優香に絵のプレゼントしたくて、美来が書きたいって言ってくれたんだよ。だからお願いしたんだ。それとこれ、誕生日おめでとう」


 優香に包装されたプレゼントを渡す。過去に戻ってから、今までで優香は一番の笑顔を見せた。


「お兄ちゃんもくれるの。ありがとう!中見てもいい?」


 優香が中身を確認し、一層目を輝かせた。


「ありがとう、お兄ちゃん。大切にするね」


 そうして無事に、優香の誕生日を祝う事ができた。美来も優香も以前より仲睦まじい関係になっていた。優香のことを見ていてくれる人ができたのも嬉しいが、クラスであまり馴染めていない美来が、他の人と会話をして楽しそうにしている姿もなんだか嬉しかった。


 今でも、美来がクラスの女の子と話したり、遊んだりするところを見たことはない。だから優香と一緒に笑っている美来は、貴重な光景だった。


 しばらく三人で話した後、僕は美来を家まで送っていく事になった。美来の家まで、僕らはゆっくりと歩き、たわいもない話をする。ゆっくりと歩いていたつもりだったが、気がつくとすぐに美来の家の前に来てしまっていた。


「今日は本当にありがとう。優香すごい喜んでたよ」

「ううん。こちらこそ」


 まさか過去に戻って、美来と仲良くなるとは思わなかった。一度目の僕は彼女の性格も、彼女の笑顔も、彼女の優しさにも触れることは決してなかった。きっかけは石神への叛逆だったけれど、それでも今ではこうして隣を歩いている。それは本当に貴重なことで、信じられないようなことだった。


「ねー、愛斗君」

「うん?」

「私、今年はすごく楽しかった。愛斗君と優香ちゃんと友達になれたし、いいことがいっぱいあったの」


 美来は僕にそう言って笑っている。改めて言われると照れてしまう。相手は小学六年生、僕の中身は社会人だ。普通に考えればやっぱりそれはおかしいことだと思う。でも、それを感じさせない何かを美来は持っているような気がした。


「合唱祭もすごくいい雰囲気だよね。私、本当に楽しかった」


 美来はこちらを見て、優しく笑った。僕はやっぱり照れてしまい、美来から目を逸らした。


「本番は明日だよ。まだ終わってないし、それに…」

「愛斗君」


もう一度名前を呼ばれ、僕は美来を見た。先ほどと変わらない表情で僕を見つめている。そんな美来が玄関の前でぽつりと呟いた。


「友達でいてね」


 美来は前にも、友達かどうかを聞いてきた事があった。


「あたりまえだよ」

 これからも、この先もずっと友達だ。そんな当たり前のことをどうして…

「うん、じゃあ、また明日」

「うん…」


 不思議に思ったが、美来は小さく手を振り、家の中に入ってしまった。

 美来の家の前で一人になった僕の横を、初冬の冷たい風が通り抜けていった。

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