第13話 シオ・6 ~文~


 まだ夕星が、長い眠りにつく前のことだ。


 イヴゲニの屋敷から、夕星を引き取った後、シオは何だかんだと夕星に会うことを避けていた。

 上流階級の作法からすれば、シオのほうから夕星の下へ挨拶に出向くことが礼に叶っている。

 地方の行政官の妾に身を落としていたとはいえ、夕星は皇族の血を引いており、ククルシュ公家にとっては主筋だ。


 しかしシオは、「見知らぬ場所にいきなり連れてこられて、きっと戸惑っているだろうから」「環境に慣れるまでは、ソッとしておいたほうがいい」と一人決めして、夕星の下を訪れなかった。

 一体なぜ、自分は夕星に会うことにこれほど躊躇いを覚えるのか。

 尤もらしい気遣いを並べることで、その疑問から目を背けていた。



 自分が表に出て行くとシオに迷惑がかかるだろうという遠慮があるためか、夕星のほうから表殿に挨拶に行こうとは言ってはこない。

 代わりに二、三日にいっぺんは、花を添えた礼状が届く。


 シオのほうからも、「何か不自由はないか」「不足のことがあれば遠慮なく言って欲しい」「体調は大丈夫か」などと心配りをした返礼を送っている。

 自分で書くとどうも素っ気なくなりがちなので、側付きの侍女の中で情緒のこもったふみを書くことに長けたものに代筆させ、これならばきっと夕星の気持ちも慰められるだろうと思ったものを送り届けている。



 そうしてやり取りする何通めかの夕星の文には、庭で見事な花が咲いた、とても美しかったのでシオどのに、ということで小ぶりだが色合いが鮮やかで匂いも控えめなレムリアの花が添えられていた。


 シオはその花を侍女に預けると、丹念に文を読み込む。


 夜の空気が温かくなってきたので庭によく出るようになっただの、そう言えば庭に咲く花が盛りになったので季節が変わったことに気付いただの、可愛い小動物が庭に紛れ込み、手なずけているが随分なついてきただの、シオどのともきっと仲良くなれると思うだの、シオから見ればどうでもいいことばかりが書かれている。

 いくら読んでも夕星自身の様子や心境、何か不自由はないのか、何を求めているのかという、知りたい情報が出てこない。


 部屋が少し暗いから調度を明るいものにしようか、夕星は体が弱く食が細いから滋養のつくものを取り寄せたほうがいいのではないか、今までは側周りの者をあえて少なめにしていたが、少し増やしたほうがいいのではないか、年配の気の利く者と夕星と年の近い者を揃えて差し向けようかと思うがどうだろうか、そういうことを聞きたいのだ。


 シオは文を三回通読したあと、諦めて文使いの者に視線を向けた。


「ミト、どうなの? 夕星さまのご様子は。お元気なの? 何か不自由はないの?」


 部屋に入って来たときから愛想のない顔つきをしていたミトは、表情に輪をかけて愛想のない口調で答える。


「そういうことが、お文に書いてあるのではないのですか?」

「書いていないから、あんたに聞いているんじゃないの」


 意味のないことを聞くな、とシオは傲慢な眼差しを向ける。


「ちゃんと夕星さまに何かあれば遠慮なく何でも言っていい、って伝えているの? 夕星さまは控えめなかただから、本当に何でも言っていいんだって、はっきりとお伝えしなきゃ駄目よ」

「夕星さまが控えめなお優しいかただということは、私が一番わかっています。昨日今日、お会いしたのではないのですから。そんなことはシオさまに言われるまでもありません」


「昨日今日会ったばかりのお前にそんなことを言われる筋合いはない」ということを、表情にも口調にもはっきりと出して、ミトは言った。

 険のある言葉を返されて、シオは眉間に皺を寄せて肩をそびやかす。


「そう、そんなに夕星さまのことが分かっているなら、夕星さまが何を考えているかも知っているでしょう? 何か不満とか不便とかを口にしてはいらっしゃらないの?」


 ミトはしばらく無言で黙っていたが、やがて「これを」と独り言のように呟いて、縫い取りの美しい肩掛けをシオに差し出した。


「何、これ」


 ミトは脇を向いたまま答えた。


「シオさまがお呼び下さった、出入りの商人から買ったものです。夕星さまがとても気に入られて、手づから刺繍もされたのです」

「へえ、夕星さまって何でも出来るのね」


 シオは肩掛けに器用に縫い込まれた紋様と散らされた花を見て、感心したように言った。

 肩掛けなど羽織れて温かければ何でもいいと思っているシオが見てさえ、それはとても凝った美しい縫い取りだった。


「で、何でそれがここにあるの?」


 ミトは露骨に「は?」という顔をしたが、すぐにまた脇を向いた。


「知りませんよ、私は使いを頼まれただけですから。夕星さまから、良かったらシオさまに、と言われたから持ってきただけです」


「私に?」


 シオは半ば驚き、半ば苛立ったように眉をしかめた。


「あんたねえ、商人たちを呼んだのはご入用なものを、何でも遠慮なく取り寄せるためよ。この前請求がきたけど、この肩掛け以外、こまごまとしたものしか購入されていないでしょう」

「はい、それ以外は、私ども側周りのものに与える品を買われたくらいです。夕星さまご自身は特に入り用なものはないから、と」

「何を気を遣わせてんのよ。ご自身がご入用なものを何でも取り寄せていただきたいっていう私の気持ちをちゃんとお伝えすることが、あんたたち側付きのものの役目でしょう」


「ちゃんと仕事をしなさいよ」と喉まで出かかったが、さすがにそれは云い過ぎだと思い、シオは何とか言葉を飲み込む。

 それから気を落ち着けて、別のことを口にした。




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