第39話 夕星・19 ~看病~


 左の脇腹の焼けつくような痛みが徐々に強くなり、夕星を泥沼のように重い眠りから引きずり出した。

 目を開けた瞬間に、熱い痛みが体に走り、小さく呻く。

 寝台に付き添うように座り、夕星の体の横で腕枕をして眠っていたシオが、ハッとしたように顔を上げた。

 一瞬で眠りの淵から覚醒すると、シオは御帳の外に声をかける。


「ミト、夕星さまが目を覚まされた。痛み止めの薬湯を。あと薬布とお湯と着替えね。早く!」


 御帳の外でミトの慌てたような返事が聞こえ、すぐに生薬を煎じた薬湯が帳の隙間から差し出された。

 シオは手慣れた仕草で布に薬湯を含ませると、寝台の上で苦痛の冷や汗を流している夕星の唇に当て、絞って少しずつ飲み込ませる。

 時間をかけてシオが薬湯を飲ませているうちに、ミトが二人の小姓を引き連れて、全身を拭くのに十分な湯と清拭用の布、傷口に当てる薬布と着替えを持ってきた。


 痛み止めの薬湯を飲み下し、胃の腑まで届くと傷口の焼けつくような痛みが徐々に治まってくる。

 夕星の繊細な容貌から苦痛が去り、表情が安らいだことを見てとると、シオは掛け布をはがし、汗で濡れた夕星の夜着を脱がし始めた。


 外へ行かなければならない時を除いては、シオは自分を庇って刺された夕星の看病を、付きっきりでしている。

 領地や商いの管理や運営などの采配は、夕星に付き添いながらすべてこなした。

 世話のしかたも手慣れていた。

 何十年も同じことをしてきた職人が新たな仕事に取りかかるような手早さで夜着を脱がし、左の脇腹に張られた薬布を剥がす。


 夕星は顔を赤らめた。

 気が付いた時には、当然のようにシオが自分の世話をするようになっていたために口にすることが出来ずにいたが、シオに全ての面倒を見てもらうのは気恥ずかしかった。


「シオどのは仕事もあるから、付きっきりで看病しては体が持たないのではないか。世話ならミトや他の小姓に、交代で見てもらうから」と言ったが、「夫の看病は妻の務めですから」とにべもなく断られた。




「だいぶ傷は塞がりましたね。膿んでもいないし」


 シオは綺麗に閉じられた傷口を注意深く点検すると、傷口の周りの肌を清め、新しい薬布を張る。

 それから温かい湯に浸して絞った布で、工芸品のように美しい夕星の体を丁寧な手つきで拭いていく。


 夕星はわずかに身じろぎする。

 シオに触れられると、今まで夫婦として重ねてきた濃密な行為の記憶を呼び覚まされ、体が否応なく反応してしまう。

 そのことに羞恥を覚えると同時に、仄かな期待を抑えきれず、自分の体を清める妻の様子を伺う。

 シオの横顔には事務的で厳粛な表情しか浮かんでおらず、夕星は自分の中に生まれた欲情に羞恥を覚えて顔を伏せた。


 シオは気配りの行き届いた動きで夕星の着替えを手伝い、寝台に横たわらせた。

 もう少し眠りますか、と聞かれて、夕星は首を振る。寝台の脇の椅子に座り直したシオに視線を向けた。

 シオが淡々とした口調で話し出した。


「夕星さまを刺した奴は、まだ見つかっていません」


 必ず見つけてやる、そう言いたそうにシオは蒼い瞳を光らせたが、その言葉は音にはならず、不自然な沈黙が生まれた。

 自分の気持ちをどう表していいかわからない、という様子で唇を噛むシオを見て、夕星は不意に言った。


「私を刺した人間は……見つからないと思う」


 夕星が他のどんなことを言ったとしてもこれほど驚かないだろうと思える表情で、シオは夕星の顔を見つめた。

 シオの開け放しな表情を見て、夕星は目線を下へ向ける。


「そんな気がするのだ。きっと……見つからないだろうと……」


 シオはジッと夕星の顔を見つめていたが、長い沈黙のあと、呟くように言った。


「不思議ですね……。私もそんな気がするんです。あの時、私を刺そうとした人間は……この世界をいくら探しても見つからないんじゃないか、って」


 シオは夕星のほうへ、一瞬視線を向け、すぐにまた顔を下へ向けた。

 何度か躊躇った後、ようやく口を開いた。


「夕星さま……」


 名前を呼ばれて夕星は顔を上げたが、シオは頑なに視線を逸らしたままだった。

 そのままの姿勢でシオは言った。


「ああいうことは……もう止めて下さい」


 夕星が何も言わないので、シオは言葉を続ける。


「私が刺されるのは、いいんです。私は色々なところで恨みを買っているし、自分も今までさんざん人を刺してきたんですから。これからだって、いざとなればどんな人間でも刺すつもりでいます。

 刺されたほうが間抜け。私はそういう世界で生きているし、これからも生きていきます」

 

 でも……とシオは呟き、夕星の少女めいた美貌を見つめた。


「夕星さまが傷つけられるのは嫌なんです」


 少し黙ってから、シオはもう一度言った。


「どうしても……嫌なんです。だから、止めて下さい」


 夕星は、わかったともわからないとも答えなかった。

 二人のあいだにしばらく沈黙が流れた後、シオは独り言のように呟いた。


「私なら大丈夫です。何でも自分で出来ますから。例え刺されたとしても、爵位を失ったとしても……」


 シオはわずかに震える声で続けた。


「だから、私のために……自分の身を犠牲にするのは止めて下さい。夕星さまは……そんなに細くて弱い体をされているのに。見ているのが嫌なんです、あなたが私のために傷つくのを」


 夕星は、寝台の中から手を伸ばして、微かに震えている妻の手に触れた。




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