第15話 五編 3

 だから、文明の事を行う者は私立の人民で、その文明を護る者は政府である。このようになってこそ国の人民はその文明を私有しているかのように思うことができ、これを競いこれを争い、これを羨みこれを誇り、国に一美事があれば、全国民が手をたたいて喜ぶことができるのだ。あとはただ他国に先を越されるのを心配するだけだ。だから文明の事物は、人民の気力を増やす道具になり、一事一物も国の独立を助けないものはない。その事情はわが国の有様の逆だと言える。

 今わが国において、ミドルクラスの地位にいて文明を興すことを真っ先に唱え、国の独立維持に貢献しなければいけないのは、ただ一種類の学者だけだけれど、その学者たちは時勢眼において拙劣か、あるいは国を心配する心が自分の身を心配するように真剣でないか、あるいは世の気風に酔っていてひたすら政府を頼って事をなすべきだと考えているか、である。だいたいの者がその地位に満足せず、その地位から去って官途に就き、些細でくだらない事務に奔走し、無駄に身心を疲労させている。その行動は笑うべきものが多いのに、自らそれに甘んじ、他の人もそれを怪しまない。ひどいものになれば「野に遺賢なし」と喜ぶ者もいる。これは時勢の流れだから、その罪は一個人にはないと言っても、国の文明にとっては一大災難である。文明を養わなければならない任務にあたっている学者でも、その精神が日に日に衰えるのを傍観してこれを心配する者がいない。これは実に嘆くべきことであり、痛哭すべきことである。

 わが慶応義塾の社中だけはこの災難を免れて数年間独立の名を失うことなく、独立の塾で独立の気を養い、その目標は全国の独立を維持するという一事にある。と言っても、時勢が世を制するというのは、急流のような力であり、大風のようなものである。この勢いに抵抗して立ち続けるというのは、簡単でないことは分かっている。非常に勇気がなければ知らないうちにその勢いに流され、その足を失う可能性も高い。そもそも、人の勇力は、ただの読書だけでは得られるものではない。読書は学問のひとつの方法で、学問は事をなすためのものである。実際に実践して事に慣れなければ、決して勇力は生まれない。わが社中ですでにその術を得た者は、貧苦を忍び、苦労しても、その持っている知識と見識を文明のために役立てなければならない。することはたくさんある。商売に勤めなければならないし、法律を議さなくてはならない。工業を興さなければならないし、農業を勧めなければならない。著書、訳書、新聞などの出版。だいたいの文明の仕事をことごとく行い、我々で運営して、国民の先頭に立って政府と助け合い、官の力と私の力を互いに均衡させて一国全体の力を増大させなければならない。そして現在の薄弱な独立をさらに強固にして国の基礎とし、外国と矛を交えることになっても少しもゆずることのないようにしなければならない。今から数十年後にこれを顧みて、今月今日の様子を回想し、今日の独立を喜ばず、逆にそれを哀れみ笑うつもりでいれば、なかなかどうして一大快事ではないか。学者はしっかり目標を定めて、自分が目指す理想を持つべきである。

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