第23話 夕星・14 ~何で、そんなことを~


 シオはしばらく夕星の返事を待ったが、何もいらえがないと分かると、みるみるうちにその表情を怒りによって固く凍りつかせた。

 自分のむき出しの感情を見せたことを後悔しており、そういう時に往々にしてあるように、その相手に対する憎悪を抑えきれない風だった。

 シオはすぐに自分の感情を封じ込め、冷たい儀礼的な顔つきになる。


「色々調べた上げた確かな情報に基づいてお話をしているので、否定されても無駄ですけれど……驚いたな、随分、あっさりお認めになるんですね」


 シオは脇息にもたれかかるようにうなだれている夕星の姿を眺めながら、言葉を紡いだ。


「僧院に礼拝に行って、そこで出会う男から声をかけられたのでしょう? 相手は……ミハイル伯って聞きましたけれど? 前皇帝の侍従長で、今の皇帝の教育係のお一人だったかたですよね? 信じられないな。あの人、確か七十を超えていませんでしたっけ? そういう相手がお好きなんですか?」


 皮肉と侮蔑を言葉に込めようとしていたが、不安定に揺れる声がそのことを阻む。

 シオは懸命に自分の中の怒りを軽蔑に変換しようとしていたが、何度試みてもそれは成功しなかった。


「私がいないあいだ、伯の館に招かれて、仲良く過ごしたらしいじゃないですか。……女の格好をさせられて。中には……中には、際どい格好もあったみたいですね。変人の爺さんを喜ばせるような。否定したって無駄ですよ、知っているんですから! 全部……全部!」


 不意にシオは立ち上がり、衝動のままに床を蹴りつけた。

 青い瞳に怒りを燃え立たせて、夕星の姿を睨みつける。


「何か言って下さいよ! 本当に……本当に? 全部、本当なんですか?」


 夕星は僅かに目線を上げる。

 そうしてまた顔を伏せ、苦しげに呟いた。


「……済まない」

「済まない……って……」


 シオは嘲笑を浮かべようとして、唇をねじ曲げようとした。だが実際は、口の端が微かに震えただけだった。


「済まない、って何ですか……? それだけ? それだけですか……? 何で……? 何で? 何で! そんなこと! 何でですか?! 夕星さま!」


 シオは足音荒く夕星に近付くと、華奢な肩に手をかけて、ひどく乱暴に揺さぶった。

 夕星は顔を青くしたが、シオの嵐のような激情に抗おうとはしなかった。

 無抵抗になされるがままの夕星を、シオは不意にカッとしたようにその場に突き飛ばした。

 倒れ伏した夕星に手を上げようとした瞬間、大声を上げてミトが飛び込んできた。


「シオさま! お止めください! 何て……何てひどいことを!」


 ミトは夕星を庇うように、二人の間に割って入る。

 シオは冷たい怒りに満ちた眼差しで、僅かに震えているミトの小柄な体を見下ろした。


「誰もお前のことなんて呼んでいないけれど。出過ぎたことをするんじゃないわよ、ミト。下がりなさい」


 犬でも追い払うのように顎をしゃくったシオの顔を見つめて、ミトは声を絞り出した。


「下がりません! シオさま、あんまりです。夕星さまはお体が弱いのに……」

「体が弱い?」


 シオは嘲るように繰り返した。

 それから、ふと何かに気付いたかのように、ミトの必死な表情を冷たい目で見下ろす。


「……ミト、あんたも知っていたの? ……そうね、知らないわけないよね、あんたはずっと夕星さまのお側にいたのだもの」


 シオの言葉に、夕星はハッとしたように、自分を背に庇うミトの小柄な体に手をかけた。

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