第12話 シオ・5 ~花言葉~
アシラスはそんなシオの様子を半ばおかしそうに、半ば不思議そうに眺める。
「そんなによく知らない、縁も薄い人間のことを、なぜあれほど熱心に私に頼み込んだのだ?」
「それは……」
相手が相手だけに答えないわけにもいかず、シオは投げかけられた問いからは微妙に逸れたことを口にした。
「殿下は英明で公正なかた。世に露わになることをはばかられてきた血縁のかたとはいえ、あのような不遇に置かれている理不尽は、正していただけると思いまして」
「不思議だ」
アシラスは、シオの言葉などまるで耳に入っていないかのように言葉を続ける。
「自分の境遇と運命に絶望して、というならば、そこから救い出された後に眠りにつくのは辻褄が合わない。公の手元に引き取られてからしばらくは、目覚めていたのだろう?」
「ええ……。まあ」
シオは口の中で呟く。
「そうして、あなたが私に、後見者となって姫君を引き取り、皇族の血を引くということを
シオは苛立ったように無言で頷いた。
イヴゲニの罪を露にして、館に囲われていた夕星を救いだしてから、夕星が突然目覚めくなるまでの流れは、もう何度も説明している。
アシラスは、シオの様子を一瞥し、何でもないことのように言った。
「あるいは姫君は、公の世話になることに抵抗があったのかもしれないな」
「抵抗?」
シオは何かしら、ギョッとしたように問い返した。
アシラスは、微かに首を振る。
「もちろん、そうとは限らない。あるいは別の理由があるのかもしれぬし、そもそも眠っていることは、姫の本位ではないのかもしれぬ」
だが、とアシラスは言葉を続ける。
「もし、眠り続けることが姫君が望んだことならば、姫は過去の境遇ではなく、現在の状況が耐え難い。そう考えることが妥当に思えるが」
シオは血の気の引いた顔で、アシラスの端整な容貌を眺めた。
常にないことだが、王国の権力者の言葉に、反応すべき言葉を思い浮かべることが出来ず、結果的に無言になってしまった。
心の片隅では、これほど冷静さを失うのは危ういという声がするのだが、心の大部分が空白で何ひとつ言葉を発することが出来なかった。
夕星にとっては、現在の状況こそが耐え難い……?
僧院で心身をみだらなものに変えられて、無理やり開かされたときよりも?
人の手から手へ、物のように受け渡されていたときよりも?
イヴゲニのような野卑で残忍な男の下へいたとき……よりも?
(そうなのですか……? 夕星さま)
シオは昨晩見つめ続けた、夕星の寝顔を……そして、自分の手元に引き取ってから、一度だけ話したときの夕星の様子を思い浮かべる。
あの儚げな笑顔の影には、自分の下へいなければならないことへの苦痛があったのだろうか?
でもそれならば……、なぜ。
(なぜ、目を覚まして……私に、そう言ってくれないのですか……?)
私はあなたの望みなら、何でもかなえたいと思っているのに……。
シオは、自分の心から目をそらすように室内に意識を向けた。
小ぶりだが色鮮やかな花が目に入る。どこか室内の雰囲気に馴染まない、否、馴染むことを拒んでいるかのような昂然とした雰囲気がある。
「レムリアがお好きなのか?」
アシラスの声に、シオはハッと我に返り、視線を逸らした。
「その……以前、人からもらったことがあるので」
シオの言葉に、アシラスは「ああ」と腑に落ちたような顔で笑う。
「公にならばレムリアを贈るような相手がたくさんいるだろう」
「相手?」
シオが反射的に問い返すと、アシラスは意外そうに黒い目を見張った。
「知らないのか? レムリアは恋のやり取りによく使う花だ。小さいが存在感がある花だからな。儚きものに形を与えることが出来る、そう考えられている」
「はあ……」
気の抜けたようなシオの表情を、アシラスは半ば呆れたように半ばおかしそうに見る。
「公と恋を語るのは大変そうだな」
(ご冗談を)
シオは自分の腕を力を込めて握る。そうでなければ内心が表に出てしまいそうだった。
宮廷の中では宮女たちの憧れの的であり、数々の貴婦人や時には貴公子と浮名を流しているアシラスだが、シオにとっては「苦手な奴」でしかない。男として好みかどうか以前に、ひと言ひと言がいちいち癇に触って反論したくなり、その衝動を抑えつけるだけでひと苦労だ。
沈黙が流れたので、退出の挨拶をしようかとシオが考えたとき、アシラスがふと呟いた。
「あなたの夢を見る」
「はい?」
シオが瞳を細めたのを見て、アシラスは笑った。
「レムリアの花言葉だ」
そうして呟くように付け加えた。
「公にレムリアを贈った人間は、きっと毎晩、あなたの夢を見ているのだろう」
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