やけっぱちASMR~松坂牛ブロック肉~

おぎおぎそ

やけっぱちASMR~松坂牛ブロック肉~

「……うぁ~~今週も疲れた~~」


 永遠よりも長い残業をようやく終え、1Kのアパートに帰還すると、一週間分の疲労がどっと押し寄せてくる。

 こういう癒しが欲しくなるような日は、アレに限る。独身紳士向けのお手軽ヒーリング、ASMRだ。


 シャツやネクタイを花火のように脱ぎ散らし、いそいそと部屋着に着替える。そのまま真っすぐ布団にもぐりこみ、枕元に置いてあるイヤホンをスマホに装着した。


 照明暗転、OK。ティッシュの用意、OK。


 今日の通勤電車の中で購入した新作のASMR。女の子が癒してくれるというシチュエーションボイスだ。今日はこれを聞きながら、気持ちよく寝落ちしてしまおう。


「……いらっしゃ~い。お耳癒し温泉へようこそ~」


 キタキタキタキタ、これだよこれ。

 まるですぐ隣にいるかのような臨場感で、女の子の可愛い声が鼓膜に届いてくる。ぞくぞくともふわふわとも表現できそうな、独特な心地良さが脳みそをくすぐっていく。


「……まずは、気持ちいい音で、癒されていきましょうねー」


 はーい、と思わず返事してしまいそうになる。最高の没入体験のためには、聞き手のマインドも重要だ、というのが俺の持論だ。


「……(ペチャッ)(ペチッ)(ニチョ)……お客さん、これ何の音だと思いますか~?」


 う~ん、この生っぽい音は……スライムだな。最近のASMRでは定番の一つだ。


「……ふふっざ~んね~ん。正解は、生肉でした~」


 ……ん?


「……松坂牛の、ブロック肉だよ~、高級感のある音で気持ちいいね~」


 ……なんか特殊なASMRだな……ま、まあいいか。


「……じゃあ次は~この音! (シュワシュワ)(シュゥ~)(ジュッ)……なんの音でしょうか~?」


 ……お、このはじけるような音は炭酸の音だな。これは間違いない。俺のお気に入りの音の一つだ。


「……せいかいは~、さっきの生肉をフッ化水素酸で溶かす音、でした~。気持ちいいね~。タンパク質の儚さをいっしょに味わおうね~」


 怖い怖い怖い怖い。なまじ臨場感がある分、自分の身体が溶かされているような気分になる。


「……次は耳かきしようね~。まずは右耳から! (ゾッ)(ゾリ)(ゾリ)……う~ん、ちょっと取れないなぁ……。あっ! これ使お!」


 少女はフフッと笑う。なんだよ、せっかく耳かき音で眠くなってきたところだったのに……。


「……(ゴッ!)(ゴグゴ!)(ボボブリャ!)」


 うるさっ! なんだこの音!


「……ん? (ゾゴッ!)これ? (ブボッ!)綿棒に紙やすりを巻き付けたやつだよ~。気持ちいいね~」


 痛っ! 実際には痛くねぇけど! 痛っ! 何考えてんだこいつ!


「……あ、ちょっと血が出てきちゃったね~」


 ちょっと血が出る、のレベルじゃないだろ。下手すりゃ飛び出すぞ、味噌。


「……あ、こんな時はツバがあればすぐ治るよね!」


 あ~耳舐めの導入だったのか……にしても斬新過ぎない?


「カ――ッ、ペッ! カッ、ペッ! うん! これですぐ治る!」


 汚っ! ツバの吐き方八十代やん! 拭いちゃったよ! あまりの臨場感に! 咄嗟に手が防御反応示しちゃったよ!


「あ、ちょっと叫んでもいい?」


 いいわけねえだろ。


「ふふっ、冗談冗談。代わりに寄席の音、流すね。『……え~、江戸っ子なんてもんは~気ぃの短いモンばっかりでございましてね~そンなかでも特に喧嘩っぱやいことで有名だったのが~……』」


 え、何。なんで急に落語流れ始めたの?


「気持ちいいね~」


 気味わるいね~。


「あれ? お客さん、不満そう……。もしかして寄席、お嫌いでしたか……? あっ! わかった! 日本語だからわからなかったんだね! それじゃあ……你可以从任何地方剪断它',毫不奇怪,这不是剪断它! Lo siento, las bebidas son de autoservicio.  Καλέστε την αστυνομία και χορέψτε μαζί μας. 気持ちいいね~」


 わからんわからん。何もわからん。やけに流暢だし。あれ? 俺が買ったのスピードラーニングだっけ?


「あれ~、もしかしてお客さん聞き取れなかったの? ざぁこざぁこ。浅学! モノリンガル! 単一言語話者!」


 およそ囁き音声で流れていい罵倒表現ではないだろ。


「謝罪しろ‼」


 何を? あと叫ぶな、うるさい。


「……も~お客さん、なんでここ、おっきくしてるんですか~。もしかして興奮しちゃった? こ、こ。く、る、ぶ、し。すっごくおっきくなってる」


 なら病院に連れてってやれ。普通くるぶしは肥大せん。


「カウントダウンするね?」


 何の。


「111、110、……」

 え、長くない? すっごくおっきくなっちゃったね、数。


「101、100、11、10……」


 あ、二進法ね。理系なんだ、コイツ。


「1、0、0、0、0! お客さん! 0は自然数に含まれる派? へー! 集合論とかやってるタイプでしょ!」


 勝手に話を進めるな。あとその話もわからん。


「歌うね?」


 歌わないで?


「どんどんどん! 鈍器! 鈍器法廷! ジャングルだー!」


 うるさいし、曲のチョイスが酷すぎる。ヒーリングミュージックの対極じゃん。


「そろそろ癒されましたか? あ、革命の鐘の音が聞こえますよ? 人類は享楽的観念に支配されたとき、さらなる羨望が弾けて豊か! 無知蒙昧な梅花はジェリコのラッパに諸手を上げて匙を投げるだろう! いざ、黎明の時は新世界の財産へ!」




 ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。



 がばりと身体を起こすと、カーテンの向こうから白い光が差し込んでいた。

 けたたましくアラーム音を鳴らす目覚まし時計が指す時刻は、土曜日の午前十時。着けていたイヤホンはいつの間にか外れ、あの奇怪な音声も再生が停止していた。


 なんだ……夢か。


 ホッと胸を撫で下ろす。良かった。あの高熱にうなされたような囁き音声は、どうやら俺の疲労が生み出した怪物だったようだ。

 酷い寝汗だった。とりあえず気分を落ち着けようと、水を飲みに立ち上がる。


 台所に立ちコップに水を注いでいると、ドアチャイムが鳴った。


「こんちゃ~おとどけもので~す」

「あ、はーい」


 コップを流しに置き玄関へ向かう。ドアの鍵を開け、サインを書いて荷物を受け取った。


「……冷蔵? 珍しいな」


 受け取った箱には冷蔵の表記。普段通販で食品を買ったりはしないので、誰かからの贈り物だろう。


 伝票を確認する。


 ご依頼人――――空欄。


 品名――――松坂牛ブロック肉。


 ハッとすると同時に、ベッドの上のスマートフォンが鳴り始めた。

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