第14話 五編 2
そればかりではなく、今日に至ってはこれよりさらにひどいものがある。およそ世間の事物において、進まないものは必ず退き、退かないものは必ず進む。進まず退かずの滞ったままというものはない、という道理である。今、日本の有様を見ると、文明の形は進歩したようだけれども、文明の精神である人民の気力は日に日に退歩している。試しにこれを論じよう。昔、足利、徳川の政府は民を御するのにただ力を用いていた。人民がその政府に服従していたのは、ただ力が足りないからである。ただ力が足りないだけだから、その人民は心から心服せず、政府の威を恐れて服従の形をとる。今の政府は力があるだけでなく、その知恵はとても鋭敏で、今まで事の機を失ったことはない。維新後、まだ一〇年にもならないが、学校、軍備を改革し、鉄道電信の設備を設けた。その他には、石室を作り、鉄橋を架けるなど、その決断の早さと成功の美しさに至っては、実に人々を驚かせるに充分である。ところで、この学校軍備は政府の学校軍備である。鉄道電信も政府の鉄道電信である。石室鉄橋も政府の石室鉄橋である。人民ははたして何をすればいいのか。人はみんな言う。「政府はただ力があるだけでなく、智をも持っている。わが輩などではとうてい及ばないことだ。政府は雲の上で国を司り、わが輩は地上にいてそれに頼るだけ。国を憂うのは上の仕事で、下賤のわれらが関わることでない」と。一般にこれを言えば、古の政府は力を用い、今の政府は智と力を用いる。古の政府は民を御する技術に乏しく、今の政府はそれに富んでいる。古の政府は民の力を挫き、今の政府はその心を奪い心服させる。古の政府は民の外を圧し、今の政府は民の内を制する。古の民は政府のことを鬼のように思い、今の民は政府を神のように見る。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。今の勢いに乗って、国民の気力を満たすことを怠ったまま進めば、政府が事業などをおこして文明の形は次第に備わるだろうけど、人民は一段と気力を失い、文明の精神は次第に衰えることになるだろう。
今、政府には常備の軍隊がある。人民はそれを認めて護国の兵とし、それが盛んなことを見て意気揚々になるべきなのに、かえってそれを威民の道具と見なして恐れている。今、政府には学校や鉄道がある。人民はそれを一国の文明の証として誇らなければいけないのに、かえってこれを政府の私恩と位置づけ、ますますその恩寵を受けようと、頼る心を増やすだけだ。人民はすでに自国の政府に対して、おびえと萎縮の心を抱いている。これでどうして、外国と文明の進歩競争などできようか。これらより言う。人民に独立の気力がなければ、文明の形は作れてもただの無用の長物になる。それだけではでなく、かえって民心を退縮させることになる。
右で論じたことをもって考えれば、国の文明は上の政府から起こるのではなく、下の小民より生じるのでもなく、必ずその中間から興って衆人庶民の目標を示し、政府と同等の位に立ち、政府と並んで進むことによってはじめて成功を期することができるのである。西洋諸国の史類を見ると、産業や工業など、ひとつとして政府が創り出したものはない。それらはみんな中等の地位にある学者の努力と工夫によって成ったものばかりだ。蒸気機関はワットの発明である。鉄道はスティーブンソンの工夫である。はじめて経済の定則を論じ商売の法を一変させたのはアダム・スミスの功績である。これらの諸大家はいわゆるミドルクラスの者で国の大臣ではない。また、力仕事をする小民でもない。まさに国の中等に位置し、知力をもって世の中を指揮した者たちである。それらの工夫や発明は、まず一人の学者の心に生まれ、それが成立した後に公表して、実践するために私立の社友を結び、どんどんその発明や工夫を現実のものにしてゆき、人民に無量の幸福を与え、それを万世に残している。この間、政府の義務は、ただその事を妨げることなく、好きなように行わせ、人心の目標を察してそれを保護することだ。
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