職員ID 0581 大高 忍(オオタカ シノブ)②
始業前の朝。若者ホームの喫煙ルームで僕はタバコをふかす。
濃厚な甘さが口内に広がり、肺を通して体内へ染みわたる感覚が心地よい。
ぼんやりと遠くの街並みを眺めていると、ふと思い返す。
晶と僕は幼馴染で、親交がかなりあった。
一つ年上の晶には弟の様に可愛がって貰っており、自分からすればそれが恥ずかしかったものの内心では安心感が勝っていた。
セミを取ろうとして木から降りられずにいて泣いていた所を手を繋いで一緒に降りてくれた事、ガキ大将に取られた宝物のカードを取り戻してくれた事…僕がピンチの時はいつでも助けてくれる憧れのヒーロー。
そんな彼女に僕はいつしか恋心を抱き、自分が彼女を助けてやれるくらいの強い男になって恋人になる事にする事を決心した。
寝る間も惜しんで勉強、筋トレ…自分を高める努力に日々打ち込んだ甲斐もあって充実した日々を送る事ができたが、彼女との実力の差は埋められずじまい。
相手はスーパーチルドレンだったので当然だが、それでもいつか追いついて相応しい男になると信じていた。
しかし、僕が中学二年生…晶は三年生の時。
「悪いけど、ここにもういられなくなったんだよね。」
「どうしてだよ?」
「企業に内定決まったの。」
その言葉を聞いて、僕はハッとさせられた。
当時の法律でスーパーチルドレンは15歳で企業からの内定を受ける事が可能となっており晶はそれに選ばれたのだ。
しかもあの、大手証券会社「スサノオホールディングス」から。
「はははは、良かったね…」
純粋な能力だけではなく生き様までも差を付けられた事に、僕は深く絶望した。
こんなレベルに到達できるわけが無いと、諦めてしまった。
どうせ格の差を埋められないというのなら、少しでも勇気を出して好きだと素直に言ってしまったほうが良かったのかもしれない。
だが、こういう時にくだらない意地が出てしまったのだ。
「スサノオホールディングスでの仕事頑張ってきなよ!」
「分かってる分かってる!心配するなって!」
「「ハハハハハハ…」」
華々しい世界で生きていく晶の実を案じて潔く身を引き、門出を応援する。
これが清々とした男らしい選択なのだと、そう自分に言い聞かせ僕は晶の事を諦めた。
それからというもの、目標を失くした僕は逃げるように悪友と遊び呆ける日々を送った。
一応高校までは卒業できたものの、学歴は粗末なものになり就活は難航。
スーパーチルドレンの台頭のお陰で企業が人材に求める素質がかなり上がっている事もあり僕は何度も面接で落とされ続けた。
特に酷い会社では面接官が目の前で履歴書を床に弾き落して嘲ってきた所もあった。
今でなくても明るみになれば非難されそうな事だが、当時の企業はスーパーチルドレンの力によって派手に儲かっておりヒラのサラリーマンですら海外の高級クラブに行ける収入があった上にそこで王様の様に振舞える程の力を有していたというのだからあそこまで天狗になってしまうのも仕方ない。
せっかく休憩をしたというのに、嫌な思い出を続けて思い出してしまった僕はまた箱に入っていたタバコをふかす。
お気に入りの甘い味が口の中に広がるが、さっきよりも早く味が無くなってしまうように感じる。
どうにも心が休まらないが、もうそろそろ始業時刻が近いので僕は仕事へ戻ることにした。
「おはようございます。有津さん、お部屋入りま…どうかなさいましたか?」
今日も自分が担当を受け持っている晶の部屋へ行き、起床の手助けをしようと彼女に声をかけようとした。
部屋の中では、ベッドから出てきた晶がしきりにベッドの横にある荷物入れのカゴやテレビ台の下にある引き戸棚の中から何かを探している。
これはおそらく、仕事で来ていくスーツかカバンを探しているのだろう。
いつも僕を急かしてくるあの先輩のオバハンが教えてくれたのだが、認知症を患った人間の中には自分がまだ現役で働いていると勘違いしている者がいる事がある。
オバハンの父親もそうだったようで、もうとっくに辞めてると言っても聞かずに怒り出すから始末に負えないといつも僕に愚痴を吐いていた。
「会社、かいしゃ、会社に行かないと。遅刻したらジャイアントエンジンさんに迷惑がかかっちゃう。」
オバハンの教えからくる僕の勘は正しかったようだ。
地元に残っていた晶のお父さんとお母さんからよく聞かされていたのだが、晶はスサノオホールディングスでもかなり熱心に働いていた社員…昭和の古い言葉で言うならモーレツ社員だったらしく家を出る時間と身支度の準備の手順までキッチリ決めていたとの事なので、いくらボケが進んでも朝の身支度の記憶だけは身に刻み込まれているのかもしれない。
「有津さん。今日は土曜日ですから会社はお休みですよ。」
「そうだったね。すまないね大高さん。」
晶が勤めていたスサノオホールディングスは証券会社。
証券会社は土曜日と日曜日は証券の取引を行わず休業する。
ちょうど今日は土曜日だったのでとっさに考え付いたもっともらしい理由を話したが、幸い晶はそれに納得してくれたようだ。
オバハンが父親にやったように頭ごなしに事実を伝えてもまず受け入れられはしない気がするし、僕個人の主観だが乱暴なやり方は好きではないのでこの対応を取らせて貰った。
「いえいえ。それよりもお体の方はお変わりありませんか?」
「大丈夫だよ。体調管理をしっかりするのも仕事のうちだからね。」
自分がまだ会社勤めをしているという記憶が消えない晶は僕に整った笑顔を返す。
子供の頃なら安心できた彼女の笑顔だが、今となっては物悲しさを覚えてしまう。
自分が今どうなっているか、どんな状況にいるかも分からずに今までと同じ「当たり前の日常」を繰り返していると思い込んでいる。
かつての彼女を知っている僕からすればそれがただやるせなかった。
* * *
「いつもありがとう、忍ちゃん。」
「晶の面倒を見てくれてすまないねぇ。」
「妻が大変お世話になっております。」
僕が仕事を終えて若者ホームから出ると、外で待っていた晶のお父さんとお母さん、身なりの良い若い男の3人が僕に頭を下げる。
若い男の方は晶の夫の三菱さんで、今年で27歳になるがスーパーチルドレンの晶とは違って普通の人間なので認知症を発症していない。
僕と3人は時々会って近況を話し合う仲で、ボケていなかった頃の晶の思い出話や世間話をするのだが、時々何らかのはずみで、
「本当はうちで面倒見続けてあげたかったんだけど、最近は旦那も私も仕事で精一杯だし歳を考えたら私達の方が先に死んじゃうしいつボケちゃうかも分からないからね…」
「三菱君の親父さんとお袋さん、さらには兄弟の子達まで晶を受け入れてくれるとは言っていたんだけど相手の家にこれ以上世話になる訳にはいかんし…」
「僕と身内とお義父さんとお義母さんで何度か話し合ったんですが……」
「ああ、三菱くんとお兄さんもうちらと同じく仕事が忙しいらしいし、妹さんは大学受験の勉強の最中だからな。若者にこれ以上無理はさせらんねぇ。」
三者三様に泣く泣く晶を施設に入れてしまった事を悔やむ愚痴を話し出してしまう事がある。
声色からして、決断を下さざるを得なかった3人の悲しみが相当深い事が伺える。
「おじさんおばさん、僕はそんなに気にしていないし晶の世話もそんなに苦じゃないよ。むしろ晶の為を思って信頼できる人に任せようと思うのは親として当たり前だと思うな。」
僕が働いてる若者ホームは入居者の家族がこれから施設に入れる入居者の介護を担当するスーパーヘルパーを選べるシステムなのだが、たまたまここで僕が働いていることを知った晶のお父さんが晶と親交のあった僕を担当スーパーヘルパーとして指定したのだ。
「ありがとうな、忍ちゃん。おじさんにもうちょっと甲斐性あればねぇ……」
「お義父さん、お気になさらないでください。仕方のない事だったとはいえ、僕の方にも…」
落ち込む晶のお父さんを三菱さんが優しくなだめる。
この件は誰も悪くないしそう言わせて貰いたいだが、彼等の縁者でもないよそ者の自分が口をはさむ余地などないので僕はただ黙っている事しかできなかった。
国が奨励している若者介護のバイトで、憧れの幼馴染の介護をする事になってしまいました… 消毒マンドリル @ETEKOUBABOON
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