第21話 七編 3

 第一の、節を屈して政府に従う。これはとてもよくない。人たる者は天の正道に従うのを職分としている。それなのに、その節を屈して政府の作った悪法に従うのは、人の職分を破るものと言える。それでも、一度節を屈して不正の法に従うならば、後世子孫に悪例を遺して、天下に弊風を吹かすことになる。古来日本でも、愚民の上には暴政府があって、その政府が虚威を示せば、その人民は恐れ震え、また政府の処置を見て明らかに無理と思い、事の理非を述べれば必ず政府の怒りに触れ、後日になって暗に役人たちに苦しめられることを恐れて、言わなければならないことも言う者はなくなる。その後日の恐れとは卑劣な手段での仕返しで、人民はひたすらその仕返しを恐れて、どんな無理でも政府の命令には従うもの、と考えるようになることである。それが世上の気風になり、ついに今日のあさましい有様に陥ったのである。これが、人民が節を屈したことにより禍を後世に残した一例である。

 第二の、力をもって政府に敵対する。これは一人でできることではなく、必ず徒党を結ばなくてはならない。それは内乱の戦ということである。これは決して上策ではない。戦を起こして政府と戦う時は、事の理非曲直はしばらくの間論じられることなく、ただ力の強弱のみを比べることになる。それに、古今の内乱の歴史を見れば、人民の力は常に政府より弱いものだ。また、内乱を起こせば、従来その国で行われていた政府の仕組みをくつがえすことになる。その旧政府がたとえどんな悪政府であっても、善政良法がなければ一日たりとも政府の名をもって年月を渡る道理はないのだ。

 だから一朝の無分別でそれを倒すのも、暴をもって暴に変え、愚をもって愚に変えるだけだ。また内乱の原因を考えれば、人(政府の人)の不人情を憎んで起こしたものである。しかし、人間世界で内乱ほど不人情なものはない。世間での友人同士の交わりを破るのはもちろんのこと、ひどいのは親子が殺し合い、兄弟が敵視し合い、家を焼き、物を奪い、人を殺したりとその悪事の及ばないところはない。こんな恐ろしい有様にその人の心はどんどんすさみ、残忍になっていく。ほとんど猛獣とも言える行動をしながら、旧政府よりもよい政治を行い、寛大な法を作って天下の人々を人情のある人にしてゆこうと言うのか。構想と言行の二つが一致しない、矛盾した考えと言わざるをえない。

 第三の、正しい道理を守って身を棄てる。これは天の道理を信じて疑わず、どんな暴政の下にいて、どんな過酷な法に苦しめられても、その苦痛に耐えて、自分の志を捨てることなく、一寸の兵器も持たず、片手の力も用いず、ただ口で正理を唱えて政府に迫ることである。以上の三策の中でこの第三策が上策である。道理をもって政府に迫れば、その時その国にある善政良法はこれのために少しの害も受けることはない。その正論が用いられなくても、理のあるところがこの論によって明らかになっておれば、人心はこれに服し、従うだろう。だから、今年に行われなかったら、来年を待ち、再び政府に迫ればいい。また、力をもって敵対するのは一を得ようとして一〇〇を害する心配があるが、理を唱えて政府に迫るのは、ただ、除かれるべき害を除くだけだから他に害を与えることはない。その目的は政府の誤りを正すことだから、政府の処置が正しくなれば、この議論も同時にやむのだ。また、力をもって政府に敵対すれば、政府は必ず怒気を発し、自らその悪を反省することなく、ますます暴威をふるい、その非の部分を正当化しようとするだろう。が、静かに正しい道理を唱える者に対しては、どんな暴政府と言っても、同じ国の人間だから、正者が理を守って身を棄てるのを見れば、必ず同情の心を持つだろう。あわれむ心を持てば、自然と自分の過ちを悔い、肝を落として、必ず改心することだろう。

 このように世を心配して身を苦しめたり、命を落としたりする者を西洋の言葉ではマーティーダム(殉教)という。失うものはただ一人の身だけだが、その功能は千万人を殺し、万金を費やす内乱の戦よりも遥かに勝る。古来、日本で討ち死にした者や切腹した者は多い。どちらも忠臣義士の評判は高いが、その身を棄てた理由を見ると、多くは政権を争う者同士の戦争に関係する者か、主人の敵討ちなどにより華々しく一命をなげうった者たちである。これは美しいように見えるが、その実のところは世の中に益をなしてない。自分でかってに「主人のため」と言い、自分でかってに「主人に申し訳がない」と言って、ただ、自分の命を棄てればいいと思うのは不文不明智の世の常だが、今、文明の大義をもってこれを論じれば、これらの人は命の捨てどころを知らない者と言える。元来、文明とは人の知識と道徳とを進め、人々が自分で自分の身体を支配して世間と交わり、互いに害し合うことなく、おのおのの権利を認めて、すべてを安全と盛繁にしていくことである。ならば、あの戦争にしろ、敵討ちにしろ、はたして文明の意に叶っているのだろうか。戦争に勝ち、敵を滅ぼし、敵討ちをやり遂げてその主人の面目を回復してやれば、必ずこの世の文明が進んで、商業工業が興り、すべてが安全で盛繁になるものならば、討ち死にも敵討ちももっともなことだが、そんなことはまずない。

 それにその忠臣義士にも、忠臣義士の名が値するとは思えない。その義士の死んだ理由は、ただ、旦那へ申し訳がたたない、と言うだけのことなのだ。旦那への申し訳がたたないという理由で命を棄てた者を忠臣義士と言うのなら、今日にもその忠臣義士はとても多い。権助が主人の使いに行き、一両のお金を落として途方に暮れ、旦那への申し訳がたたない、と思案して並木の枝にふんどしをかけて手首をつる、という例は世の中に珍しいことではない。今、この義僕が自ら死を決する時の心をくんで、その事情を察したら、とても憐れむべきではないか。使いに出て帰ってこず、その身はすでに死んでいる。長く英雄として語り、襟を涙で濡らすほど涙を流さなくてはならない。主人の委託を受け、大事な一両を失い、君臣のけじめをつけるのに一死をもってするのは、古今の忠臣義士に対して少しも恥じるところはない。その誠の忠心は月日とともに輝き、その功名は天地ともに永く伝えられるべきなのに、世の人はみんな薄情でこの権助を軽蔑し、碑を建て銘を考えてその功業をたたえる者もなく、宮殿を建てて権助を祭る者がいないのはなぜか。人はみんな言う。「権助の死はたった一両のためであり、その死の原因はとても些細なことだ」と。そうは言っても事の軽重は金額の大小、人数の多寡をもって論じてはいけないものだ。世の文明に益があるかないかによって、その軽重を定めるべきなのだ。だから、今、あの忠臣義士が一万の敵を殺して討ち死にするのも、この権助が一両の金を失って首をつるのも、その死は文明に益をもたらさなかった点では、まさしく同様同類同等のことで、どちらを重いとし、どちらを軽いとすることはできない。義士も権助もどちらも命の捨てどころを知らない者と言える。これらの挙動をもってマーティーダムとは言えない。余輩の知るところでは、人民の権利を主張し、正理を唱えて政府に迫り、その命を棄てて終わりを良くし、世界中に対して恥じることのない者は、古来ただ一人、佐倉宗五郎だけである(本名、木内惣五郎。佐倉の名主。藩主の暴政を村民に変わって将軍に直訴し、多くの人々を救う。が、自分は家族もろとも処刑された)。ただ宗五郎の伝は俗間に伝わる草紙の類だけだから、未だその詳しい正史がない。もし、時間があれば、他日それを記して、その功徳を表し、それを世人の鑑のひとつとしよう。

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