第30話 シオ・15 ~長年の夢~
「王弟のアシラス殿下から、お返事をいただきました。夕星さまの身分を認めて下さるよう、殿下が後見人となって陛下に正式に奏上して下さるそうです」
ひと言ひと言が現実であることを確認するかのように、シオは力を込めて言葉を紡ぐ。
そうして話をしているうちに徐々に現実を見失いそうな気持ちは薄れていき、代わりに話の内容に対する興奮と喜びが全身に広がっていった。
シオは得意げに胸を張る。
この知らせを夕星に伝えられることが誇らしかった。
「陛下が正式に裁可された後は、アシラス殿下は夕星さまをご自身の養子として迎い入れたいとおっしゃっています。そうなれば、夕星さまの御身分は保障されたようなものです」
夕星が皇家の血縁に連なる者であることは間違いがないことは、長年の調べで分かっていた。
問題は、それが公に認められるかどうかだ。皇帝や皇族の落し胤が、生母の身分が余りに低いために打ち捨てられていることは決して珍しくはない。
皇族の中で現在最も力があるアシラスが身分を保障し後見人となり、正式に養子にもしてくれるとなれば、夕星の身分は将来にわたって安泰だ。
仮に過去について何事か漏れたとしても、大公家を敵に回してまでそれを公にしようという者はいないだろう。シオもそのことについては、目を光らせていくつもりだ。
ようやく夕星を、皇家の公子という本来あるべき姿に戻すことが出来る。
そう思うと、普段は滅多に感情的にならない心が感動で震え、喜びの涙が溢れそうになった。
シオは満面の笑みを浮かべて夕星のほうを振り返り、次の瞬間、驚きで目を見開いた。
夕星の美しい顔からは血の気が引き、細い体は今にも倒れそうに見えた。
「夕星さま、お加減が……」
「シオどの」
常にないことだが、夕星はシオの言葉を遮りはっきりとした口調で言った。
「アシラス殿下には、私は再三お断りの文を差し上げている。私は……殿下のお世話になるつもりはない。何度もそう申し上げた」
いつにない夕星の様子に、シオは気圧されたように口をつぐむ。
アシラスが夕星に文を送っていたのは知っていた。
シオの引き合わせで一度顔を合わせた時から、アシラスは夕星に執心している。
手元に引き取ろうと思ったのも恋心からだろうが、庇護下に入ったとしても、アシラスは夕星に意に沿わないことを無理強いしたりはしないだろう。
シオはそのことについては、確信を持っていた。
その信用を以て、彼はあれほど多くの人間から慕われているのだから。
この話が夕星にとってどれほど重要で、これ以上望めないほどの幸運であるか、うまく飲み込めていないのだろう。
世間から隔絶した場所で生きることを強いられてきたのだから、様々な事情がわからないのは当たり前だ。
そう思い、シオは口を開いた。
「アシラス殿下は高潔なご気性のかたです。文では、夕星さまが戸惑うようなことをおっしゃっているかもしれませんが、立場の強さによって何事かを無理強いされるようなかたではございません。殿下の城に行かれてからは、夕星さまに対して礼節を重んじられると思います」
シオは、夕星が安心するように付け加える。
「殿下は私にそうお約束してくださいました。決して、夕星さまの意に沿わないようなことはなさらないと」
「シオどの、私は……殿下のことを気にしているのではない」
夕星は、かすれた声を振り絞った。
「私は何も望まない。地位も身分も、何もいらない。だから……シオどのの迷惑でなければ、ここにいさせてくれないだろうか。殿下が私に何がしかの興味を持たれていて、それを受け入れなければシオどのが困ると言うのであれば、……受け入れても構わない。
ただここに……いたい。ここ以外のどこにも行きたくない。駄目……だろうか?」
縋るような目つきで言われて、シオは怯んだ。
一方で、なぜこれほど言ってもこれが得難い僥倖であることが夕星に分からないのか、伝わらないのか理解が出来なかった。
他に方策がなければ、シオはもちろん夕星の面倒を見、一生仕えるつもりではある。
だがそれでは、夕星の人生はここで、この日の当たらない寂しい離れの中で終わってしまう。
何をすることもない、何をなすこともない、自分自身が何か確かなものを持つわけではない、それでは生きながら地に埋められたも同然ではないか。
「夕星さま」
シオは意を決したように、夕星の前で礼をした。
「夕星さまがこのような境遇に陥られたのは、私の父の罪でございます。そのことについて、私は夕星さまに幾重にもお詫び申し上げなければなりません。
私はククルシュの現在の当主として、娘として、また皇家に仕える臣として、我が父が夕星さまに対して犯した不敬を償い、その結果を正す責任がございます。夕星さまを不運からお救いし、ご身分を回復すること、その立場にふさわしい境遇にお戻しすること。それが私の長年の夢でした」
「夢……?」
夕星は愕然としたように呟いた。
「私を、殿下の下へ……他の人間の下に行かせることが……シオどのの夢、なのか?」
まるで世界が音もなく崩れ落ちていく様を見ているかのような、夕星の表情を見て、シオは言葉を失いかけた。
だが。
何か話を勘違いしているのだろうと無理矢理自分に言い聞かせ、頷いた。
「はい。夕星さまが公子としてのご身分を回復され、日の当たる場所においでになることをずっと夢見てきました」
「あなたはずっと……、私がいなくなってからずっと……その夢を見ていたのか?」
「ええ」
シオはどう言えば、この話の素晴らしさが伝わるのかわからないまま、言葉を続ける。
「それをようやくかなえることが出来て、肩の荷が下りたような心地がしています」
気を引きたてるように笑っているシオの顔を、夕星はぼんやりとした眼差しで眺めた。
それから表情を変えずに、遥か遠くに視線を向ける。視線の先では、誰もいない縄梯子が夜風によってゆらゆらと揺れていた。
「そうか……肩の荷か。……肩の荷が下りた、のか」
夜の中で、夕星は呟いた。
「そう……だったのか」
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